口聡いのみもの

やけ酒ができないたちだ。

酒は好きだし、つよくはないが量はのめる。
だが元気がないときにはのむことができない。元気がないというか、感情が乱高下しているとき、といったほうがいいかもしれない。えらくおちこんでいるときとか、燃えるようにおこっているときとか。
飲酒は、わたしにとってかなり気力体力が要ることなのだろう。感情がはげしく揺れていたり、気持ちがすり減っているときなどには、のみたいという欲すら湧いてこない。

なので、自分が仕事終わりに酒をのめるときなどは、自分にはまだかなり余裕があるんだな、とわかる。一種のバロメーターみたいなもので、わかりやすくていい。しんどいけど、酒がのめるならまだ大丈夫、じっさいにのまなくても、酒をのみたいと思えれば大丈夫、と。

そういう、酒がのめない状態のときにのみたくなるのが、インスタントコーヒーだったりパックのハーブティーだったり、あるいはたんに水だったりする。圧迫されないのみもの。よく考えなくても消化できるもの。

仕事中はわすれがちだが、家にいるときの自分は何かしらいつも口にしている、と思う。おにぎりやラーメンやお菓子やアイスやチューハイや杏露酒やジンや緑茶やコーヒーや水や。煙草以外のありとあらゆるもの。
たぶん、口寂しいのだろう。そしてこういう癖をもつ人間の御多分に洩れず、わたしはやや肥り気味の体型をしている。

むだのない体型にあこがれているし、できれば欲しいのだったが、口をしじゅう動かしていることの三大欲求的快感が、うつくしい体型を得るという二次的な欲望を、いつもねじ伏せてしまうのだった。

#日記 #エッセイ #食 #100個目

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