可愛い=背が高い

私が同級生から「可愛い」と言われるようになったのは小学6年生の頃からだ。
中学、高校、大学、更には就職後の同期に至るまで、周りの環境がどんなに変わっても同じことを言われ続けてきた。

それを真に受けて私は私が可愛いと思い込むようになっていた。
そして自分はモテると思い込んでいた。
それが間違いだった。

モテ要素と並列に扱われがちだが「イケメン」「可愛い」「美人」などいう言葉は、実際のところ事実を言っているにすぎず、それは「背が高い」や「太っている」と同じで大きさはあれども本来ベクトルを持たない要素だ。
なんなら「眼鏡をかけている」とかと同類かもしれない。
「背が高い」からといってそれがすなわち「好き」に繋がるわけではないように、「可愛い」もそれと同じなのだ。
私が周囲の人間から「可愛い」と言われ続けたことから、私が可愛いことは事実である可能性が高いが、それはモテることとは一切関係ない。
そこを区別し自覚することができないまま、私は大人になってしまった。

一般的にそれ自体はマイナスな要素ではないことのほうが多いし、イケメンでモテる人、可愛くてモテる人はいる。
そして間抜けなことに私もそれと同様に自分も可愛いからモテると思い込んでしまうようになったのだ。

これは文字にすると笑い話のようだが思ったよりも深刻な話だった。
私は自分がモテると思いこんでいるから、人と関係を形成するときにみんな私のことが好きに違いないと思っている。
そして関われば関わるほど、「私はこの人に言い寄られたとしても答えることができないから」と自分から関係に距離を置き始める。
誰に対しても見下すようなスタンスを取ってしまう人間性の原点もそこにあった。
逆に「この人は私に言い寄ってくるはずがない」と自分の中で思える人にしか本当の意味で気を許すことができていなかったかもしれない。
結果として友達も少ない。

齢30を手前にしてようやく気づいた。
私は可愛いという性質こそ持っているものの、人間としてほとんど誰にもモテない。
とはいえここまで時間をかけて自分の中に染み付いたこの深層心理はそう簡単に言い聞かせて上書きできるものでもないのだ。

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