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⑧GWの悟り

あっという間に長い連休が終わりました。
私が仕事がタフな案件で疲れ切っていたところ、いつぞやの夜に酔ってD君に吐き出して甘えて(多分。記憶なくなってるので。)受け止めてもらってました。

GW中はOFFの時間をたっぷりとれたので、忙しいD君も合わせて仕事中なのに数時間を作ってくれました。庭園散歩でもしたかったんだけど却下されてD君のテリトリー界隈でお茶をしてD君の自宅でまったり過ごすことに。お互い我が強くWILLが強く生きているもの同士、やりたいことが一致するのは難しく、提案しても乗り気じゃないと絶対に乗ってくれません。でも、良いパートナーは本当に自身の鏡であり、してもらったことを返す循環になっているから、私の好きなことや予定に歩み寄ってくれた思い出を思い出して、最近は私が折れることにしています。ぶつかったり衝突するのはエネルギー消耗するからできるだけ、譲れるところは譲った方がヘルシー。

一緒に過ごしていろいろ新たな発見もあり、こだわりや、不安や恐怖への対処の仕方の特性や、傲慢さの中に見え隠れする思いやりなどなど、D君のありのままを受け取って、実は合理的ではないことをしてしまう一面を可愛く思えたりしました。ワーカホリックになる理由も私なりに理解できました。普段は超合理的で有能で頭キレッキレの才覚抜群人間なのに、普通に考えたらできる日常生活の問題解決では、なぜか不合理な行動を繰り返す(しかも自分では止められない)こともある。ツッコミどころは満載ですが、私が何か言ったところで変わるものでもないので面白がるくらいに留めています。
人によっては、それが、狂気に映ったりして、距離をとってしまうこともあるかもしれないけど、私は基本的に鬼才変態狂人とばかりお付き合いしてきたので(ていうかそういう人しか私には寄ってきてくれないので)、なんかもう慣れてるのです。社会的には伝説級と言われ崇められる著名な人であっても、素は超人級の変態性を持っています。私はそういう人間の怖い側面を見たとしても驚かないし、理解しようとするし、個性として愛でるように育ってきました。変態耐性が強い、これが、私の個性。

障害という言葉はあまり好きではないけど、人は皆、マジョリティが出来ることが出来ないと、劣っている、とか、欠落しているとか、機能に障害があるとか、レッテルを貼りたがります。病だと診断したりして、サポートする人も現れます。私自身も、親にさえ理解してもらえないような特性を持って生まれてきていて、生きづらい日々を耐え抜いてた時期もありました。
でも、その闇の裏には必ず尖った部分があるはずで、その個性をうまく社会に役立つように使えるかどうか、ここの采配が肝だと思っています。自分でコントロールできるようになってきてからは、ストレスが減ります。周囲に理解してくれる人が現れて、応援してもらえるともっと、生きやすくなります。
D君の生き方を見てると、その強さに圧倒されるけど、近づいてみると、彼も人間で、凹凸のある人格をしてるんだなぁと、しみじみ。完璧な人などいないからね。そんなこんなも全部ひっくるめて愛しい。そう思える心の余裕が大事!愛は常に寛大に!