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まとめ・コマネチ体型と暴力の「乱反射」:「鏡」の中の北野武監督映画入門⑥(終)――『その男、凶暴につき』をテキストに

(この「『鏡』の中の北野武監督映画入門」シリーズでは、『その男、凶暴につき』を含め、多くの映画作品のネタバレを含みます。文章内容の性質上ご了承ください)


 改めて北野武という映画監督を世に生んだ、『その男…』を見返すと、あまりセオリー通りに撮っていない、しかも「あえて」ではなく、まだ新人監督たけしの「迷い」というか、「荒削り」な部分が見えてくる。そうした部分を整え、息をのむような美しさに仕上げたのが『ソナチネ』だろう。みやまるの肌感覚ではあるが、「北野映画好き」を公言する人間から、一番人気のある映画が『ソナチネ』なのではないか。
 個人的にもちろん『ソナチネ』も好きなのだが、『その男…』の「荒っぽさ」から来る表現には、たけしの根っこの部分が見えてくるような気がして、さらに好きなのだ。またセオリー通りでない分、どこから飛び出すのかわからないという「いびつさ」も、前述の<突発性>につながると思っている。
 たけしの「コマネチ体型」とも言える、なで肩かつガニ股脚のあの姿勢は、ブルース・リーやアーノルド・シュワルツェネッガーのような、筋骨隆々の整った肉体ではない。しかしその「整っていない」肉体から生まれる暴力が、同じく「荒っぽさ」につながっているように感じ、独特なリズムと不思議な調和を見せている。

 この文章はみやまるが大学4年時に書いた卒業論文の内容及び、卒論に書きそびれた部分や再発見した部分を加筆修正し、note用にリライトしたものである。「世界のキタノ」と言われているが、具体的にはどこがすごいのか。案外「映画監督のすごさ」を説明することは至難の業である。作風を考えれば、ただでさえ減っているゴールデンタイムの映画番組のプログラムにかけるわけにもいかず、宮崎駿の少女愛的な危うさをはらんだ映画芸術は知っていても、たけしの暴力は、所ジョージやガダルカナル・タカあたりを、ピコピコハンマーで小突いている姿しか知らない人も多いのではないか。
 そこで1本の映画を軸に置き、そこから北野映画を見つめなおす、ピコピコハンマーしか知らない人も『その男…』さえ観てくれれば、像をつかみ、たけしの暴力を中心とした、表現の奥深さを知ってもらえるような文章を心掛けた。やっぱりたけし好きの自分からすれば、自分の好きな映画監督のファンがひとりでも増えてほしいし、そのために自分ができることを考えると、すこし理屈っぽい形ではあるが、こうした文章になった。

 繰り返しになるが、北野映画の暴力は単純な「加害者」・「被害者」、「善」・「悪」のような二元論で分けられないという意味で、現実の暴力とかなり似ている。この一連のシリーズでは「鏡」という定義をつくり、作中の様々なアイテムを反転させて考察したが、全体を見渡すと三面鏡や合わせ鏡のように、複雑な「乱反射」を起こしている。そして「乱反射」した光は、予想だにしないところで火種となることさえある。
 現代において肉体的な行動以外にも、言葉を含め様々な形で暴力は跋扈している。複雑な構造の暴力を一瞬で見せる北野映画は、フィクションではあるが、ノンフィクションの世界を生きる我々に対し、「暴力暴力って、簡単に言うけどさあ……」と問いかけるような、問題の根の深さを示すパワーがある。

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