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ないがしろ

去年は安部元首相の殺害事件をきっかけに宗教二世がメディアで取り上げられるようになり、うちの母は私が小二のときに洗礼を受けてクリスチャンとなり、強制ではないけど子供の頃は教会学校に通っていたので、なんとなく他人事に思えなくてラジオのポッドキャストでよく特集番組をチェックしてました。そしてあるときはたと気づいたのが、むしろ自分は宗教一世である信者の人並みに強迫観念にガチガチに縛られているのではないか、ということでした。そのことや、小二で受けた性被害に端を発する自己蔑視感などなどが複雑に絡まりあって、もんのすごく強固なバグが自分の裡に形成されてきたようだなと。
そのようにme too運動や宗教二世問題のおかげで得られた個人的な知見は計り知れないくらい大きくて、声をあげて活動されている方には敬意と感謝を強く感じております。

最近、人に薦められた東田直樹さんの本を読んでぼろぼろ泣いてしまいましたが、なんなら自分も自閉症スペクトラムの特性、けっこうありそう。お勉強はできたから優等生に見られてたけど、学校生活でいい思い出ってもはや記憶にない。

昭和生まれなせいもあって辛いことは我慢して乗り越えるみたいな根性論的デフォルトは身体感覚に染みついていて、生来の過敏な面や成長の過程で十分な安心感が得られなかったことによるバランスの悪さは、どれも致命的なほどではなかったにせよ、長期間に渡って負荷がかかるうち、いつしか双極性障害を発症させるくらいになったのかな。わかんないけど。

けど、それって決して自分が特別に不幸とかじゃなく、ごくごくありふれた事象で、そんな風に自分を解きほぐすだけの時間と心の余裕が今ここで与えられていることこそがありがたいです。

自他ともに認める酒好きですが、お酒で強制的に身体の緊張をリセットすることに依存しているのを自覚しはじめて、たしかにそれは「緩慢な自殺」ともとれることが腑に落ちてきました。ヨガを始めて三年近く経ってようやくほんの少しずつ体の声に耳を傾けることができるようになってきて、デフォルトになっている身体の緊張を緩めることができると嘘みたいに楽で、子供の頃に風景を捉えていた身体感覚がおぼろげに蘇ってきたりもして、これまで何だったのさー!と愕然とするけど、そのぶん、井戸の底から見上げた青空のうつくしさは贅沢に味わってこれた。

これからの残りの人生は、できるだけ自分をないがしろもなおざりにもおざなりにもしないよう心がけたい。
そしてできることを周囲に返していけたらと思ってます。


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