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音楽の趣味がかけ離れていること以外は村上春樹っぽい小説

 気持ちの良いモスグリーンのワンピースを纏った女性が店に入ってきた。
 「外国のビールってあるかしら」
 言葉遣いの丁寧さの割にぼんやりとした注文だったが、代理とはいえバーテンダーをしている僕には彼女にビールを注ぐ義務があった。
 「ハイネケン、クァーズ、ギネスとバドワイザーがあるよ」
 「ごめんなさい。わたし銘柄を言われてもわからないの。とにかく『外国のビール』が飲みたい、そんな気分なのよ」
 「オーケー、じゃあハイネケンにしよう。良いね」
 「それにするわ」
 「ハイネケンの良いところは、世界中どこに行っても日本人のカタカナの発音で『ハイネケン』で通じるところだね。クァーズなんて大変だよ。クーワァーズ、クゥアーズ、クワズって言っても」
 「ねえ、あなた人生でこれまで出会った女の子達から、こんな風に言われたことあるんじゃないかしら。『お願いだから、少し黙って』って」
 「言われたことないけど、どうして」
 「こんな真夜中に、『外国のビールだけ飲みたい』なんて言ってるモスグリーンのワンピースの女が、なにもないわけないでしょう。あなたって本当に鈍感なのね」
 店の片隅の古びたラジオからはつボイノリオの『金太の大冒険』が流れていた。彼女はうつむきながら話を続けた。
 「本当にいま、辛いのよ。でも不幸なことがあると、私はいつもこの曲を聴くの。金太がお姫様に頼まれてマスカットをナイフで切る姿を想像して、幸せだったころのことを思いだそうとするの」
 「わかるよ。僕も無性にミス花子の『河内のオッサンの唄』を聴きたくなることがある。でもそんな時に限って、ラジオからは筋肉少女帯の『元祖高木ブー伝説』ばかりリクエストされるんだ」
 僕はグラスにハイネケンを注いだが、泡ばかりが多い、バランスの悪いビールになってしまった。彼女はそのぶっきちょに出来たビールを、少しばかりいぶかしげに眺めてから口に含んだ。
 「いきなり酷いことを言ってごめんなさい。謝るわ。でもみじめになると、どうしても口が悪くなるの」
 「気にすることはないさ。バーとはそういうための場所だと思う。日常をちょっとだけ忘れて酒飲んで、音楽を聴く。そういう場所だからね」
 いつのまにかラジオはつボイノリオを流し終え、鼠先輩の『六本木〜GIRROPON〜』に変わっていた。
 「あなた、鼠先輩がこの曲を歌った年のこと、覚えてる」
 「ああ、覚えてるよ。2008年だった。ウサイン・ボルトが初めて金メダルを獲った年だ」
 「そう、2008年よ。私はその年の暮れに初めて男の人と寝たの。悪い人じゃなかったけど、少し気難しいところがあって、ベッドで2人で過ごしてたら、いまみたいに鼠先輩がラジオから流れてきたのよ」
 「ねずみ年だったからね」
 「そう、それなのよ。その人に『ねずみ年が終わるから、鼠先輩も消えちゃうのかしら』って聞いたら、すごく怒っちゃって。『じゃあ君はそんなショーツを履いてるのに、ブリーフ&トランクスを聴くのか』って。今にして思えば全くもってわかんないけど、当時は男の人ってそういうものだと思ったし、ひどく申し訳ないことを言ったと思ったわ」
 「彼らの『コンビニ』という曲のミュージック・ビデオにはだいたひかるが出ているね」
 「どうでもいいわ、そんなこと。本当に。でも彼は怒った」
 いつの間にか彼女のグラスは空になっており、店の暖かい色の照明が反射していた。反射された光の一部に照らされた彼女の顔は、この店に来た時より優しい印象に変わっていた。
 「おかわりを貰えるかしら。その、言いにくい、コワーズ、クゥーワーズ?っていうのが飲みたいわ」
 僕はゆっくりとした手つきでクァーズをジョッキに注いだ。今度は泡がちょうど良い割合になったビールを作ることが出来た。
 「ねえ、ラジオ止めても良い?あのジューク・ボックスを聴いてみたいんだけど。まだ動くの?」
 彼女はドアの横のジューク・ボックスを指さす。
 「動くには動くけど、曲が少ないんだ」
 僕はカウンターを出て吉幾三の『俺ら東京さ行くだ』になっていたラジオを止めると、ジューク・ボックスのプレイリストを確認した。
 「バラクーダの『日本全国酒飲み音頭』はある?私は心の底から泣きたい時はそれを聴くのよ」
 「それはないけど、何故かコウメ太夫の『小梅日記』なら入ってるよ」
 「良いわね。もっと泣けると思うわ」
 僕はジューク・ボックスのスイッチを押して、カウンターに戻った。お馴染みの金切り声が店内にこだまする。焼肉食べ放題かと思ったら、食べ放題はライスだけだったという歌詞のあたりで、彼女はすすり泣きを始めた。柱時計を見るとちょうど1時になっていた。

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