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日々のこと 0624

気分の上下が少ない人というのは、どういう構造になってるんですかね。
うらやましいので、教えてほしい。
でもみんな今、サッカー見てるんでしょ。知ってます。誰も見ていないところで、私はサッカーを見ずにこれを書く。

私は多分、気分の上下幅がある方だと思う。
嬉しい時はもう嬉しくて、いてもたってもいられずに、全身の毛穴という毛穴から鼻歌が飛び出してくる感じ。幸せいっぱいにラララの合唱が鳴り響く感じ。青空の下にずらり並んだ心のチアリーダーたちが、脚を高く上げながら満面の笑みでポンポンを振っている。

ショックなことがあると、マンガみたいに頭上に「ガァァァン」というデカい文字が落ちてくる。背景に集中線が入る。亜熱帯植物が生い茂る湿地帯の沼に、ズブズブ沈んでいく。容易に浮かび上がれず、結構くよくよする。
でも24時間その状態というわけではない。雲の切れ間のように現れる楽しみは楽しめる。表面上のコントロールもできる。根が雑なんだと思う。

動じない人がうらやましい。常に平常運転な人は、どんな感じなんだろう。
嬉しくても「ふふっ」、悲しくても「チッ」くらいの感じなんだろうか。
つらい気持ちも少ない代わりに、嬉しい楽しい大好きー!の極限ハッピーにもならないのだろうか。だとしたら、つまらない気もする。
でも多分そんなことはないんだろう。嬉しい時は嬉しいし、悲しいことは悲しいんだろう。「どれくらい幸せですか?」なんて結婚会見みたいな質問は意味がない。人の心の度合いなんて、分かるわけがない。

平常運転の人はなにも血が緑色とか無感動というわけではなく「切り替えが上手」ということなのかもしれない。嬉しくても悲しくてもサッと次のことに移れる、ということかもしれない。
でも私も、楽しい時間はかなり楽しく過ごせているんだけどな。人と会ったり映画を見たり、楽しい時間は心底楽しい。しかしそれが終わると、どんより地帯へと静かに舞い戻っていく。夕焼け空のカラスが巣に戻っていくように、私はどんよりの巣へと帰る。可愛い七つの子はいない。何が違うんだろか。

そんなわけで、現在まだ沈み中である。面白かった本の話とか、書きたいこともいろいろあったのに、全然書けなかった。そして今これを書けている自分に、だいぶ浮上してきたっぽいぞと思っている。ここは私のバロメーター。付き合わせてすいません。サッカー見ていいですよ。

沈んだ気分から浮上するタイミングは経験上、自分の場合

①沈み切って、底を打った時
②飽きちゃった時

のいずれか。①も②も、そろそろ近い気がする。もう結構ながく沈んでいるので、この状態に飽き始めている。
そうはいっても、きっと上下しやすい。そこは仕方ない。上がったばかりですぐ下がる、赤あげないで白さげる、みたいなことも普通にあると思われる。安心はできない。できないが、今、これを書いてて、なんだか結構楽しいよ。サッカーは結果だけ見ます。





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