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日々のこと 0521

毎月毎月、映画の紹介原稿を書いたりしてるのですが、月に必ず何本かある「〇〇の素顔に迫るドキュメンタリー」。
みんな本当に素顔に迫るの好きだなーと思う。そんなに見たいかな、素顔。
謎に包まれた人の素顔、演じていない素の顔。
叶姉妹の素顔もデーモン小暮の素顔も私は全然見たくないです。その人が見せたい顔として見せてくれてる顔なら、別にわざわざ違う顔を見なくても…と思う。でも叶姉妹の卒業アルバムが目の前にあったら、やっぱ好奇心で見ちゃうかな。

でもきっと、みんな好奇心だけじゃないんだよね。「君が隠してる素顔を俺にも見せて」ってことなのか。OLの給湯室的会話、本当に聞きたいですか? ヒドイ悪口を言われていても大丈夫?  たぶん言われてます。
つまり「俺だけに見せてくれる本当の〇〇ちゃん」てのが好きなのかな。でも「本当の私」なんてもの、ないですから。
リラックスしてる時が本当の自分だということもないと思う。私が最も冷たい対応をしてしまうのは、たぶん身内。でもそれが「本当の私」だと思われるのは心外。気は許してるけど、本当かというと違う気がする。家族にも、恋人にも、友達にも見せる顔はそれぞれ違う。話し方も笑い方も、たぶん全然違う。相手によっていやでも変わってしまう。対個人ってだけだ。

少し前に「電話の相手が途中で入れ替わる」というビックリ体験をしたことがある。話している最中に、いつのまにか相手が替わっていた。まったく気づかなかった。意地悪で嵌められたわけではなく事情があったらしいが、後で「あの人にはすごく優しい話し方なんだね。驚いた」と言われて「えー!」と衝撃を受け、顔から火が出た。どっちも好きな相手でわざと差をつけてるつもりは全然ないのに、相手の性格や雰囲気で私の口調は変わっているらしい。なんかすごく恥ずかしい。

雨に濡れた捨て猫に、人知れず優しく笑いかける彼は「本当の彼は優しいのね、私にはいつも冷たいけど…」てわけじゃないと思う。「猫には笑いかけますが、君にはこの冷たい顔です」だと思う。本当の顔を見ようなんて、もうあきらめるしかないと思うんだ。
あ、でも「普段は上品だけど、一人になると噛んだガムをポイ捨てする子」とかなら分かるかもしれない。そっか、そういうの見たくてみんな「素のドキュメント」見てるのか。違うか。

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