赤と青と真っ黒なあいつ

眼鏡忘れたな。
赤と青に照らされた舞台を眺めて、最初に思ったことはそれだった。五列目あたりを陣取って始まったライブは、終盤で屈強な男達に弾き飛ばされて敢え無く後退となった。

ジャニーズのコンサートでものたりなさを感じるのは、どれだけ好きな曲が来ても、飛び跳ねたりハアァー!などと奇声を発したり全力で手を挙げたり振ったり頭振ったりできないところだな、とつねづね思う。そんな思うほどジャニーズのコンサートいってない(たぶん3回)けど、でもDVDとか見てひとりで踊り狂うにつけ、そう思うわけです。
一回でいいからわたしの推してるジャニーズのグループ、オールスタンディングでライブやってくれないかなーと思うときもある。うちわのデザイン性と参戦服の派手度では負けても、押し合いへし合いならまだ勝機はある。まあ、実際やったら殺し合いになりそうですが。

きょうのライブは、昔の好きな男に会いに行った、という感覚だった。語弊はあるが、広義では間違いではない。
わたしのなかのその男と、現実のその男は、違うようで同じで、でも失望をはらんでいて、だけれどもどうしようもなく恰好が良くて、哀しくなった。
ああおわったのだな。そう思ったのだ。わたしが好きになった彼は無論もういない。それはわかっていた。いないと知ったうえで行ったのだ。問題は、いまの彼に熱狂できるかだった。もう一度神になってくれるか、もう一度わたしが彼を神としてまつりあげられるか。

結論からいうと、できなかった。

もう過去なのだ。
肘や拳や踵や指先で、骨や首や頭や目を、やにわに蹴られたり圧迫されたり突かれたり突き飛ばされたりしながら、わたしは、自分がこの場を楽しんでいないことにきづいた。普段なら、そんなことは、まるで気にもならないことだからだ。そしてライブが楽しくないというのは、わたしにとって致命傷だった。

もうわたしはきっと、彼のバンドのライブにはいかない。曲はいまも変わらず好きだし、彼のことも好きだが、楽しくないライブには自分はおそらくいかないと思う。

こんな気持ちになるはずじゃなかった。
もっと浮かれたことが書けるかとおもっていた。
撃沈。玉砕。木っ端微塵。とぼとぼ帰った。
好きだったものがむかしほどの輝きをもたなくなったときは、とてもさびしい気持ちになる。わたしに「それ」がいらなくなったのか、「それ」にわたしがいらなくなったのか。わからないけど、もうなくなった、という事実だけ残っている。

もういかない、と言ってはみたものの、また、いつか、期待も失望もなしに、彼に会いにいこうと思える日が来たらいいと、それでも軽率に願ってしまうのだった。

#日記 #エッセイ #音楽 #好きだったもの

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