コーチングの言葉1

最後の夏、そして最後の駅伝の話〜高校生⑩〜

最後の夏は「楽しかった」です。

「楽しい」というと少し語弊があるかな・・・ただ、先生と腹をわって話をした後に迎える夏は、全ての練習が血となり肉となっていたそんな感覚がはっきりありました。垢を落としきってスッキリした状態。本当は最初からそんなシンプルな姿勢で物事を考えられていたら、気持ちも楽だったんでしょうね。

体の不調は相変わらずだったので、この時期に許されていた練習は60分ジョグだけでした。バスケならドリブルとランニングシュートのみ、野球ならひたすら素振りだけを許されていたようなイメージを持ってもらえたらわかりやすいかなと思います。ただ、その時の自分にとってはその練習が、一番合っていて必要な練習だったんだと思います。

その証拠に秋には5000mの自己ベストを30秒近く更新。あんなに苦労してたのになんだったんでしょうね。心の問題は体とつながっているんですね。

■受験生としての夏

そして、もう一つ。高校三年生の夏といえばやはり大学受験を控えた大切な時期です。夏休みに入れば毎日のように補講があり、夏休みだからといって勉強が楽になるわけでもなく、必死に勉強しました。周りの友達はもちろん受験生。外で運動するなんてありえない!というような生活をみんなが毎日過ごしている中で、僕はというと補講が終わると陸上競技場に一目散、練習に向かう毎日でした。いやぁ、違和感ありましたねーw

ただ、自分の中ではちゃんと吹っ切れていて、今しかできないことをきちんとやろうという想いになっていました。それは受験生の友人にも伝わっていたと思います。

苦しみも いつかは変わる 喜びに
信じて走る 三年の夏

ちなみに、高校三年の授業でも短歌を作りました。そして授業中の投票でまたまた一番になって図書カードゲットです(笑)短歌が良かったというよりも、自分が受験勉強そっちのけで走りに行く姿をみんなが見てくれていたんでしょうね。勉強はどんどん遅れていくけれど、表情に迷いはなかったと思います。

■最後の駅伝

そして迎えた最後の駅伝。尾山台高校にはイキのいい一年生が二人入っていたので、前評判も完全に向こうが上でした。記録を見ても向こうが一枚も二枚も上。勝つのは難しいような状況だったけれど、そんなの関係なし。心の状態は前年よりもはるかによくて、スタート前は欲もなくプライドもなく、ただ素直に走ろうと思えるような状態にありました。

三年連続の一区。そしてタニグチも同じ区間に配置されていました。

1区10kmは30分足らずで終わります。マラソンをする今となってはあっという間の時間に思えるのですが、高校生にとっては十分長い距離です。そんな「30分」の時間は僕の3年間の想いをぶつける時間でした。先生との歯車が噛み合って練習できたのはほんの3ヶ月くらい。だけど、もがきながらも続けてきた練習は僕のことを裏切らなかったです。

1区間賞
総合2位

これが僕たちの最後の駅伝でした。

■師弟関係考

残念ながら結果はついてきませんでした。ただ、この日のためにやってきたことがしっかり力になって、結びついた瞬間だったことは間違いないです。

競技スポーツは結果が全てです。「競技」と名乗る以上、それは避けられない運命だと思っています。ただ、そうった中でもあえて「人間教育」としての性格を加えたとすれば、価値も意味もある時間を過ごせたと思います。

全てのレースが終わってから、ヤマシタ先生が家まで送ってくれました。

「コータ、お前を京都に連れて行ってあげられなくてスマン」

決して否定的な声ではなく、むしろ明るかったです。負けた悔しさはもちろんあります。悔しくてしょうがない。。。だけど、やってきたことへの自負は僕にも先生にもあったのだと思います。僕はむしろヤマシタ先生に

「先生を京都に連れて行けなくてすみませんでした」

と伝えるつもりでした。想いの一致ってきっとこういうことなんでしょうね。まさに「師弟関係」。色々あったけれど、ヤマシタ先生は尊敬する先生の1人です。いや、色々あったからこそなおさらかな。。

高校3年間の挑戦はここでおしまい。このときこうしていれば違っていただろうなという悔いはたくさんあるけど、金沢泉丘高校を進学先に選んだことは後悔ないです。

ありがとうございました。

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