日々のこと 0121
実を言うと、最近は全然ダメな感じ。頭と心と体が全部バラバラに動いている。
思っていることと行動と態度がちぐはぐで、自分で自分への違和感がすごい。
今年に入ってからずっとそんなふう。おみくじは確かに大吉だった。神様は信用ならない。下がり状態が続いている。つらくて、しんどい。
そんなバラバラな私を支えているのは、社会性じゃないかと思う。やらなくてはいけないことや、やるべきことにどうにか支えられている。
泣き出す寸前みたいな気持ちでいるところに「こんにちはー」と声をかけられると、パッと笑顔で「あ、こんにちは!」と返すことができる。
仕事の相手に「じゃ、よろしくお願いします」と言えるし、「次はこういうのどうですか?」とかも言える。普通だし当然だ。
仕事だけじゃなく、日常の楽しい会話もできる。最近のオススメ映画とかを聞かれれば、「コレ、すっごく面白いよ」と楽し気に粗筋を説明することもできる。そしてそれは実際に楽しい。無理をしているわけじゃない。反射的に出る。
でも、それは刹那的。会話が終わった瞬間、一瞬にして私は闇に戻っている。
昔の私は社会性というものが全くなく、露骨に感情を態度に出していた。とにかく愛想笑いというものが一切できなかった。「あの人がキライなんだね。見ててすぐ分かったよ」と、親しい人によく笑われた。愛想笑いはカッコ悪いもので、不要なものだとも思っていた。
今もまだちょっとそういう部分は残っている。あんまりオトナじゃない。素直といえば聞こえはいいが、要はコドモだ。昔の方がもっとコドモだった。年を重ね、知らないうちに無理なくできるようになった。ガマンではない。
数年前、学生時代の友人が私を小さなパーティに誘ってくれて、当の友人がそのパーティに遅れたことがあった。知らない人しかいない会に私を一人にすることが心配でたまらなかった友人は、ハアハア息を切らして現れた。が、私はみんなとニコニコ話し、楽しそうに溶け込んでいた。友人は拍子抜けしたそうだ。「すごく心配したのに! 昔は人見知りで誰ともしゃべれない子だったじゃん!」と、怒られた。
昔の私は、本当に知らない人とは喋れなかった。今は誰とでもガンガン話せる。「私、人見知りだから」と自分で言う人って自分に甘えてるだけだよなーとすら思っている。
ただ、とにかく今はなんかダメだ。
でも私が年月とともに培ってきたらしい、私の中のささやかな社会性にとても助けられている。それがなかったら、本当に闇から出られなくなっていると思う。「社会性なんていらねー」とか思う若い人も、身に付けておくといずれ便利ですよ。
もしかしたら社会性なんて良い感じのもんじゃなく、誰にでも平気で話しかけていく強靭な「おばちゃん気質」が育ってきただけかもしれない。
おばちゃん気質って、かなりイイものですよ。もっと育てたい。
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