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日々のこと 0611

個人のWeb日記を二つ三つ、時々読んでいる。誰かのいろんな日常がそこに流れているのを見るのは楽しい。知らない人でも、読み続けているとなんだか知っている人になる。

そのうちの一つに、毎日コツコツ書かれているブログの日記がある。
公開されるとツイッターにお知らせが上がるので目に付けば読んでいたのだが、そういえばこの頃はそれを見かけない。さかのぼるとツイートも止まっていた。何かあったのかな? と心配になって本体のブログに飛んでみると、一応日記の更新は続いていた。ちょっと安心する。
でも、かろうじて更新している、という雰囲気。体調も精神面もうまくいってなさそうな様子が見て取れた。
直接の知り合いではないので見守るのみで、コメントを送るようなこともしていない。心の中でだけエールを送っている。最近は徐々に上向きになってきているようで、少し安心している。

SNSは続けていると生存確認の意味も出てきてしまった。「今日も元気そうだなー」とか、いろんな人に勝手に思っている。知り合いや顔が分かる相手なら、なおさら。
以前、そこそこ有名だった人のアカウントが急に消えたことがあった。まあそんなこともあるよなあと思っていたのだが、かなり時間が経ってから当人と親しかった人たちが異変に気付いて騒いでいた。
意外とみんな、分からないものなんだなと思った。私だってたまたま気づいただけで、ネット上から誰かがいなくなっても、そのままになる方が多いと思う。別に死んだわけじゃないなら、途絶えようが消えようが大したことじゃない。私自身も含め。

でも、ネット上ならまあいいとして、実際に何かがいつのまにか消えてしまうことは結構ある。
こないだ仕事場の近くに新しい飲食店ができたと聞き、わくわくした気持ちで見に行った。そこは一年くらい前まで洋菓子屋さんだった場所で、そこへ行くまで、私は以前の店のことをすっかり忘れていた。いつのまにか洋菓子屋さんがなくなっていたことにまったく気が付かなかった。そこでケーキを買ったこともあったのに。「美味しいー」とか言って喜んでいたのに。

新しく目の前に現れるモノには「おおっ!」と誰でも飛びつくけれど、音もなくスッと世界から消えていくモノには、とても鈍感になってしまう。今だって気づいていないだけで、近くにあったはずのものがなくなっているかもしれない。
気づかずに過ごせているということは、それだけのものに過ぎない、とも思う。なくても別に良いのかもしれない。でも何かすごく大事なものをなくしていても、私はきっと気づけない気がする。



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