長くて長くて短い歴史。
元来、こういう類のものを継続させることがめっぽう苦手な僕ですが例に漏れずなかなか投稿することができませんで。。
とりあえず小学生の頃の写真でも貼って話題を作らなくては。。
さて、僕はナショナルチーム(フェンシング日本代表)になってから10年目になろうとしています。
中学生の頃より、つまり太田雄貴会長(以降太田先輩)が北京オリンピックで銀メダルを獲得する前から、ナショナルチームの練習に参加させていただいているので約15年間このチームに関わり続けています。
それだけ代表として活動していると、様々な事がらに立ち会うことがありました。言いたくはありませんがそろそろ“生き字引”になろうとしております。笑
インプットは嫌というほどしたので、そろそろアウトプットをしても良いかな?という時期に差しかかかってきちゃいましたので少しずつ少しずつ思い出を紹介できればなと。
15年という長くも短い歴史の中には様々な物語があります。
オリンピックやアジア大会でメダルを獲得したことはもちろんのこと、チームで餃子を100人前食べたこと、良い歳をした大人たちが全力鬼ごっこにハマっていたこと。そしてその思い出たちが新世代に引き継がれたこと。
今でも思い出すだけでニヤニヤしてしまいますが、やはりその歴史の中心には紛れもなく太田先輩がいたのを覚えています。
今では考えられないことですが、当時は太田先輩のお家に呼んでいただき手料理を作ってもらったり、北京オリンピックの直前には一緒に開会式を観て、次の日に太田先輩の荷物(あの人のは結構重いw)を持って旅立つ先輩を見送らせていただいたのも良い思い出です。
これからも継続できるかわかりませんが、せっかく生き字引化してきた僕ですので、ふと思い出した時に書き続けていければなと思っています。きっと何かの参考になるのでは?(どうだろ。)
前置きはこれくらいにして、、、
実はここからが本題です。
そんな長い文章を書きたくないので一度ここで区切りましょう。
次回は「太田先輩が最後に残した言葉」を考えてみます。
皆さんに支えていただくと共に競技に対して僕が抱いているドキドキやワクワクを共有したいと考えています。一緒に戦いましょう!三宅 諒