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身体的虐待や精神的虐待は「躾」?「教育」?

私はバリバリの昭和育ちで、家庭の親や、学校の教師や、職場の先輩・上司は、子どもや教え子や部下のことを、躾だ・教育だ!と言いはばかって、身体的暴力・精神的暴力で自分のいいなりにさせようという人が多かった。

私の毒父は職場のストレス、夫婦間の不和、子どもが自分に気に食わないことをした、言った、ということで、無力な子どもに、まだ自分で稼いで家から出ていくことも適わない子どもに、本当に酷い虐待の限りをぶつけてきた。

毒父は職場でもパワハラとモラハラが酷く、部下が自殺したことがあった。
それを「根性がないからだ」「俺が躾けてやったのに」と、偉そうに部下の死を喜びながら妻と子どもに報告していた。
毎年毒父に届く年賀状は、部下たちからの反省文だった。
最後は妻まで追い詰めて殺しちゃうんですけれどね。

毒父はこの世に生きていてはいけない人だ。
もしあの世に神様や閻魔大王様がいるなら、罰せられていい人間だし、地獄があるなら落ちてもいい人間だ。
今はこの世で子ども全員、親戚全員に見捨てられて、孤独という名の罰を受けていますけれどね。

私は自分の感情が抑えられずにする虐待を「躾だ」「教育だ」と正当化する人が大嫌いだ。
毒父も、その親からすごく酷い仕打ちを受けて育てられたのだろうし、子どもの数が多かったのと、高度経済成長で、どんな手を使ってもライバルを蹴落としていかなければ生きていけない時代だったのでしょう。

虐待が連鎖するのは本当です。
自分が人の子の親になる前に、自分の心の中には虐待の芽があるんだ!ということを骨の髄まで感じて、自分の親子間の関係を見つめ直して、親にされて嫌だったことは子どもにはしない。子どもに自分の子ども時代の八つ当たり、鬱憤ばらしをしないように、気をつけなければならない。

毒親育ちが家庭を築くことが怖い、子どもを産むことが怖い、というのも、自分も同じような不幸な家庭を、子どもを虐待するような親になってしまうのではないか、という恐れがあるからなのだと思います。
私はそうでした。
結婚してから妊娠を決意するのに5年掛かりました。
2000年の頃は女性が子どもを産まない権利って無かったんですよ。
もし令和の今、自分が20代から30代だったら、子どもは産みたくないと主張したと思います。
運よく夫が超愛され育ちだったので、私や子どもに虐待をすることもなく、愛情をもって子育てしてくれたんですけれどね。

あと、毒親が子どもは自分の分身である、自分の言うことを聞いて、思い通りの生き方をして当然である!という支配をしたがるケースも要注意ですね。
毒父が共依存の過干渉で支配型でした。
結婚した子どもの家庭や会社にアポなしで凸して、やりたい放題なケースです。
「やめてくれ!」と口で言っても分かりませんから、疎遠にして、携帯・Lineはブロックして、住民票の閲覧制限を掛け、なるべく遠くに逃げるしかないですね。

私は、持ち家だったので引っ越しして逃げるはできませんでしたが、「お父さんのことが怖くてもう会いたくありません!」とSMSで告げたら、その後は音沙汰が無くなったので、ラッキーでした。
ずっと子どもの頃から言いたかった言葉で、毒父が一番言われたら傷つくキラーワードだと知っていたのです。
毒父から最後に「自分は正しいことをしてきた」と返信がきましたけれどね。

親から距離的にも、精神的にも、経済的にも完全自立するって、なかなか難しいことだし、親は子どもがいくつになっても子どもだって思っているし、年老いて自分が弱ってくれば、今度は自分が子どもに面倒みてもらおうと距離を詰めてきますからね。
介護は自力で何とかしようと思ったら人生潰されます。
なるべく早く福祉に繋いで、介護サービスや介護福祉施設のお世話になったほうがいいです。

本当の意味で親から自立するって、子ども側に強い心の力が必要なんだと思います。
結婚したら、親も舅姑もよその家の人、つまり他人です。
「薄情な娘」と親や世間からは思われてしまうんでしょうけれど、自分の心、自分と家族の生活を守ることが一番大事ですからね。
私はそう思います。








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