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二〇二二年七月


八月になりました。朝から気温はすでに三十度を超えてます。暑さに強い体質、風通しの良い団地住まいといえども、ここ数日は昼下がりや寝る時さすがに冷房のお世話にならざるを得ず。いやはや、夏ですねえ。

先月、七月は、世の中の動きも自分の身辺も、なんだか激動の一ヶ月だったなあとつくづく感じます。頭の中を整理するためにも、久しぶりに、言葉を綴ってみたくなりました。

六月末は変に暑かったですよね。異常に早い梅雨明けと共に到来した真夏日に全く体がついて行かず、この先ずっと猛暑が続くことを想像すると気が遠くなりそうな思いでしたが、とにもかくにも重要な選挙はやって来るし、日々のアルバイトや楽しい用事もちょこちょこあり、演奏予定だって決まってる、やれることをがんばって行こうと汗かきつつ日一日それなりに暮らしていたわけですが、元首相の暗殺という超ド級のとんでもない事件が勃発。翌日には20年ライブに通ってきたミュージシャンの単独公演でしばらくぶりに一人都内に出かけて感慨に浸りまくり、友だちがうちに遊びに来てくれたり、近所の川が氾濫危険水位に至るほどの豪雨もあったり、そして自分のライブ予定が迫って気忙しくなってくる中、体調を崩した同居人がコロナ陽性と判明し、急きょライブもバイトも棚上げで濃厚接触者として引きこもり看病生活に突入したのでした。

おっかなびっくり一緒に暮らし始めて三ヶ月弱でしたが、一つ屋根の下での別居生活を始めた途端、長年に渡って実家で不仲な母とまるで下宿人の如く暮してきた感覚が自動的に蘇ったことには驚きました。体に染み込んだ歳月の重みよ。ごく最低限の買い物以外は外出せず、粛々と病人と自分の食事の準備をするだけの単調な生活はそう大変でもない筈なのに、段々とストレスが溜まり、子育てや家族の世話がいかに大変か思いを馳せる良いきっかけとなったし、そしてこの春からの新生活が自分にとっていかにありがたいものであるか、つくづく身に沁みました。

同居人はごく軽症の部類だったようだし、運のよいことに自分は無症状で(同居人が通院した日に無料PCR検査を受けたら陰性でした)県のガイドラインに沿って自宅待機期間の5日目6日目に抗原検査したら陰性だったので、誕生日の一日前に自宅待機を解除し、晴れて年女となりました。思えば一年前の誕生日は大げさでなく人生どん底だったので、今いるところが不思議でならなくて。同居人と、周囲の人と、自分の生命がただ生きていこうとする力に助けてもらったように感じてます。不安なことも相変わらず多く、白髪はずいぶんと増え、多少の諍いもあるにはあるけれど、日々ありがたいです。ありがとう。

そして、同居人が職場復帰して自宅隔離生活も完全に解除で大丈夫かなと気も緩んだ矢先、バイト先の店長の二度目のコロナ感染が判明したのでした。いやはや。いろいろあります。

結果として今月後半はあまり人と顔を合わせず引きこもりがちな日々を過ごしてました。そもそも銃撃事件の後からいっそうネット浸りの生活になっていて、「失われた30年」という言葉をよく目にしていたのですが、濃厚接触者としての自宅待機期間の半ばからは読書にのめり込み気味で、ずっと関心の薄かった歴史や地政学についての本を今このタイミングで何冊か読み、ここ十年ほどツイッターやネット経由で得てきた一面的な知識がようやく立体感を持って自分の中で整理されつつあるような気がしてます。今さらですが、やはり年齢に関わらず勉強って大事だし面白いなと。

去年体調を大幅に崩してから、病気や、物事の受け止め方の偏りをわずかでも改善できたらとあれこれ本を読んでて、そういえばヨガを始めたのもコロナ禍がきっかけだったし、世の中も激変したけど、思えば自分も随分と変わりました。この春に取った資格の勉強も面白かったし、知識を深めて内面に目を向けるだけにとどまらず、ゆくゆくは、この経験を少しでも人の役に立てることができたらなと希望的には思います。苦しいこともそれなりにあったけど、いっぱい恵まれてきて、今こうして何とかやって行けてるのは、ある意味、僥倖ですらあるような気がするんです。とはいえしょっちゅうくじけそうになってますけど、今も。

かっこよくも華やかでもないし、情けないことばっかりだけど、亀の歩みでちょっとずつでも、前に進めたらなあ。

隔離生活中、ふと目が覚めたら東の空がえらく綺麗で、隣の部屋をノックして窓越しに綺麗だねって言い合った朝がありました。

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