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《ひと》理事 中沢翔馬

こんにちは!みやっこベース広報チームの清水です。

みやっこベースに携わる方々をご紹介する連載企画《ひと》。
第7回となる今回ご紹介するのは、みやっこベース 理事 中沢翔馬さんです。
宮古で働く傍ら、みやっこベースのみならず地元・山口地区の青年会にも所属する中沢さんは、「人との出会い」の大切さを熱く語ってくださいました!



プロフィール

1991年生まれ、岩手県宮古市出身。
家業が農業で、自然や生き物と触れ合いながら育つ。
宮古高校を卒業後、青森大学社会学部に進学。大学1年の終わり頃に東日本大震災が起き、友人宅の片付けやボランティアセンターで復旧活動を行う。
大学を卒業後は、筑波大学人文社会科学研究科の大学院に進学し、「消防団を軸に地域との繋がりを考える」研究をする。
修士号を取得した後、24歳で宮古に戻り、岩手県農業共済組合に就職。
この頃から本格的にみやっこベースの活動にも参画し始め、みやっこタウンでのブース運営や高校生マイプロジェクトのサポートなどに尽力している。


農業・自然・地域と密着した幼少期


ーーまず、宮古でどんな幼少期を過ごしたか教えてください。

山に囲まれた緑豊かな環境で育ったので、遊びといえばもっぱら自然と触れ合うことでした。
実家が農業を営んでいるので、畑で遊ぶことも多かったです。実家では牛を飼育していたので、中学校ころまでは学校から帰ってきたらすぐ牛小屋に行って、そこで過ごしたりもしました。

今勤めているNOSAIでは、農家さんとやり取りする機会が多いので、実家が農家であることは、仕事をする上でアドバンテージになっています。農家さんとも話す機会があるので、家業の手伝いも役に立っていますね。


ーー小さい頃から農業に関わる仕事がしたいと思っていたのでしょうか?

いつかは実家を継ぐんだろうなあという漠然としたイメージは、中学生くらいから今に至るまでずっと持ち続けています。ですが、憧れた職業はたくさんありました。
父が地元の消防団に所属していたので、消防士になりたいと思っていましたし、社会科の勉強が好きだったので、学校の先生になりたいと思ったこともあります。新聞社で短期のインターンシップをしたこともあって、新聞記者もいいなあ、と思ったりもしました。

家業があるとはいえ、継がなければならないというプレッシャーや、反発心などは特になかったですね。農業そのものもそうですが、ご近所付き合いとかも嫌ではなかったので。

農業の話とは少し逸れますが、父親の世代が立ち上げた「山口青年の会」という団体があります。地域の盆踊り会や夏祭りを主催する団体で、幼い頃から関わりが深い団体です。
子どもの頃の記憶といえば、お祭りの場に友達が遊びにくる中、自分はかき氷の露店の手伝いを大人と一緒にやっていました。そういった意味では、子どもの頃から地域の一員として活動することにまったく違和感はなかったです。
今、自分自身が「山口青年の会」に所属しているので、地元の賑わいづくりに少しでも貢献したいですね。「地元でワイワイ楽しむのが当たり前」という原体験に繋がっていると思っています。

大学時代に起きた震災と、大学院生の頃


ーー中沢さんにとって、農業や地元と何らかの形で関わり続けることは違和感がなかったのですね。
社会人になり、NOSAIの仕事に就くまでに紆余曲折があったと思うのですが、大学生・大学院生の頃のお話を伺いたいです!


大学に入りたての頃は、やさぐれていました(笑) というのも、自業自得なんですが、大学受験は自分の中で納得の行く結果ではなくて、第一希望どころか第二、第三希望にも合格できず、なんとか入学できたのが青森大学でした。そんな中で自分の勉強に対するモチベーションが保てず、やさぐれモードに入っていたわけです(笑)
ですが、ある先生に出会って、その方が開いている自主ゼミに参加するようになってから、頑張りどころが見つかって勉強に励むことができるようになっていったと思います。

これが大学1年の頃の話なのですが、大学2年に上がる直前の3月に東日本大震災が起きました。地震が起こった瞬間は自分はスーパーにいました。
自分は無事だったので、まず母親に連絡を取りました。小学生だった妹と一緒にいるという話をしている最中、テレビから流れてくる津波の映像を見て悲鳴を上げたきり、電話の向こうが繋がらなくなって。父親も消防団員でしたし、生きているかどうかわからない状態でした。
幸い、翌日から家族全員無事だということがわかり、地震当日から4、5日経って交通インフラが復旧するのを待ってから、実家に帰省しました。当初は被災した友人の家の片付けの手伝いなどをして、宮古のボランティアセンターが開設されてからはそちらでボランティア活動をしました。


ーー青森の大学に通いながら、宮古には頻繁に帰省していたんですね。ボランティアセンターで活動していた時期のことを教えていただけますか?

震災後の8月頃から活動に参加し始めました。
当時、早川さんがリーダーとなって行う活動のメンバーになる機会がたびたびあったので、年代が近いこともあり、そこから早川さんとの繋がりができました。

食事に連れて行っていただくことも増えて、その場でみやっこベースを立ち上げることをきいて。2013年冬のみやっこベース設立当初の高校生サミットや、みやっこハウスの立ち上げ時期にも少しだけ関わったりしました。

【写真】仮設住宅の子どもたちと。

【写真】2011年夏、災害ボランティアでの一コマ。

とはいえ、まだ学生の身だったので、みやっこベースの活動にはそこまで頻繁に参画することもできず、正直顔を出す程度でした。
復旧が急務だったボランティアセンターでの活動時期から時間を経て、宮古を「復興」させようと動き出した時期にみやっこベースができたわけですが、メインターゲットの高校生にとって年代が近い現役大学生だったからこそ、早川さんが声をかけて活動に巻き込んでくださったんだろうなと思っています。


ーーリアルな大学生の声が受け取りづらい宮古の高校生にとって、中沢さんの存在は大きかったと思います!
少し話が戻りますが、大学3、4年生での学びについて伺いたいです。


自分のルーツとして、消防団員の活動をしていた父親の背中を見て育ったので、「宮古の消防団が震災時どんな活動をしていたか」といったテーマで、団員の方々に聞き取り調査をした内容をもとにして卒業論文を書きました。結論としては、消防団の活動が盛んな地域は、地域に対するコミュニティ意識が高いのではないか、ということでまとめました。

大学の先には就職や進学の道があるわけですが、3、4年生でお世話になった卒論ゼミの先生に「外で揉まれてきた方がいいよ」とアドバイスを受けたんです。そこで、今まで眼中にもなかった大学院への進学を勧められました。

実は、大学院に進学するまでには、親への説得が必要でした。大学を出たら当たり前に就職するだろうと思っていた親からしたら、急に進学したい!なんて、びっくりですよね(笑)
自分は熱しやすいところがあって、先生からのアドバイスを受けてからもうどうしても進学する気持ちは曲げられなかったので、「2年で必ず卒業するから!」と約束しました。先生にも同じく説得をしてもらって、なんとか了承を得ることができました。

もっと言うと、大学院へ進学するためには、自分で書いた卒業論文を提出する必要があって、とにかくこってり絞られましたね…(笑) ですがそのおかげもあって、無事に筑波大学人文社会科学研究科の大学院に合格することができました。


ーー大学院への進学を勧めてくださった方は、まさに恩師ですね…!
大学院ではどんな研究をしていたのでしょうか?


大学での卒論に引き続き、地域と消防団の関わりについてを研究しました。
大学院での一番初めの発表の際に、まずは卒論を発表する場があったのですが、ここでも新たな出会いがありました。
発表を聞いていた先輩から、「消防団に所属するってことは、地域への愛着がそもそもある人だよね? その人たちの意識が高いのは当たり前。中学校の社会科じゃないんだから」と厳しいお言葉をいただきまして…。その後の質疑応答はなんとか乗り切りましたが、頭が真っ白になりました。
ですが、その先輩こそ、今でも繋がりがある大切な友人です。よくラーメンを奢ってもらって、そのたびに「俺が奢った分、後輩ができたときにその子に奢ってあげなさい」と言うような人でした。今でも親しくしていることを考えると、本当にいい出会いだったな、と思いますね。

修士論文の内容は、大学での研究から一歩進めて、「消防団で活動することは地域との繋がりが深い=地域で生きていくためのひとつのルートになり得るのではないか」という結論に至りました。
地域の人材として生きていく、ひいては地域とともに生きる道として、消防団がその役割を担っているのではないか、と考えました。

社会人になってから、そしてみやっこベースのこれから


ーーさまざまな出会いがあった学生生活を経て、宮古で働いている中で、どんなことを日々感じていますか?

みやっこベースや「山口青年の会」をはじめ、改めてたくさんの方々との出会いあってこその今があると感じています。
みやっこベースで言えば、震災当初にボランティアセンターで出会った早川さんから、現・理事の花坂さん、有原さん(※有原さんのインタビューは次週公開予定です!)といった方々との繋がりが生まれて、公私ともにとてもお世話になっていて。みやっこベースができた当時、高校生と年代が近い大人という立ち位置で関わっていましたが、自分にとっては早川さんたちが「大人」世代なので、彼らの活動から学んで、刺激を受ける部分がたくさんあります。

また、消防団つながりで言うと、昔は若い世代の男性が、その上の世代の先輩団員から、地域でのふるまい方を学ぶ場という側面がありました。しかしそういった「地縁」組織の力がだんだんと弱まっていて、地域の中でどう生きていくかを知る・学ぶ機会が減っている現状があります。

こうした自分の経験や体感から、「誰と出会うか」「誰と関わるか」は、その後の未来を大きく左右すると思うのです。

今の宮古、ひいては日本全体にとって、農業などの一次産業のみならず、どんな産業セクションでも人材不足が大きな課題だと思います。SNSも普及してきましたが、誰もが使いこなせるわけではないのが実情です。
そんな中で、みやっこベースの役割として、未来を担う世代に色々な選択肢を提示することが求められているのではないかと考えています。

例えば、自分のように農業にルーツを持つ人間でなければ、将来農業をやろう!と簡単には思わないはずです。そこで、みやっこタウンなどのイベントを通じて、こんな仕事もあって、どんな内容の業務をしているよ、という発信をすれば、その子たちの未来の選択肢の一つになるかもしれないですよね。
若い世代が「何かやりたい、知りたい」と思ったときに、情報や機会の提供ができる団体でありたいと思います。

みやっこベースも設立から10年が経って、当時学生だった自分や、OBOGが運営側として参画するようになり、代替わりの時期に差しかかっていると感じます。
代替わりをしても、団体としての理念や活動をしっかり継承していくことができるように、組織の人材や資金といった部分の力をつけていくために、努力していきたいです。

おわりに

みやっこベース設立当時は学生だった中沢さん。
現在は理事として、そして宮古で働く大人として活躍される姿を深掘りしていくと、ご自身で掴み取ったチャンスはもちろん、みやっこベースが繋いだ出会いも中沢さんの活動のエネルギーの一部になっていると感じたインタビューでした。

ちょうどお盆が近い昨今、きゅうりやトマトなどの収穫・出荷作業で大忙しだそうです!陰ながら応援しております!!

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