延宝台風の一つの被害話
江戸時代最大の台風は1680(延宝八)年閏8月6日に来襲したもので、高潮は特に激烈であった。現在の深川、銀座、築地、芝は海抜3メートルを超える高潮に襲われた。
この台風に関して、静岡県袋井市浅羽地区は高潮で迫り来る海水に飲み込まれて多くの死者を出した。家々が押し流され、人々は天井に登ったが、天井まで海水が満ち、屋根を鎌などで切り破って棟に上る。それに取りついて流されていくうち、たちまち波に打ち砕かれ、死するものが多かったという。
その災害から五、六十年くらい経った頃、ある庄屋が隣の商店にいたところ、老人が腰をかけて、店の中の若者たちが話す高潮の話を聞いていた。すると老人は次第に涙をこぼし始めた。
その老人が若かりし頃、幼子がいた。その高潮にうち流され、その子を背負い、それこそ生死の境で波間を泳ぎ流された。
山の近くまで泳いだところ、精根尽き果て、波に沈んで死にそうになったので、この子を背負ったままでは大波を逃れがたく、二人とも死ぬかもしれない。どちらかが助かって先祖の跡を絶やすまいと思って背中の子をもぎ離したという。
しかし、波に捨てようとすれば、子は察し、悲しがってしがみつく。それをまた引き剥がす。すると声を上げて父親にしがみつく。そこで心が弱くては駄目だと思い切り、子をもぎ離し、わざと波に押し込んで突き流して、ようやく我が命ばかりは助かり、今日まで生き延びたという。
頭が真っ白になったにもかかわらず、いまだにあの時のことは忘れられない。それで若い方々の話を聞いているうちに涙を流してしまったのだという。
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