Show must go on!(ジャニー喜多川さんの訃報によせて)

『木更津キャッツアイ』が観たくなってきた。唐突すぎる。なんとなくオカダの演技が観たい気分。『東京タワー』も観たい。江國さん原作のほう。

ジャニーさんが亡くなって、いろんなひとがいろんな想いを込めてコメントを出していて、粛然とした。わたしも、やすらかに、と祈った。わたしの大好きなひとたちを世に出してくれたひと。知るきっかけをくれたひと。ジャニーさんの話をしているとき、みんな誰もかれも楽しそうだった。とくにキンキ。

ツイッターで何人かがつぶやいていてほんとうだなあ、と思ったのは、ジャニーさんは女子供を絶対にバカにしなかった、ということ。
女や子供はこういうのが好きなんだろ、というナメた憶測でグループを、モノを、作らなかったし、女や子供を抑圧しなかった。あのひともきっと単純に、きらきらが好きだったんだろうな、と思う。少しでも多くのきらきらを手の内で育てて、世に送り出して、きらきらがもっときらきらになる様子を見たかっただけなんだろうな、と思う。誰かを下げるとか貶めるとか、たぶん考え付きもしなかっただろう。

もちろん人間だから、特定の人間に肩入れすることもあるし、可愛がりかたの優劣はまちがいなくあった。わたしの推しグループ、A.B.C-Zのセンターの橋本は、自分のソロコンサートのMCで突然、「スペオキ(※スペシャルなお気に入り)になりてー!」と叫びだしてかなり笑わせてくれましたが、スペオキがいるということは、そうでないひともいる、と考えるのが道理。

関わりかたや愛情のかかりかたに濃淡はあったにせよ、あれだけたくさんのひとが自分の言葉できちんとコメントを出すほどの人望はあったのだ。まちがいなく。そのことを、ほんとうにすごいなと思う。壮年期に入ったグループのメンバーはもとより、十代、二十代という大勢の若者たちに、それぞれエピソードを残して逝ける八十代が何人いるだろう。

死に方で生き方がわかる、という考え方は、乱暴すぎてぜんぜん好きではないのだけど、ジャニーさんの訃報を聞いてその言葉を思い出した。このひとは、愛したぶんだけ愛されたんだな、と思った。

なにかをしてほしいならまず自分からしよう、というのは、言うは易いが行うは難し、というやつで、わたしなぞその典型。好きなひとに好かれたい、と言いながら、うまくいかなかったら恥ずかしい、という自分可愛さでろくすっぽ愛情表現もアタックもしない。でも向こうから興味持ってくれんかな、というさもしい根性だけはあって、そのひとの興味があることに対し、わたしもさも昔から関心があります、というようなアピールをする、ということを、十代の頃はくりかえしていた。まわりくどい。あほやろおまえ。

なにがいいたいかというと、何かを返してほしいならまず自分から、というのを、ジャニーさんは実践してきたひとなんだろうな、と思った。きっと返してほしくてやったわけじゃないんだろうけど。それもふくめて、美しい話だ。どうか天国でもたのしくショウをしていてください。おつかれさまでした。

#日記 #エッセイ #アイドル #訃報 #ジャニーさん


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