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#トリノよいとこ一度はおいで〜食いしんぼうな王様が残した美味しいもの・その2「チョコレート」

チョコレートといえば、思い浮かべるのはベルギー? フランス? スイス?あたりが誰もが認めるチョコ大国で、「イタリア=チョコレート」というイメージはあまり一般的ではないと思うけど、どうでしょう? トリノ生まれのヘーゼルナッツ入りチョコレート「ジャンドウィオッティ」が、イタリア好きの人たちに知られているぐらいで。

ところがトリノで暮らし始めたばかりの時、「ヨーロッパで最初にカカオを消費し、世界に広める役割を果たしたのはイタリアの、しかもトリノである」と聞かされて、とてもびっくりしたことがある。それは今から四半世紀も前のこと。その頃はネットもブログもnoteもなかったから、今みたいに、え? なになに? チョコレートってトリノ生まれなんだ? と思ったらさっとグーグル先生に聞く、なんてこともできなかった時代。メールだってなくて、書いた原稿をプリントアウトして、出版社にせっせとファックスで送っていたのを思い出す。それを思うと、たった25年ですごい進歩を遂げたんだなー、と感心してしまう。私がずいぶん歳をとったかどうかは、あまり計算しないように。笑

チョコレートを広めたのがトリノなら、その原材料のカカオは、誰が、どこから、いつ持ってきたの?


コロンブスが1492年にアメリカ大陸を「発見」し、ジャガイモやトウモロコシ、トマトや唐辛子などいろんなものがヨーロッパにやってきた。その「おみやげ」の中に、カカオの実の種(チョコレートを作る部分)も入っていたのだけど、その価値や使い方がよくわからなくて、ほっぽらかしにしたらしい。コロンブスは残虐だっただけでなく、まぬけでもあったのね。笑

コロンブスの少し後にやっぱり「新世界」へ行ったスペイン人のエルナン・コルテスという人が、じゃあ俺はコロンブスよりもっとすごいのを持って行くぜ、と言ったかどうかは知らないけど、アステカを征服した後、カカオをスペインへ持ち帰った(という説がある)。当時アステカでは、カカオは唐辛子を入れた飲み物として愛されていただけでなく、種は貨幣として流通するほどとても貴重なものだった。「神の食べ物」と呼ばれたそのカカオはスペイン宮廷に捧げられ、そして独占されてしばらくの間、外へ広がることはなかったそうだ。

スペイン帰りのサボイア王子様がトリノに持ち帰ったカカオ

それからまたしばらく経って1559年。イタリアを統一するよりも随分前のサヴォイア家のエマヌエレ・フィルベルトという王子様(正確には、当時はまだサヴォイア家は公爵だったから王子でなくて公子? 卿?)は、フランスと覇権争いをしていたスペインに従軍した。元々フランスとピエモンテ国境の小さな田舎貴族だったサヴォイア家は、時代の流れと強いものにうまく巻かれて世渡りをして強くなり、果ては王家にまでなった小狡いところがあったらしい。笑

そんな具合に、フランスのご近所さんだったくせにスペインの味方をして将軍として従軍し、パリにあと一歩まで迫る「サン・カンタン」の戦いでフランス軍を破ったフィルベルトは、ご褒美にカカオをもらいトリノへ帰国した。そしてその30年後の1587年、息子の結婚式に熱くて苦くて甘い飲み物を招待客に振る舞い、貴族の間に一気に広まって行ったった、ということになっている。

うーむ、ここでちょっと疑問が湧いてくるのだけど、なぜサヴォイア家は30年もカカオをお披露目しなかったのか? 

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