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こういうのを性分と呼ぶ

基本的に、「これがしたい・あれがしたくない」という意思がはっきりしているほうだ。とくに私生活の行動は自分の気持ちに依るところが多い。翻って、世の中には「自分はこれがしたい」という気持ちがそこまで強くない人が存在している。そのことに、自覚的になった。単に夫の自己申告で気づいたに過ぎないのだけども。

わたしは「これがしたい・あれがしたくない」という意思に反した行動を取ることが大変苦痛なので、行動の決定権を譲り渡すことこそが相手への最大の尊重と無意識に思い込んでいたのだが、「好きにしていいよ」と言われると困ってしまう人がいるということに気がついたのだ。たとえばわたしは、絵を描くのが上手い人から「好きに描いていいよ」と言われると、どう描いたものかわからず困惑するが、おそらくそんな感じの戸惑いなのだろうと推察する。

自分の「これがしたい」に人を付き合わせるということは、行動の責任を取ることでもある。たとえば全然おいしくなかったり雰囲気の悪かったりする店を選んでしまったときなんかは、失敗したなと強く思う。でもわたしは自分の欲望に従った結果の失敗には慣れているので、あまり引き摺らない。そのときの自分はそれがいいと思ったのだから、しかたがない。悔いはない。
自分にとって良くないのは、自分は「したくない」と思っていたのに、外圧に負けて行動した結果、案の定あんまり楽しくなかったり嫌な思いをしたりすることだ。だから、「したくない」に従っておけばよかったのに、と悔やむ。

ただ自分の意思が強すぎるために周囲を不快にさせたことが何度かあるので、そう仲良くない人といるときや職場や大勢の人と関わる場では、逆になんでも折れることが多い。自分で「折れる」と決めて折れる分には、不満は溜まらないからだ。いけすかない人間に「従う」と決めて従うことも、嫌味な馬鹿に「へりくだる」と決めて下手に出ることも、自分で決めたのだから、別にプライドは傷つかない。
そう、わたしはわたしの行動を自分で決めたい。誰かに決められて進むのだとしても、「誰かに決められること」を自分が許さなければ、絶対にやりたくない。こういうのを、持って生まれた性分と言うのでしょう。

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