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ヨーロッパでの爆発的な感染拡大は、イタリアで、こんなふうに始まった。

これを書いた3月18日には、感染者数28.710人、死亡者数は1日で475人も増えて2.978人。2月の中旬までは、個別の感染ケースが数件見つかったものの、水際対策での押さえ込みに成功していたかに見えたイタリア。ところが、あっという間に感染が広がり、中国に次ぐ大きな感染国となってしまった。事実上の外出禁止になってから10日、自粛ムードになってからを数えれば一ヶ月近くがたつイタリアの状況は、こんな感じだった。

2月21日(金曜日)

イタリア北部のヴェネト州(州都ヴェネチア)で、新型コロナウィルス感染による初の死亡者が確認される。

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2月22日(土曜日)

在ミラノ日本領事館から注意喚起のメールが入る。感染者が集中するロンバルディア州の10の市町村などで宗教儀式を含むあらゆる公的イベントの中止、生活に必要不可欠な物資、サービスを提供する仕事を除き、すべての労働活動を中断、学校は休み、などなどの連絡。この種の日本領事館からのメールはテロや大災害が起きた時などに、イタリア在留届を出している日本人全員に送られてくる。

あら、大変なことになった、とは思ったものの、150キロも離れていない隣の州ではあるものの、ピエモンテ州トリノに暮らす私は、この時点ではまだ対岸の火事気分。明日からカーニバル休暇でアオスタへ家族でスキー。イタリア人は大げさに騒いでパニックになったら面倒だから、明日、出発前にスーパーへ寄って、水やトイレットペーパー、パスタなどを少し多めに買っておこう。(その後、私の予想は残念ながら的中し、ミラノでスーパーの棚がガラガラになった、消毒液やマスクが市場から消えるなどが起こった)

2月23日(日曜日) 

スキー場は平和そのもの。アオスタは、ピエモンテ州とロンバルディア州の
どちらからも比較的近いので、両州のスキー客や別荘所有者が多い。普通にバカンスを楽しみながらも、人が多いところは感染の危険があるかも? ということで、普通なら外食するところ、定宿のレジデンスで夕食を作って食べる。こういうのを自粛というんだね。せっかくのバカンスなのに、つまんなーい、なんて能天気に思っていた。

2月24日(月曜日) 

テレビではずっとコロナ関連のニュース。感染者がどんどん増え、死亡者の増えかたも日本よりずっと早いようなのがちょっと気になる。高校生の娘の学校から、ピエモンテ州も今週いっぱい休校の連絡。もともと水曜日まではカーニバル休暇だから、たったの2日増えるだけだね、2週間ぐらい休みになればいいのに、などと軽く言っている。

2月25日(火曜日)

3月初頭に予定していた、ロンバルディア州フランチャコルタ地域へのプレスツアーが延期の知らせ。イタリアが誇る発泡性ワインの生産者などを取材して某誌に掲載予定だったのに、それもボツ。

トリノの中心街でAirbnbとして貸している我が家のアパート、滞在中だったアメリカ人の学生さんが急遽帰国して行った。これもコロナの影響。

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↑去年の今頃、フランチャコルタの取材で美味しい泡を試飲していた。その7ヶ月後、この辺りはイタリアで感染拡大の一番強烈な激震ゾーンになる。

2月26日(水曜日)

スキーから戻り、トリノの中心街で中華レストランをやっている友人にメッセージを書く。イタリアではラインではなくてwhatsAppが一般的。1週間臨時閉店を決めたとのこと。コロナウィルス先輩国の中国出身の彼女は、イタリア人は大げさに怖がって騒ぐわりに、予防策を何も取らない、と怒っている。

2月28日(金曜日)

日本の某婦人雑誌のイタリア旅行企画ペンディングの知らせ。予想はしていたけど、とても残念。フリーの私にとっては、収入にも大きく響く。

そういえば、1ヶ月ほど前、この企画のために取材候補地のツーリズムオフィスに連絡を取った。数年前に別件でお世話になったところ。その時はとても対応がよく親切にしてくれたのに、今回もお世話になりたいとメールをすると、けんもほろろな感じで断られたことを思い出す。その時は、日本の方が状況が悪く、プリンセス・ダイアモンド号のことなどもあり、感染が広がっているアジアの観光客は来ないでほしい、そんなふうに言われているような印象だった。ところがほんの2週間で状況が逆転して、もはやアジア人が怖い、でなくてロンバルディア人が怖い、なんて悪い冗談。

学校は来週火曜日まで休みが延長され、すぐにまた、来週いっぱいと変更になる。


3月2日(月曜日)

自粛ムードのおかげで、北イタリアのレストランが経営難に陥っているという。特にチャイニーズレストランは客足が激減で、一時閉店の店も多いらしい。そんな中、一部の人たちは「大げさに騒ぎ立て、経済にダメージを与えるなんて馬鹿げている。いつも通り、好きなレストランへ行き、好きな時間を過ごそう」と宣言したり、SNSに投稿したりしていた。トリノで、中国人から支持の高いチャイニーズレストランの一軒が、連日イタリア人で満員になるという現象も起きているという。イタリア語でいう「ソリダリエタSolidarieta' 」、助け合いの精神というわけだ。

この「コロナを恐るな!」的空気を作ったのは、2月27日に民主党の総書記長ニコラ・ジンガレッティという政治家が「Milano non si ferma」(ミラノは止まらない)というメッセージとともに、自らSNSに投稿したパーティで盛り上がる写真だったと言われた。北イタリアに感染が爆発的に増え、10日後には彼自身も感染が発覚。

この日の感染者数 1835人 死亡52人

3月3日(火曜日)

自粛ムードでレストランが閑古鳥という今なら、普段は予約が超困難店も、予約取れたりして? しかも値段も下がっていたりして? と思いつく。フードライターという職業柄、ミシュランの星付きレストランなどもたくさん食べ歩いている私だが、未だ、どうしても行けていない一軒で、予約超困難なある店のサイトを見てみると、やっぱり! ガラガラではないけれど、予約可能日がカレンダーに並んでいる。友人と相談して、一緒に行くことにする。家から車で行って、12席しかない店でおとなしく食べて帰ってくるだけ。何の問題もないでしょ。

それにしても仕事はすべてキャンセルで暇なので、娘のために桜餅を作る。今日はひな祭り。

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↑ひな祭りと桜餅は、実は関係ないことに後で気づく。桜の葉の塩漬けは去年日本から送ってもらったもの(賞味期限ギリギリ)。道明寺粉はもち米から手作り。


3月4日(水曜日)

250キロも離れた遠くの高級レストランへ行って、何百ユーロも使うより、
こんな時だもの、地元トリノのレストランでお金を落としてあげたほうが
いいのかも、とモデナの有名レストランを予約したことをちょっと後悔し始める。どうしよう。

感染者数 2706人 死亡107人

3月5日(木曜日)

仕事の打ち合わせに、雑誌社のオフィスへ。久しぶりに会った親しい編集者が、ハグもキスもなしの挨拶。イタリア人にとっては、「会いたかった」「会えて嬉しい」などの感情を自然にスキンシップで表現できないのはもどかしいらしく、照れたようにモジモジしてる。これが感染防止のための最近の流行り(っていう?)。でも、こんなこと役に立つかな? 私は日頃から、多くのイタリア人が、鼻や口を盛んに触り、爪を噛み、鼻をほじる(人前でだよ!)人が多いのがとても気になっているのだけど、それは感染拡大に関係ない?

3月6日(金曜日)

トリノ在住の日本人の友人宅にランチにお呼ばれ。大勢人が集まるところは避けたほうがいいけれど、個人宅で2人だから安心。美味しい和食をいただきながら、仕事がなくなって暇なはずなのに、ネットのコロナ情報ばかり見てしまって何もできない、やる気が出ない、頭変になりそう、という話になる。大学で教鞭をふるう知的な彼女でさえもそんな状態なのか。いったいみんな、どんな思いで過ごしているんだろう。

彼女のイタリア人のご主人が外出から帰ってきて、やあ、久しぶりとハグ&バーチョ(頰同士をくっつけあうキス)。え、いいの? と思うけど、まあ、いいか。

3月7日(土曜日)

ミラノを州都とするロンバルディア州全体がレッドゾーンで、その他、ヴェネト州(州都ヴェネチア)やエミリア・ロマーニャ州(州都ボローニャ)、そして私の住むピエモンテ州(州都トリノ)の一部の、合計14県がレッドゾーンに指定され、出入りが禁止されるというニュースが夕方飛び込んでくる。友人のシングルマザーK子ちゃんは、レッドゾーンに指定された街で息子と二人暮らし、ソムリエをして生計を立てているのに、18時以降はレストランやバールは営業禁止という。病気も怖いけど、暮らしのこと、どんなにか不安だろう? 

予約したレストランがあるモデナもレッドゾーン。当然、キャンセル。

3月8日(日曜日)

朝、フェイスブックやテレビのニュースを見ていると、昨夜、ミラノから南イタリアへ逃げるように帰って行く人が大勢いたとのこと。東京と同じく、「地方出身者」が多いミラノで、中部、南イタリア出身者たちが、マンマの、家族の側に帰るため、移動禁止令が実施される前に慌てて電車に飛び乗ったということらしい。一番感染度の高いロンバルディアから、ウィルスをお土産に持って行っていいと思ってんの? などと大きな批判を浴び、帰った先でも自宅隔離を強いられたり、家に入れてもらえない人もいたという。こうしてイタリア全国へウィルスが運ばれて行った。
              
同時に、ミラノではスーパーの棚が空っぽになったとか、それはフェイクニュースだとかの情報が錯綜する。

↓実際にスーパーの棚が空になったところも。でも商品はすぐに補充され、食べるのに困るなどは起こらなかった。

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3月9日(月曜日)

犬友達のティツィアーナにしばらく会っていないので、どうしている? 
とメッセージを送ったら、なんと、彼女の義理の弟が感染して重症化し、
ICUに入院中という。重症化するのは高齢者ばかりだと言われていたのに。コロナウィルスの恐怖が、現実のできごととして急に近づいてきた。しかもすぐ隣のロンバルディア州はレッドゾーンに指定され、州全体が隔離状態。
今夜予定していたトリノの日本人友達5-6人を招いての飲み会、やらない方がいいのでは?と思い始める。

私の娘は、軽い喘息持ちだから、呼吸器疾患の既往症がある人は若くても注意が必要というコロナウィルスに、万が一でも感染させるわけにはいかない。娘もそれを当然知っていて、はっきり言わないけれど、怖がっているようだ。ニュースで見る限り、一番感染の激しいロンバルディア州では、一気に感染者が増えたため、病院のICUベッド数も医療スタッフも足りず混乱している。そんなところに入院する羽目になったら怖すぎる。しかも今夜、飲み会に招いている友人のうちの数人はレストラン関係者で、普通の人より多く人と接しているし。

断りの電話を入れると、ドタキャンなのにみんな快く同意してくれた。それにしても、こんな時だからパーっと飲もうよ、と計画したのは、たった5日ほど前のこと。数日で、状況は急激に悪化している。

そしてその夜には、全イタリアがレッドゾーンとなり(その後、レッドゾーンという呼び方から、保護地区という名称に変更)、仕事、必要最低限の買い物、健康上の理由以外では外出を控えることを「強く要請する」という政府の通達が出る。外出する場合は、指定の用紙に必要事項を記入し携帯すること、違反した場合は高額な罰金、逮捕もあり得る、とのこと。この措置は4月3日まで続く。

↓人気のなくなったトリノの中心街。

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3月10日(火曜日)

イタリア全国の5カ所の刑務所で、面会が禁止されたことを不満に暴動が起こる。たった2,3週間、面会できないぐらい我慢してよ、と外部の人間は思うのだが、狭いところに大勢閉じ込められている彼らからすれば、感染の不安などストレスは最高潮なのかもしれない。そういえば中国の刑務所で集団感染、というのがあったっけ。

駐在員の奥様方を対象に私が開催しているお料理教室も延期。駐在員の方々は続々と帰国されているよう。政府がチャター機を出すかも、という噂も流れる。後に日本政府の発表で、チャーター機の可能性は低いとわかるが、それぐらい逼迫した恐ろしい事態の真っ只中に私はいるのね? 

3月11日(水曜日) 

明日からはさらに対策が強化され、イタリア全国で、スーパーや食料品店、
薬局、新聞スタンドを除く全ての店舗、レストラン、バールが営業停止。いわゆるロックダウンだ。

「イタリアの未来は、私たちみんなの手にかかっています。それぞれが、自分の役割を自覚して、責任を果たしましょう。私たちの大切な人、両親や子供達、祖父母の健康が危険にさらされているのですから」というコンテ首相の言葉を思い出し、今はただ、外出しないで我慢するのがイタリアを助ける、と肝に銘じる。

薬局へ行く必要があったので、法令が出されてから初めて外出。街は、駐車してある車が少なような気もする?という程度で、人も歩いているし、普通に見える。まずは薬局へ。店内では床にテープが貼ってあって、1メートル以上客同士が近づかないよう工夫されている。

薬局の次に近くのスーパーへ行こうとすると、外まで行列ができている。
混んでいるのではなくて、人混みができないように、入店制限をしているのだ。

↓薬局の床に貼られたテープの位置に、グレースと一緒に並んだ。

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3月12日(木曜日)

家から車で20分ほどのショッピングパーク内にある、オーガニック専門のスーパーへ食料品などを買いに行く。夕方のいつもは渋滞する道路がガラガラ。到着すると、広い駐車場には数えるほどしか車が止まっていない。スポーツ用品店、家電量販店、インテリアショップなど、いつもは人気の店も、全て閉まっている。不安が胸に迫り、涙が出る。25年暮らした大好きなイタリア、どうなってしまうんだろう。

感染者数 12839人
死亡 1016人

3月13日(金曜日)

中国から30トンの医療品と医師団が到着。中国とイタリアの経済的つながりを批判し、中国をコロナウィルス発生の元凶とヘイトスピーチまがいの発言をする人も多いけど、今はそんなことよりもありがとうと受け入れて、一人でも多くの命を救ってほしい。

18時にはフラッシュモブ(ゲリラパフォーマンスの一種)。バルコニーでそれぞれ歌を歌ったり、楽器を演奏したりが、いつしかイタリア国歌合唱になっていく動画を見た。国歌を歌うなんてベタではあるけれど、こんな時は胸に迫る。

3月14日(土曜日)

昼の12時に、みんなでバルコニーに出て、必死の体制で頑張ってくれている医療従事者たちに拍手を送ろうというフラッシュモブがある。私はトリノ郊外の森の中に暮らしていてそれを目にすることはできなかったけれど、家で一人、心の中で拍手を送る。普段は残業なんて絶対しないイタリア人たちが、感染の危険もあるというのに、一人でも多くの命を救おうと必死で戦ってくれている。先が見えないこんな状態で何もやる気が起きず、家でダラダラ過ごしているしかないのが、本当に申し訳ないと思う。でも医療ばかりは、専門家でないと手も足も出ない。

3月16日(月曜日)

とても水準の高い医療技術を持つというキューバの医師団が到着。いったいどれだけ飛行機を乗り継いでやって来てくれたのだろう。胸が熱くなる。

数日前まで、ヨーロッパでイタリアが感染の目玉と言われていたが、数日前からスペイン、フランス、そして北米などにも拡大が始まっている。今現在、イタリアでは食料品店と薬局を除く全ての店が3月25日まで一時閉店、
4月3日までが幼稚園、学校が休校という措置が取られているけれど、それまでに終息はあり得るだろうか。世界はどうなってしまうんだろう?自分の仕事の見通しも、娘の高校卒業国家試験(7月予定)と秋の大学入試は?

感染者数 20603人 うち9268人は自宅隔離
死亡 1809人
回復 2335人

3月18日(水曜日)

北イタリアのベルガモなどでは、高齢者が次々と感染し重症化して、病院のICUも治療設備も医療スタッフも足りていないという悲痛なニュースが毎日のように流れてくる。今日はついに、1日の死亡者が400人を超えるという事態に。

ベルガモ市内では埋葬する場所も棺も足りなく、遺体を軍のトラックに乗せて他所へ運び出しているという悲し過ぎる報道もあった。亡くなった方々は、感染症であるがために家族に看取られることも、別れをすることもなく一人ぼっちで入院生活を続け、そして亡くなったのだ。お葬式すらしてあげられない家族や親しい人たちの悲しみは計り知れない。こんな悲痛なこと、これ以上広がりませんように、祈るしかできないのが歯がゆいばかりだ。


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