てをあわせて、めをとじて
8年になります。
一年前:http://cocommu.com/script/a86165f6d7891134624030dd989d7e10
波の中で、伸ばした左腕がかすかに動いたのを見たんだ。
ピクッと反応して、すぐ波にさらわれた。
僕は目をそらした。目を、そらしたんだ。
あれから考えていたんだよ。
たまたまそこにいたあの人がいなくなって、たまたまそこにいなかった僕が生きている。
あの場所にいなければ、という後悔と、どうしてあの人が、という自責に駆られてしまう。
「運命」とやらの言葉で片づけるのも味気ないけれど、そう言わなきゃ理解できない。
偶然は必然でしかなかったんじゃないかって、今でも、考えてしまう。
一分間の黙禱と、花をささげるだけならたやすいことだと思う。
でもそれに何の意味があるんだろう。
祈りで人は帰ってこない。
「終わり」と言われれば「終わる」。
そして次の日には忘れてる。
良いのでしょうか。悪いのでしょうか。
僕は目をそらした。また、目をそらした。
僕は生きている。
あの人は死んだ。
過ぎる黙禱と、止まった時刻。
相いれない壁に、向き合えずにいる僕。
それでも、まだ、祈りをささげる。
それは、切り離す行為にさえ思えてくる。
今に続く悲しみをたたえ祈ることなどできやしないんだ。
それでも僕は、祈りをささげる。もう一度、記憶が死んでしまわないように。