宮古島移住したらクビになった私が出したキャリアゴール
私は今、大好きな憧れの場所、宮古島に住んでいます。
リモートワークでずーっと家にいるなら自分の好きな場所に住んだほういい!と思ったからなのですが、でもまさか移住がきっかけで仕事を失うことになるなんては思っていませんでした。
当時の決断の過程を記録に残しておこうと思います。リモートワークで地方移住をしたい方や、宮古島移住を考えている方の参考にもなれば幸いです。
リモートワークの現実
2020年7月。私は、とある外資系メーカーのEコマース(EC)事業部マネージャーとして転職しました。転職してすぐの頃は、会社の人の名前と顔がなかなか一致しないものですが、当時はリモートワーク中で、私もメンバーも月に数回しかオフィスに行きません。(しかもマスクで表情が見えない・・・笑)転職してすぐでこの状況はさすがに辛いものもありましたが、15分のデイリーMTGや1on1(上司とメンバーの1対1で実施する面談)を設定することで社内の人とのコミュニケーションは良好でした。
ただ、仕事それ自体は決して楽ではありませんでした。コロナ以降、実店舗が閉じる、もしくは、実店舗の売上がさがっていく中で、ECが売上の責任を負っている重労働部署だったんですね。おそらくどこの会社も似たりよったりかとは思います。とにかくECで売上をあげなければ今期の売上目標が届かない。ただでさえ、ECは作業量がとても多い部署で大変なのですが、コロナ以降のECは、最も激務といっても過言ではない部署でした。しかもチームメンバーの一人が病気で休職してしまい、私はさらに激務でした。当時の私の一日のスケジュールはこんなかんじです。
朝起きて、寝る直前まで、ずーっと仕事。残業100時間超えなんて当たり前過ぎて何も感じません。土日は体力を回復させるためだけの時間。なんとか同棲中の彼のおかげで精神的に耐えられましたが、ギリギリの状態でした。
我慢すること数カ月。経験者が一人と、優秀な派遣さんがチームに入ってきてくれました!これは大きかった!チームとして仕事がまわるまで数ヶ月かかりましたが、慣れてからは、夜20時以降完全に仕事を打ち切れる日も出てきて、かなり身体が楽になりました。チームを増やす許可をくれた上司と、チームには感謝しかないです。
それでも、毎日、家にこもって仕事ばかりの日々であることに変わりはありません…。そんな生活をしていると、代々木で、決して安くない家賃を支払い続ける意味ってなんだろう?と思うわけです。同棲中の彼とも入籍し、次の家賃の更新で引っ越そうと決めました。
宮古島移住への決意
引越し先が全然決まらない中、少し仕事が落ち着いたタイミングで、ワーケーション&結婚式前撮りのため宮古島に行くことにしました。
飛行機から見えるあのエメラルドグリーンの海。下地島空港を出たときの開放感。思わず、「こんなところ住めたらいいなー」と私がいうと「住めるんじゃない?」とさらっと夫に言われました。
え、、住めなくない?笑
いろいろなことが頭の中に浮かびました。病院、友達、家族、そして仕事… 。一つ一つ考えてみました。宮古島からだと、東京まで直行便で3時間。大阪から東京にいくのとさほどかわりません。友達や家族にもちゃんと会える移動時間です。病院も大きな総合病院があります。最初は絶対に無理と思った「宮古島に住む」ということが、落ち着いて考えれば考えるほど、現実味を帯びてきました。夫の仕事はどこでも勤務可能だったので、私の仕事さえクリアになれば問題ないということで、ダメ元で上司に聞いてみることにしました。
!!!!
案外めちゃめちゃすんなり認めてもらいました!交通費は自費になるといわれましたが、それは仕方ない!ウキウキしながら、夫にも許可もらったー!と、二人でお祝いをして、そこからはトントン拍子に話が進みました!旅行中に賃貸物件もみて、最初にみた物件が条件にあっていたので、そのまま契約、東京に戻りました!
退職への決意
宮古島に移住し、落ち着いたタイミングで、新しい苗字&住所を会社に提出しました。・・・これが事件のはじまりでした。
翌日。人事から「今、もしかして沖縄ですか?!」「契約形態を見直す必要がありますが、正社員雇用はできないかと…」 などという内容の連絡がきたのです。
Teamsの画面をみながら、頭の中は真っ白に…。就業規則にも、会社から何km以内、とか、通勤何時間以内とかのルールは記載されていません。特に会社に報告せずに、リモートワーク中に地方から働いている人もいました。コロナが落ち着いたら週3出勤といわれていたものの、直属の上司の許可を得ればリモートワークを続けられるルールで、私は上司の許可も得たのに何がだめだったのか・・・。何より、私を一番辛くさせたのは、ここまで身を粉にして働いてきたにも関わらず、住所がかわっただけで「正社員雇用ができない」といわれたことです。
正社員雇用できない・・・つまりクビってこと???
完全に精神的にまいりました。私は会社にとって必要でない人間だった・・・だって、本当に必要な人材だったら、なんとかして引き留めようとするはずなのに…仕事の成果を出していれば、何をしてもいいわけではないけれど…上司の許可はもらえたし、外資だから仕事の結果で判断してくれるのでは…?と。
後日、人事と電話面談をすることになりました。覚えているのはこんなところです。
常識っていうけど個人の感覚やん…と思いながらも、雇用形態の話にうつりました。要約すると、このまま続けるには、正社員雇用ではなく業務委託契約になるが、仕事内容と給料の額面は同じだと。
会社員にとって、正社員雇用でなくなることのデメリットは大きいです。メリットは副業可になることでしたが激務過ぎて副業などできません…(苦笑)保険は自己負担、有給休暇もなく、退職金も昇給もない。それでこの激務で額面も同じ…?気になったので聞き返しました。「額面同じなんですか?」
「そうですね、でも沖縄でそんな給料だすとこないでしょ?」
・・・一瞬耳を疑いました。私の大好きな沖縄まで不当に扱われた気持ちになったから。人事とこれ以上話しても埒があかないと感じ、私は電話をきりました。
しばらくして、退職することを上司やブランドチームに伝えました。
地方移住と給料の問題
この「沖縄でそんな給料だすとこないでしょ」は私の心にモヤモヤを生み出しました。事実、沖縄のほうが平均所得は低いです。相談した2社目の同僚にもいわれました。「そんな家賃も物価も安いとこに住んでるんだから、今まで通りの仕事と給料って、それは無茶でしょ。いいじゃないですか、結婚して好きな場所に住んでいるんだから!」と。
確かにそういう考え方をする人もいます。好き勝手やらせてもらっているんだからそれくらい我慢したら?というようにも聞こえます。ただ、私には納得できないポイントでした。もちろん、地域や国、もっといえば時代によって、職種と給料が異なることはあります。なので、絶対的に仕事の対価は職務によって決まるとはいえません。しかし、私の価値観では、少なくとも、同じ時代の、同じ国の、同じ会社の、同じ職務内容で、かつ、リモートワークが許可されていて、住居の場所を縛る明確なルールがないという前提条件において、住所を変えたから給与待遇がかわるというのは理解し難いものでした。会社のルールがあるなら別ですが、今回は後出しジャンケンです。実質給料が下がっても生活はできますが、そういう問題でもありません。給料というのは、上がったからといって必ずしもモチベーションも上がるわけではないですが、下がるとモチベーションは下がるものですから。
いずれにせよ、人事や私の元同僚がいうところの価値観は、私の価値観とは違うものでした。夫にも相談しました。
冷静!!w
というわけで・・・、納得しないまま仕事を続けるよりも、納得して退職することを決めました。
移住を認めてくれた上司は「人事がなにをいおうと、気にしなくていいよ」といってくれましたが、雇用形態が変わるなら気にする気にしないの問題ではすみません。ブランドチームは、抗議するといってくれました。ただ、上司の許可を盾に、ブランドチームを巻き込んでまで、人事と戦って勝ち残りたいほど、私には気力も執着心もありませんでした。
1ヶ月後その上司が異動になり、リモートワーク否定派の人が上司になったので、いずれにせよだめだったでしょう。今思うと、やはり、上司が許可したからといって移住してしまったのは私の責任で、この結果も自業自得です。「常識の範囲」という言葉で、ルールを明確化していない点については会社側にも改善の余地はあると思いますが、急に進んだリモートワークの中でルール整備が追いついていなかったのは仕方ありません。最終的には、私も気持ちよく退職させていただきました。
キャリアと私
「会社に抗議してまで残りたいほど執着心がなかった」と私は書きましたが、私は、自分の仕事に、執着どころか…愛も誇りもありませんでした。根本的にはこれが問題でした。
担当ブランドと、ブランドチームや自分のチームは大好きでした。だからこそ続けられたんですが、仕事内容については違いました。どうしても売上優先のプロモーションが多くなり、毎週のようにプロモーションを企画して実行する。ブランディングを学んできた私が、ブランドを毀損するような企画を自分の手で実行しなければならない。予算の関係で、外注していた仕事を社内でまきとることも多くなり、チームメンバーにも、キャリアにとって決してプラスではない仕事をお願いしなければならない。おまけに売れ残った製品は廃棄指示…。私、なんのために仕事しているんだっけ…?私のやりたかった仕事ってこんなんだっけ?誰のために働いているんだっけ? そういう気持ちが日々、強くなっていきました。
これまで私は、xxしたいという自分のやりたい気持ちに従って生きてきました。マーケティングがやりたい。MBAでビジネスを体系的に学びたい。留学をしたい。スタートアップの立ち上げに携わりたい。いろんな直感に素直に従って、選択して、責任をもって、築き上げたキャリアです。私には私なりのストーリーがあって、道を選んできました。
…ただ、どうしたことか…20代のときから思い描いていた、ブランドGMになりたい気持ちも、リージョン(APAC)やグローバル(本社)にいきたい気持ちも、日に日に薄れていく自分がいました。日々の業務に疲弊しすぎたせいもあるかもしれませんが、そういう人たちとより近くで働くようになればなるほど「そもそも私こんな仕事やりたいんだっけ?」という気持ちが強くなっていったのです。このキャリアゴールは、無理やり捻り出した回答…常に成長し続ける社会において、自分を常に成長させ続けるために、無理やり掲げた目標に過ぎなかったのではないか、と。
これには、私の夫の存在も大きかった。彼は、フリーランスのエンジニアで、自分の仕事に誇りを持っていて、夢をもっている人です。休日も夜中もプログラミングしているのに、ずっと「働いている」というより「夢中になっている」ようにみえるのです。新しい技術に触れるときや自分のプロダクトが使われているのをみるときに、嬉しそうな彼を見ていると、エンジニアという仕事は彼の天職なのだと思います。
・・・残念ながら、私にはそれがありませんでした。彼にとっての仕事はwork(仕事・作品)で、私にとっての仕事はlabor(労働)でした。仕事をして走り続けていたら、そういう何かは見つけられるものだと思っていましたが、30代になっても私はまだ見つけられていませんでした。
「自分探しをするような年齢でもない、仕事は仕事、プライベートはプライベート。」と、割り切って仕事しようとも思いましたが、起きているうちのほとんどの時間は仕事をしているわけです。しかもこれから数十年と続くわけです。私にとって、仕事で我慢しているということは、人生を我慢しているのとかわりませんでした。人生、一度きりなのに…。
宮古島かキャリアかの選択に迫られたのは、今思うといいきっかけでした。悩みに悩んだ結果、今までのキャリアや生き方を改めて捉え直した結論がこれでした。
好きな人と、好きな場所で、好きなことをして生きていこう。
私にとっての働く意味。
この考え方を受け入れるのは実は容易ではありませんでした。10年以上、毎日12時間から18時間働いて、自分の成長のためにキャリアを築いてきたので、今までの自分を否定するような気持ちにもなりました。でも、「好きな人と、好きな場所で、好きなことをして生きる」ことを決断して受け入れてからは、心がとても軽くなりました。
私の「好きなこと」・・・何のために働いているのか=何のために生きているのかわからなくなった私にも、小さい頃から一つだけ変わらない思いがありました。
私は、海が好きです。
特にサンゴ礁の海。あのキラキラした、透明な海のなかに、カラフルなサンゴと魚たちの世界。海は私達にやすらぎを与えてくれる。だから、この美しい海にとっていい世界にしていきたいし、これからの未来にも美しい海があり続けてほしい。強く、そう思っています。
私が探し続けていた「何か」というのは、実は昔から私の中にあったのに、蓋をしていたようです。何度か海に関わる「何か」は考えたことがありましたが、時間がない、忙しいことを言い訳に、否定されたり自分で否定したりを続けていくうちに諦めていました。
もっともっとと高みを目指して走り続けた私ですが、ようやく自分の気持に素直になれた気がします。私の出した新しいキャリアゴールは、美しい海のためよりよい世界にすることに貢献すること、です。
アプローチ方法はまだ具体的に決められていません。今はまず、夫と二人で会社をつくりました。今までの経験を活かした私たちだからできるやり方を模索中です。少し時間はかかるかもしれませんが、将来的に、会社の利益を海の保全活動に持続的にまわせるようにできればと思っています。
まだまだスタート地点に立ったばかり。うまくいくかもわからない状態ですが、まずは頑張ってみたいと思います。
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