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見つけるという事

今日は、久々なお友達と音声アプリでおしゃべりしました。
音声アプリで知り合ったお友達。
会った事はないけれど、彼女のおしゃべりが大好きです。

今日の嬉しかったことは、
その彼女と話していて、彼女が発見してくれたのです。
「私」を…。

彼女との話は、福祉の話だったり、仕事の話や毎日の事が主になっていますが、その話の中にはやっぱりどうしたって我が家の知的障害のある子どもの話も出てきます。
それは、話さなきゃと思って話すわけでもないし、話したくないけれど流れで…って訳でもなく、ごく自然に出てくる子どもの話。
そして、普段私に良くも悪くもついてくる障害のある子のお母さんっていう代名詞。

子育てや子どもの中に私があるけれど、
私の主観の中に子どもがいる。
だから、子どもの?私の?ってごっちゃになって伝わってしまう事ってやっぱりある。

いやいや、…というか
お母さん だったり
社会的に思われている肩書や枠組みに誰でもとらわれてしまう。

肩書や枠組みを超えた個性を放たなきゃ、「私」ってなかなか見つけてもらえないってことって思ってた。だけど、素朴な話の中から「私」を見つけてくれたって事が嬉しかったのかもしれない。

どうしたって付きまとう社会からの見られ方、枠にはめられること。
だけど、それを飛び越えることなく、その中にその人が見つかるような見え方、私も身につけたいなと思ったりしました。


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