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もはや修正できない?

 現在の歴史学は、時代ごとの棲み分けが明確で、学会も時代ごとの部会に分かれて研究報告がなされるる縦割りである。その時代の研究が蓄積されることで、専門性は高まるが、その結果として分野ごとに個別分散化し、蛸壷的な研究になりがちだ。

 しかもある史料を一流の研究者が活用していれば、それが偽物だとはなかなか思われない。おそらくこれまで椿井文書の存在に気付いた研究者の多くも、それを研究することは「およそ時間の無駄でしかない」ため、黙殺という対処をしてきたに違いない。しかし、その情報が研究者全体に共有されなければ、椿井文書と知らずに使う研究者も出てきてしまう。

 偽文書を用いて人を欺く謀書・謀判については、「御成敗式目」第十五条にも「謀書罪科条」が設けられ、江戸幕府の「公事方御定書」第六十二条でも謀書・謀判は引廻のうえ獄門と規定されている。

 ただし、作成するだけで活用しなければ、誰かを欺くわけではないので罪に問われることはない。そのため近世文書の中に偽文書を見出すことはさして珍しいことではない。

 偽文書が溢れるようになった時代背景として、江戸期中頃になると庶民が一定の財をなし、歴史に関する教養を持つようになった。そこで作られたたわいもない偽文書はあまたあるが、偽文書を作成する階層の裾野が広がっていることから、近世後期こそ偽文書が最も多く作成された時代と言ってよいだろう。

 研究者に黙殺される一方で、偽文書は所蔵者の家の由緒を伝えるものとして巻物にされたり、タンスや仏壇などに大切に保管されていることが多い。たとえば、身分上昇を図る富農にとって、かつては有力な武士だったと語る系図は、喉から手が出るほど欲しいものだった。偽文書への眼差しは人によって温度差が違う。

 自治体史には椿井文書と知らずに引用している事例が無数にある。その執筆者にも椿井文書の内容に疑いを持つものがある。その内容の全否定は避け、椿井政隆による伝承などの調査成果である可能性を示唆するとする記述がある。しかし、それと同時に、椿井文書と知らずに引用していることもある。椿井文書は、すでに地域の由緒を語る上で欠かせない存在となっているため、地元感情に配慮していることもあるのだろう。

 椿井文書に年代などの虚偽があることを知りつつも、椿井政隆による調査成果が反映されているに違いないと主張する人がいる。その根拠は『古事記』や『日本書紀』などの史書と一致する部分があるのだから、その他の記述にも何らかの確かな情報源があるはずだという。そうならば、椿井政隆が現代に伝わらない確かな情報をどれだけ得ていたのか、まずは提示する必要があるだろう。

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