「こんな人だと思わなかった」と感じたら?
何年か前にある作家さんの本を読んで
「わたしは変わらないのに勝手にわたしのことを嫌いになって、会社を辞めていく」
「勝手にわたしのことをイメージして”こんな人だと思わなかった”と辞めていく」
というような内容があった。
そのときは
嫌われる原因があるんじゃ?
それって振り返らないの?
と思い、なぜそんなふうに言い切れるのかがよくわからなかったんだけど、今なら理解できる気がする。
例えば、
「〇〇さんは繊細な人なんだろうな」
「作家とはこういう振る舞いをするものだ」
「仕事に対して〇〇な指示をくれるだろう」
と勝手に周りがイメージして
一緒に仕事や活動をして、
そのイメージと違うから、
「こんな人だと思わなかった」
と離れていく。
これって、作家さんに原因はなくて、イメージ像をつくりあげて想像した側の問題。
※作家さんがご自身の振る舞いをふりかえるかどうかは、御本人の選択だし、この話題には関係ないのでスルーします。
イメージというのは手強いもので、自動的に作っちゃうところがあるから意識していないと、簡単に「思ったとおりじゃない」と言ってしまう。
そんな気持ちになることは、みんな多かれ少なかれあるだろうけど。
ただ何かのせいで「不快にさせられた!」と感じやすい人は
自分らしく生きるとか、自分の感覚を信じるとか、苦手だろうなと思う。
「嫌な思いをさせてくるこの出来事があったから、私はイライラしている」と思いやすい人は、なにか嫌なことが割り込んできて、その出来事に自分の感情が持っていかれる。
このイライラが自分の感覚だと思っている。
嫌な思いをさせられた、から。
でも「させられた」という受け身な生き方は、一生、外側に振り回される。
自分の感情を自分で選べないんだもん。
自分の感情や日常を、他人(自分の外側)に支配されているともいえるんだけど、そういうときってどこか諦めがあることも。
たとえば、感情は選べない、反射で湧くものだとかね。
そういうものだという感覚は諦めでもある。
諦めて苦しくなかったらいいんだけど。
「勝手に嫌われる」と書いた作家さんは、自分で人生を創造するのが当たり前の生き方なんだと思う。
自分で創造できると思っている人は、他人のふるまいに気分を害しても、その気持ちを観察し、次はどうするかを決めていく。
「この人、おもっていたのと違うなあ」と感じたなら、
「思ったとおりじゃないって感じたけど、思ったとおりってなんだろう?」
「わたしの思ったとおりってことは、わたしが相手を決めつけていたってことかな?」
「決めつけておいて、思ったとおりじゃないって、相手のこと全然考えていない……」
こんなふうに自己対話して、例えば
「契約の前に相手の人となりを知ることを大事にしてみようかな」と
違う選択・行動をしていけば、去るときに人に捨て台詞は吐かない。
その嫌なヤツがいたから、次の出会いがより良くなる。私は幸せになっていくと思ったら、捨て台詞はおかしいよね?
嫌だなと思ったら、それを自分の糧にして人生を作っていく材料にする。
作家さんは、そういう人だからはっきりと「勝手に嫌いになっていく」と言えたんだなと思った。
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