誰もが自分だけの物語を持っている。そして、

意を決して始めたインタビューとライティングの講座の初日を、無事に終えることができた。
よかった…。
私は今、心底、ホッとしている。

告知前は「3人も集まっていただければ万々歳かな」と思っていたのに、蓋を開けてみれば大変熱心な方々がすぐに手を挙げてくださって。

当日のその時間を迎えるまでは、ソワソワドキドキで、「果たして期待に応えられるだろうか?」と落ち着かない日を過ごし、パワポを何度も練り直していた。

講座は「限定10名」という少人数制。
マイクの要らない距離感で一つのテーブルを囲み、発言自由の雰囲気にこだわった。
1月に募集した第1期(2020年1〜2月・2時間×全3回)には、ライターが本業である方だけでなく、イベントプロデューサーや大手メーカー広報、企業のビジュアルブランディングを担う方などなど、
「伝えること」に携わる多彩なメンバーが揃い、とても魅力的な学び場になった。

それぞれの立場から語られる「聞く価値」「書く価値」を受け取るたび、ひたすら感動していた。
講座を開催して一番学んでいるのは、きっと私だ。
それに見合うお返しをしないといけないと、一層気合が入った。

初回は「インタビュー以前の心構え編(マインドセット編)」としてお話ししたのだけれど、事前に用意したパワポは50枚近くになってしまい、時間切れになった部分もあるので、また次回ゆっくり説明しようと思う。

お話しした中でも特に参加者の反応が得られたエピソードの一つが、「私がなぜ大手出版社を辞めてまで、インタビューを主軸に独立しようと思ったのか」という原点についての話だった。

3月から始まる第2期以降の方々にもお話しする予定だけれど、このエピソードは私の自己紹介の一部に過ぎないので、ここにもざっくりと書き留めておこうと思う。

私がインタビューの魅力を知ったのは、新卒で日経ホーム出版社(現・日経BP)に入社して初めて配属された「日経WOMAN」という女性誌での仕事がきっかけだった。
当時の上司・先輩には本当に恵まれて、新人にもかかわらず、4月から特集班に入れていただいて、毎日毎夜、取材に明け暮れていた。

今もそうだが、「日経WOMAN」は働く女性のための月刊誌。取材対象は著名人やすでに活躍中のビジネスリーダーだけでなく、一般の働く女性たちに積極的に誌面に登場いただく媒体だ。
特集のテーマは、毎月集計する読者アンケートの傾向を愚直なほど濃く反映し、編集部員は、アンケートの回答画面(2000年代始めの頃は、まだエクセルシートで管理していた)を一つひとつスクロールし、「転職」や「資格」「恋愛」「留学」「一人暮らし」といった、働く女性にまつわるあらゆるテーマについての思いを吸い上げていた。

私は新卒からこのカルチャーに馴染んでいたので、これが当たり前だと思っていたのだが、某ファッション誌から転職してきた同僚が「え、本当に読者アンケートを参考にしているんですか」と驚いていた(その反応に、私は驚いた)。

毎月、自分が担当する特集が決まると、テーマに沿ったアンケートの問いを立て(これも大事で緻密な相談をしていた)、回答を楽しみに待つ。
回答数は多い時は1,000を超え、少ない時でも300はあった。

私がいつも圧倒されていたのは、エクセルを最後までスクロールして読める「フリーコメント」の回答欄だった。
そこには、仕事やプライベートの悩みについての、溢れんばかりの思いがギッシリと書き連ねられていた。
選択肢の回答だけでは収まり切れない思いを、ぶつけている人が何人もいた。
書かれてあるのは、身の回りに起きた出来事やそれにまつわる葛藤、「こうであったらいいのに」という熱望や、家族や友人にも打ち明けたことのない秘密など。

そんな“思いが溢れ出している人”を見つけては、個別取材を申し込み、実際に会いに行った。
「読者取材」は何よりも大事にすべき、と先輩からも教えられていて、他の部員も皆、そうしていたと思う。
読者=働く女性なので、取材時間は一般企業の勤務外の時間、つまり、平日夜か週末に集中した。
電話取材も対面取材も同じくらいしていたけれど、私はやっぱり対面取材が好きで、多少遠くても片道1時間くらいまでの距離なら、まったく気にせず出かけていた。

取材協力してくださる読者の勤務地、またはご自宅の最寄り駅のカフェで。あるいは、ランチタイムを指定してもらうこともあった。
当時の手帳には、読者取材だけで1日3件とか、普通にやっている。苦に感じるどころか、本当に面白がっていたのだと思う。
だから私自身の帰宅は連夜遅くなってしまっていたのだけれど、若かったから乗り切れていた(今はムリ^^)。

話をしてもらった相手は、取材を受けることにも不慣れで、誌面になる時には「メーカー・営業・独身・28歳」と概形しか表されない人たち。
けれど、たしかに存在している人たちで、その言葉は雄弁だった。

はじめは「私の話なんか」と謙遜されるけれど、聞き始めると、話は尽きない。
本人にとってささやかなきっかけや転機でも、他の誰か(=別の読者)にとっては、現状を打破する救いやヒントになるかもしれない。
そういう視点で聞いていくと、どんどん話してくれた。

多分、私は1年目で確信していたと思う。

「誰もが、自分だけのドラマを持っている」
そして、
「そのドラマを、誰もが語りたがっている」と。

“つまらない人生”なんてどこにもなく、誰かの人生は必ず他の誰かの人生の役に立つ。
その橋渡しをする役割こそが「インタビュー」であり、「ライティング」である。

新人時代の読者取材で得られた確信が、今の私につながっている。


つまり、私が一番伝えたいのは“個人のための個人の物語”だ。
個人の話を最も効果的に伝えていくためには、特定の媒体に属する立場より、いろんなチャネルでの発信法を提案できる立場になったほうがいいかもしれない。
半ば身勝手な思いが膨らんで、私はフリーランスになる道を選んだ。
当時はうまく言語化できなかったけれど、今振り返るとそう思う。


以上、長い思い出話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

しかし、あらためて感じるのは、私はずっと他人の物語ばかり見つめていて、なかなか自分の物語は整理できていなかった。
こういった振り返りをじっくりできるようになったのも、「教える」「育てる」という機会に飛び込ませていただいたからだ。


憶病な私を熱心に説得してくださって、場を整えてくださった西村創一朗さんには感謝。
西村さんとは、何度も取材や対談を執筆させていただき、ご著書『複業の教科書』でも構成のお伴をさせていただいたご縁。
これまで何百回と取材を受けたことがあるだろう西村さんに、このテーマで指名いただくことは光栄でもあり、とても緊張を伴うものだけれど、引き続き私が伝えられることを精一杯絞り出していこうと思う。

2020年3〜4月開催の第2期もなんと【残り1枠】になってしまったと、昨日聞きました。

第3期の開催は未定ですが、好評でしたら続けていくつもりですので、もしご興味持っていただけたら事前登録にもご記入いただければ(一般告知の1週間前に先行案内がいくそうです)。

よかったらぜひ ↓


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第1期の皆さんと、初回の講義終了後にパチリ^^



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