ウズベキスタン滞在記 その3 ナマンガン 12月14日

画像1 次の日、朝早く起きると、アザムとタクシーで駅に向かった。タシュケント中央駅ではなく、違う市内の駅だった。(名前は忘れた)で、ナマンガン市のPOP駅に向かう。ナマンガン市は、アザムの故郷で、実家がある。フェルガナ渓谷にあり、タシュケントの東150km辺りにあると言えば良いだろうか。列車で2時間くらいである。POP駅からタクシーに乗り、アザムの実家に近くにある中学校(日本で言えば、12才から15才くらい?)に向かう。せっかく日本から来たんだから、なんか話をしてくれと言う。いや、マジすか?光栄なんですけど。
画像2 かつて、ルーマニアの友人で詩人の、ダニエラさん( Daniela Varvara)が教師を務める、コルブ(Corbu)の町で、ルーマニアの中学生?に講演して以来の事である。ナマンガン市のNo.12(日本と違って、番号制である)の学校に着くと、三人の女性の先生が出迎えてくれ、早速、クラスに案内される。マジすか?何喋ろう?クラスの級長らしき女の子が、山盛りのナンとハチミツをお盆に盛ってプレゼントしてくれる。感動なんですけど!しばし心を落ち着け、担任の先生とアザムの紹介のあと、簡単に自己紹介する。
画像3 そのあと、日本と日本文学(短歌、俳句)について、少し英語で話をする。アザムが逐一、ウズベク語に訳して生徒に伝える。生徒から、私、日本、そして俳句や短歌に関する質問がいっぱい出る。冷や汗をかきながら、なんとか答える。先生たちからも、日本の定年制や、家族の在り方、はたまた子供に対するインターネット・ゲームの悪影響などを聞かれる。笑 アザムも、国際的に活躍するための英語を学ぶ重要性(ウズベキスタンでは、ウズベク語とロシア語が多く話される)を生徒たちに語る。こうして、日本とウズベキスタンの交流が行われたのである。
画像4 交流が終わると、アザムと先生たちと近くのアフシケント(Akhsikath)遺跡を訪れた。9-12世紀に栄えた、バブールのムガル朝と関係のあった街らしい。地震で滅びた街だが、水道トンネルなど優れた土木技術を持っていたという。見学のあと、先生たちと魚料理で交流会。このとき知ったのだが、実はアザムと先生たちは、教育大の同級生同士なのだという。仲が良いわけだ。先生たちは、私より若干若い世代なのだが、すでにお孫さんたちがいるという。なるほど、日本の定年制や、家族の問題に興味がある訳だ。笑 会はなごやかに進む。
画像5 先生との親睦会のあと、いよいよアザムの実家に向かった。今夜はそこに泊まるという。さらに驚かすため、私という日本人を連れていくことさえ伝えてないという。大丈夫すか?笑 しかし、その心配は杞憂で、夜も遅いというのに、アザムのご両親、兄弟、姉妹、姪御さんたちが暖かく迎えてくれる。しかも、美味しいごはん付きで?近くに住むという、さらなる兄弟や親戚がぞくぞくと集まってくる。(アザムはなんと8人兄弟!)なんだか申し訳なくなってくるくらい、歓待してくれる。本当にありがとうございました!お土産も、山ほどいただいた。
画像6 ウズベキスタンの人々は、家族や地域の繋がりをめちゃくちゃ大事にする。日本もかつてはそうではなかったか?私はこのアザムの大家族の温もりにつつまれながら、ある種の郷愁につつまれていたのである。(そういえば、アザムによれば、日本のNHKの連続ドラマ、「おしん」は大人気らしい) 日本とウズベキスタンの家族制の類似性に思いを馳せながら、私はアザムの実家で眠りに着いたのである。        一首                 寒昴アジアの大地に瞬きて大家族集ふ夜嘉しけり

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