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我日常を愛する者也

自己肯定感が低い人は自分のことばかり考えている、というポストをきのうXで見かけ、話半分で読んでいた。自然と忘れてもいい失敗などを何度も脳内再生し、自分は駄目な人間なんだ、と思いがちだと。それらしい論法ではあるけども、自分のありようにぴったり添うかといえばそうではないので、斜め読みしていたのだった。自分のことばっかり考えてはおるし、突然何年も前の失敗がフラッシュバックして恥の感触に苦しむこともあるけど、いまのわたしの自己肯定感はそう低くないと思うのだった。わたしが自分のことを失敗も含めて書くのは、自分の良い部分も駄目な部分もできるかぎり公平に書こうとするゆえであって、自分を過剰に貶める意図はない。駄目な部分も書こうとしないと、いかにもな自慢話感を削った小賢しい自慢話をえんえんと書くだけの人間になってしまう。

最近の「自分の話」は、リップの重要性についての気付きである。どんなにアイメイクを濃くしても唇がすっぴんだと顔がぼやけて見えるのに、発色の強いリップを塗った途端、顔が完成することに気づいた。ゆえにマスクを着用した自分の顔はとても物足りなく見える。人の印象に残らないという意味では便利だけども、化粧の楽しさ的には、やはり全面的に顔を出していきたい。

もうひとつの気づきは、自分がとことん旅行に向いていない人間だということ。旅行の間じゅう続いた、いくら薬を飲んでも止まらなかった謎の胃痛が家に帰ってくるなりあっけなくおさまったのを体感して、確信した。ひさびさに手応えのある、腹にストンと落ちる確信だった。

わたしは慣れた場所に身を置いて、ほそぼそとお菓子を買って食べたりお茶を飲んだりすることこそが幸せなのだ。結婚式とか家族旅行とか新婚旅行とかの非日常にお金を使うことでは、わたしは満たされない。たのしまなきゃ、と意識し過ぎるあまり、心からたのしめなくなるのだ。たのしんできてね、と人に言われるたびに、たのしんできます、とか、たのしみです、と返しながらその実、どうしてもたのしく感じられない自分を悪人のように思っていたのだが、なんのことはない、わたしは日常を愛しているだけなのだ。非日常に対する愛は、日常に対するそれとは比べものにならないくらいすくない。ただ、それだけだ。

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