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姉妹差別・友達との比較をされて育ちました

私は3姉妹の長女です。
毒母には姉妹差別をして育てられました。
だから姉妹仲はとても悪くて、結婚してからは、妹の苗字も分からないし、どこに住んでいるかも知らないし、一切の関りを断っています。
多分毒父が死んでも私は葬式には行かないので会うことは無いし、お互い死んでも分からないと思います。

私は「お姉ちゃんなんだから」「お姉ちゃんのくせに」とよく言われていました。
食器が割れていても、金魚が死んでも、料理を焦がしても、全部私のせいにされました。
妹がやった悪いことも全部私のせいにされ、姉妹喧嘩をすると「あんたはお姉ちゃんのくせにとても意地悪だ」とけなされたり、妹が歯向かってくると「やれ、やれ、もっとやれ」とけしかけられたりしました。

愚痴のごみ箱にもされましたね。
少しでもそっけない態度をとると、「あんたなんか生まなきゃよかった」「あんたたちがいるせいで離婚できない」と、わめき散らかされました。
毒父の顔に似て反抗する私は搾取子、何でも言うことを訊く末の妹は愛玩子でした。

毒父からの攻撃も長女の私が一番多くて、妹たちは私を盾にして自分の身を守っていました。
長女の私はアルバイトもお友達と旅行に行くことも禁止され門限も厳しかったのに、妹2人は自由でした。
ずるいな、と思いました。

あと自分のお友達と比較されるのもつらかったですね。
あの子は可愛いのに。
あの子は運動ができるのに。
あの子は頭がいいのに。
それに比べて
あんたはなにをやってもダメな子
あんたはずるい子。
あんたはバカな子。
あんたは不器用な子。
なにをやっても褒められたことなんて一度も無い。

毒母はもう死んでこの世にはいないけれど、もし生きていたら、姉妹間で、夫比較、収入比較、孫比較もされたでしょうね。
年老いて執着される前に死んでくれて本当に良かったと思います。

私は自分が姉妹差別、兄弟差別をしてしまうことが怖くて、子どもは一人しか産みませんでした。
毒親育ちですからね、子どもを産むことさえも、とても怖かったです。
毒母になるのが怖くて、生後2か月で娘を保育園に預けました。
娘のことは、ほぼ90%は保育士さんと夫が育てたと思います。
私は衣食住の世話しかしませんでした。

奇しくも私も毒母と同じ精神疾患になってしまい、でも娘を愚痴のごみ箱にしないように、人格否定をしないように、お友達と比較しないように育てよう!そのことだけは固く心に誓っていました。

成人した娘が私をどんな母親だと評価しているかは分かりません。
でも私なりに毒母を反面教師にして精一杯子育てしてきたつもりです。
もう私を苦しめる毒母はいない。
神様はいるんだなと思います。
これからは自分の為に生きたいですね。





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