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【だれかのじかん】くらっしゅのりおさんの巻

「最近どうですか?」と、ゆるーくお話を聞くインタビュー vol.8です。前回からちょこっと時間が空きました。
ここ最近の出来事というと、コロナが徐々に感染拡大しましたねー。感染数も連日上がってるようです。
その少し前、私は初めて脚本を書き、朗読劇というものに仕立ててもらい計5回公演しました。2週間少々前のことです。
そこで初めてご一緒した、役者のくらっしゅのりおさん。「妄烈キネマレコード」という劇団で、今も芝居を続けている方です。
演劇もなかなか厳しい状況にありますが、のりさんの2020年初夏のお話です。

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― 最近は、どんな生活ですか?

こんな状況でも、意外とあんまり変わってないね。
ただ昔の仲間、20代後半に劇団を組んでた時の仲間と飲むのができなくて寂しいなって。
昔からの仲間と話すような話は、今一緒にやってる若い子たちに話すとドン引きされる。「この人たち大丈夫か」という内容を、男女お構いなくやってるからさ。昔の演劇の世界のことを聞かれてポロッと言ったことに対して、場がシーンとなって「今なら訴訟問題ですよ!」とか。

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― 何となく分かります(笑)。のりさんは芝居を何年やってるんですか? 何歳から始めたんですか?

高校2年、演劇部出身。高1の時は軟式野球部で顧問とそりが合わずに辞めたんだけど、たまたまクラスで前の席に座ってた奴が演劇部で、冷やかしで覗きにいったら引きずり込まれた。

― 野球と演劇って、運動部と文化部で真逆っぽいですね。

コメディアンとか俳優に興味はあってさ。名古屋は関西・関東どっちもテレビで見られて両方の影響を受けたの。吉本新喜劇、藤山寛美3600秒、8時だヨ!全員集合…。学校で真似してた。

― コメディアンに憧れがあったんですね。

うん。チャップリンやバスター・キートンの笑わない芝居とか大好きだった。昔、日曜夜にNHKが劇場中継してたの。唐十郎のテント公演とかに「大の大人がこんなことを真面目にやってるんだ」と、すごい衝撃を受けた。テレビ番組とはまた違う世界があったね。よく「あなたの芝居のベースになってるのは何ですか?」とか聞かれるけど、すごいと思った全員に影響を受けてる。

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― 今のコロナの状況だと舞台も難しいですね。「リモートには飽き飽き」って言ってましたね。

うん。今の劇団で、2ヵ月続いたリモート演劇がつい最近、最終回を迎えたの。先日会議があって、もしよそからリモートのお誘いがあっても俺はやらないよって。「リモート」の後ろに「演劇」って付くのがすごく違和感がある。演劇じゃねーよって。
一つの形ではあるけど、俺はやろうと思わない。劇団の活動の一環としてやる分には良いけどね。舞台美術の男の子が「リモートが中心になったけど、まさか皆それでやっていこうなんて思ってないよね? 俺はそんなの芝居と思ってない」と言ってた。全く俺もその通り。

― リモートと生の舞台には大きな隔たりがあるんですね。舞台から中継する無観客舞台はどうですか?

それも、ナシだねー。ライブなんだわ、やっぱり。
でもこの状況じゃん。実は先日やった朗読劇も、自分の中では「ヤバイな」という気持ちもあったの。閉め切った空間での稽古の時から心配だった。でもライブがやりたい欲求に勝てなくて、やっちゃった。
当日、時間になってお客さんが来て、外でお金払ってワイワイしてる声を聞きながら緊張がMAXになっていく感覚は、何にも代えがたいね。その時間をライブで見せる。それ以外は全部違う。すごい拒否反応がある。

― お客さんの存在のあるなしってこと?

そうだね。そこに来てること自体が奇跡だと思った。生きた人がそこに座って、じっと見てる。「楽しみにしてくれて、飢えてるお客さんがいっぱいいる」と改めて思った。やる前は「皆そんなの来ないよ」という思いもあったの。それが一瞬で予約で埋まったじゃん。「え?」と思った。「何だコレ、どっちも飢えてるんだ」と。あれがなかったら俺は今どうなってるか。それくらい気ぃ狂いそうになる(笑)。

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― そんなに…!(笑)。あの日程はギリセーフで、今ならもうできないでしょうね。次の予定はあるんですか?

何にもない。劇団としての予定は全部消えた。宙に浮いたまま。うちはずっと小劇場でやってきて、来年2月にも劇場を押さえてあったの。少し大きなホールを目指して「勝負だね」と言ってた矢先だった。うちの若い子たちもリモートにどうしようもなさをぶつけたと思う。
劇団として存続していくためにグッズ販売したりしてる状況だけど、よく我慢できるなと思う。俺は我慢できなくてやっちゃった。個人的には本当にあれがあって、またちょっと生きていける気にさせてくれたよね。

― そこまでライブの魅力はすごいんですね。

怖さと、その時しかない時間。一言喋ったらその時間は終わりじゃん。時がどんどん過ぎてくのが体感できる。そんな中でしか生きられないんだよね。
高校生で初めて舞台に立ったの。すごく練習して人様の前に出て、いろんな人から良かったよと言ってもらえて。芝居に出会ってなかったら、どうなってたんだろう。

― 芝居によって自分が助けられたり、人を助けたりする感覚ですか?

若い頃は助けられてばっかり。人の注意も聞かず、勢いだけでダーッとやってきた。助けた感覚は、年いってからだよね。
こないだの朗読劇でさ、終わってから今にもワーッと泣き出しそうな人が俺の前に走って来て、ウンウン頷いて、見つめたまま何度もウンウン頷きながら帰ってった人がいたの。もうめっちゃ分かる。
うん…、もうこの世にいないんだけど、直木賞作家で劇作家のつかこうへいさん、彼の作品を名古屋で上演する劇団を俺が主宰してたの。つかさんから直々に「脚本使用料は一切いらない。その代わり料金をなるべく安くして、たくさんの人に見てもらえるようにしてほしい」と言ってもらえた。
惚れてしまう作品や人、俺はつかさんがまさにそれだった。話す言葉、書く言葉が大好きで、今ならコンプライアンスに引っかかることばっかり(笑)。つかさんは在日なんだけど「日本人のお前らより日本語うまく使えるぞ、直木賞を獲ったぞ」と平気で言っちゃう人。もろに影響受けたね。
20代後半に自分で劇団を立ち上げて、名古屋でつかさんをやる劇団と銘打って、年1ペースでバンバンやってた。30歳になった時に「あれ、この先つかさんが書かなくなったら俺たちの劇団は成り立つのかな?」と、急に経営者みたいな感覚になり、急に何トンという錘がドカンと落ちてきて動けなくなったの。団員たちに「ちょっと休みたい」と言った。33歳から43歳の10年間、実は芝居を一切やってないんだよね。仕事も辞めて、半分引き込もりみたいになってた。
人が人に与える影響、トップにいる人の言葉や作ったものの影響はデカいなと思ったのは、そこ。一気に自分が落ち込んだ。

― それが引き金になったんですか?

欲が出たのもあると思う。来場数が右肩上がりで、名古屋のアマチュア劇団では5本指に入る劇団になってたの。いろいろ身動き取れなくなってその場を去って、それきりになった。周りからも「あいつはもうダメだ。二度と戻ってこない」と言われてた。

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― もう一度やろうと思ったのは、どうして?

40過ぎくらいで、嫁さんが所属してた劇団の公演を見に行ったら、なんか途中でドンと来たの。その劇団から「来年アトリエで公演をする。出ない?」と急にオファーが来て、43歳で復帰した。
俺が立ち上げた劇団にはすごくセンスとやる気のある看板女優がいたんだけど、その子が俺の復帰を一番喜んでくれたの。「のりさん、また何かやろう!」と言ってた矢先に、その子がガンで亡くなったの。36歳だったかな。
亡くなったのが、俺が復帰した芝居の最終日だったんだよね。「なーんだ」と思って。これからまた一緒にやれると思ったら、いなくなっちゃった。
でも「きっとこれで終わったらダメなんだろうな、おっさんがジタバタしてる姿をあいつに見せたらなイカン」と思って、そんで今も生きてんの。
そっから10年また経ったね。悔しい思いを少しでもさせてやろうと思って、今につながってる。

― いろんな人を背負っていくというか、もう会えない人、死んだ人、いろんな人の力を借りて生かしてもらってる感じが、私もあります。

うん。先日の朗読劇の少し前にも、実は一人亡くなってるの。俺が19の時から知ってる先輩でさ。舞台をいつも見に来てくれたんだけど、舞台の当日メールが来て「ちょっと無理だ」と初めてドタキャン。それが最後だったね。
クサイ話だけど、俺が勝手に思うんだけどさ。「どんな状況でもお前は続けていけよ」「やれるうちはもがいていけよ」と言われてる気は、ずっとしてるね。
辞めない理由のひとつはそれもあるし、辞める理由も今はないし。
そう思ったらムダな力が抜けて、今ようやく求められてる芝居がやれる感じになってきた。台詞ひとつでも、若い頃はやたら色気を出してムダに動いてやってたのが、ドンと座ってやれるようになった。
これが自分のやり方だと勝手に思い込んでたものがなくなって、ドーンと座って台詞が言える。そういう芝居ができるようになったね。
「ようやくここかー」って、思ってる(笑)。

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私は「芝居」というものには素人でよく分からないのですが、くらっしゅのりおさんの芝居を稽古から間近で見ていて、気づいたことがありました。
ひとつの台詞、例えば「そうですか」と言う時に、笑って言おうが、泣きそうな顔で言おうが、届く感情にはあまり差がないということ。
必ずしも楽しい時に人は笑わないし、悲しい時に泣くわけじゃない。楽しくても無表情なことはあるし、悲しいのに何故か笑ってしまうことがある。それでも、その奥にある感情が伝わるのは「佇まい」なんじゃないかなと思います。彼は、そんな佇まいを表現できて、確実に伝えてくれる役者さんでした。

コロナはまだ続くのかな。続くっぽいですね。しかしながら、生活も続きます。



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