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弱っているなと思う時

自分が弱っているなあと思う時は、SNSをたくさん見ちゃう時。

ゆらゆらしていることに耐えられないと、SNSに目を覚ましてくれる良いことが流れてこないかと探しに行ってしまう。

そういう時は弱っているな、と思う。


人は揺れ動くのが当然だし、変わっていくのも当たり前。

特に気分なんてそう。
天気や気温、仕事、ちょっとした会話でも変わる。
気分だけじゃなくて年齢も体力も、今日の疲れも。ゆらゆら、ゆらゆら。
木のようにゆらゆら。
しなって反発して、大きく揺れて小さく揺れて、時にはスっと静かに。

その揺れに耐えるには足元がしっかりしていないといけない。
そうしたら一時的な揺れは「今日はそういう日なんだな」と思って流せる。


私は足元を作るのは「自分への信頼」だと思っている。


自分への信頼は、自分で決めている感覚の積み重ねで育つ
自分で決めている感覚が弱まると、信頼が弱まってぐらぐらするから揺れに耐えられず、支えをさがしにいってしまう。


自分で決めている感覚は、大きな決断だけじゃなくて、朝何時に起きるとか、食べる、食べない、捨てる、買う、行く、行かない。
やる、やらない、続ける、やめる。
実はチャンスはたくさんある。

だけどついやること、やらないといけないことに追われて、全自動で進み始めると「自分で決めている」感じが弱まってしまう。
さらに「やらされている」と思うともっとダメ。
「仕事だから〇〇」となにかの理由をつけてもダメ。
どんどん弱くなっちゃう。


弱くなって足元が崩れやすくなると、手っ取り早くこの弱っている感じをなんとかしたくなっちゃうんだよね。

SNSは
「捨てれば〇〇になれる」
「買うとおしゃれ」
「月●万円簡単に手に入る」
「●と□で月●万円できる」
「こうしたら売上が変わった!」
「これだとしくじる」
「あなたはうまくいくよ」

見れば見るほど、「そうなの?」「そうなの?」と惹かれるものがたくさん。

「このままじゃだめなのかもー!」と原因を見つけられた気がするし、解決できそうな気がする。そんな安心が手に入る。


そうやってSNS重視になると、自分への信頼はさらに薄くなる。
誰かの言葉が自分の勇気になることはもちろんあるけれど、勇気を得たら自分の脚で歩かないといけないんだよね。

でも弱っている時は、「この人の真似をしたらいいはず」「この人がこういっているから」と、次々と他人軸で決めていきがち。

他人軸ばかりで決めるほど、自分の感覚や感情、体の感じなどは無視される。他人軸で決めることが定着して、「自分で決めるって?自分はどうしたいってどういうこと?」とわからなくなる。


自分への信頼はパワーだ。
SNSにはパワーが有る人が多いのもよくわかる。
だから引き寄せられちゃう。

でも、私は私でしかいられないし、私の感性や感覚、経験、年齢と同じ人はひとりもいないんだから、私以外の判断基準で選んでも、いずれ限界はくるのかなと思うんだよね。

それがわかっていてもできない気持ちだからSNS見ちゃうんだけど・笑
だから弱っているなって思う。判断ができないのは弱っている証。

じゃあ、そういう時どうするか。

もう一度、自分で決める感覚を育てていく。
多少揺れても「そういう日もあるよ」と言ってあげられるように。

今は暑いのか寒いのか。
もう寝たいのか。コーヒーがいいか、白湯がいいか。
ひとつずつ、あえて「私は~」を決めていく。

昔、自己肯定感とか、自己愛とか流行ったけど、自分の選択を信じられない人がおおかったんだと思うんだよね。
自分の選択が自分を幸せにしてくれるという希望が持てなかったんじゃないかと思う。


SNSで情報をあつめるより回り道だけどね。速効性はないし。
ただ「わたしである」喜びとともに生きていきたいのならば、育てることは必要。









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