生きづらい人が「努力の仕方」を身につけるにはある程度の年齢が必要かもしれない話
生きづらさを抱えていて、メンタルの調子も崩して、就活を放棄したことは以前書いたけど、これってもしかして、
努力の仕方=着地点を見つける時の「自分なりの」メソッドやセオリー
これがわからなくて放棄した、ということなのかも?ということに最近気がついた。
この「自分なりの」というのが大事で、他者のものさしでのメソッドやセオリーをそのまま使おうとすると苦しくなって拒否反応が出る。
私はそこで全部ぶん投げて引きこもったし、人によっては反社会的な方向に行く人もいるかもしれない。