悪い大人もいたもんだと笑いたいだけ

音楽聴きながらできる作業と、できない作業があることに気づいたんですよ。たとえば、同じ文章書く作業でも、二次創作の小説とnoteなどの日記は音楽聴いてても書けるけど、一次創作(いわゆるオリジナル)の小説は書けない。むかしは一次創作の小説でも音楽聴きながら書いてたんだけど、書けなくなった。いや、正確に言うと、今も書けなくはないんだけど、じゃまに感じる。チャックに布が噛んで動きづらいみたいな感じ。

わたしは一次創作する前にあんまり登場人物を詳しく作り込まず、ざっくり設定を決めた状態で書き進んでいくので、二次創作の対象作品と比べて、キャラクターとの付き合いが浅い場合がほとんど。だから書くときはちゃんと向き合うというか、集中しないといけない。

わたしが書く人物は、一言でいうと、「そうなるかもしれなかった自分」なんだと思う。
みんなそうだと思うけど、人って他人に見せてる顔と見せない顔があって、その他人に見せてる顔も相手によって使い分けたりしてるし、他人に見せない顔にもいろんな種類があって、一貫してないじゃないですか。多くの場合。
わたしの作る人物は、そういう、わたしのいろんな顔が切り分けられてひとりの人物になったもので、だから全員わたしだとも言えるんだけど、でもその顔はそれぞれ別の人格だから、切り分けると思いもよらない動きをするわけです。みんなわたしの一部だけど、わたしそのものではないので。

たとえば、わたしから切り分けられたある女は恋愛に対して強い幻想を持ってるけど仕事に対してはなんのプライドもなく食えりゃいいと思ってて、仕事に本気になるなんてちゃんちゃらおかしいとばかにしていさえする。またある女は恋愛に対してなんの意見も理想もないけど、仕事に命をかけていて、実の家族ですら本音では邪魔だと思っている。そういう感じの矛盾。
雑に言えば、誰もがどこかにいろんな種類の最低さを持ってると思うから、そういうさまざまな最低さを書きたいなあと思いながらいつも書いている。

ぐだぐた話しましたが、そんなこんなで、やーっと9月13日締切の小説の書き上がりの目処が立って、今校正中。もちろん無音でやってます。早く書き終わって安心したい。がんばります。

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