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大切なことは陸上競技が教えてくれた 〜中学生②〜

ワールドカップの陰に隠れながらも、陸上競技の日本選手権が今年は山口県の維新スタジアムで行われました。日本一を決める大会なのでさぞ注目されているかと思いきや、スタジアムが満員になることは残念ながらなかなかありません。いつもこのことが問題視されますが、今回の中継を見ているとかなりいろんな工夫がされるようになってきたなと感じています。スタート前の選手紹介、ゴール後のキャノン砲、観客が持っていた応援ハリセンなどなど。人を集められないメジャースポーツ=陸上競技と言われますが、人が集まらない=つまらないというわけではなく、身内びいきなしに、とても面白いスポーツだと思っています。昨年100mで日本人初の9秒台が出てから日本の陸上界は非常に盛り上がってきているので、これを良い契機としてどんどん盛り上げていきたいですね。自分も少しでもこういった「スポーツの普及」に関わることもできたらいいなと思う今日この頃ですが、やりたいことがたくさんあって体がいくつあっても足りません。いやぁ、生きるって面白いです。

今の自分は競技者というフィールドではなく、トレーナーというフィールドにいます。裏方として陸上競技を支えたいという思いは非常に強いですが、「日本選手権に出る選手」と「日本選手権に派遣されるトレーナー」を同時にみると、まだまだ選手を羨ましいと思ってしまうのは、裏方になりきれてない証かもしれません(苦笑)中学生の頃を振り返っていると、懐かしくなると同時に走りたい欲がムクムクと出てきます。それは素直な自分の心ですし、そういったマインドは目標に向かって走る選手やランナーの心に共感していくためにはある意味大事なことだとも思っているので、こういった選手寄りのマインドも冷めないようにしなきゃいけないですね。・・・と自分の心のあり方を正当化しておきます。

■「全国デビュー」

中学校の3年間という時間は本当に短いなと改めて思います。高校もしかりですが、多感な時期に色々な経験をさせてもらえたことはよかったです。陸上競技は冬季練習という鍛錬期があるため、この時期にどれだけ気持ちを切らさずにトレーニングできたかは翌年度のシーズンを占う大事な期間になります。僕の故郷は雪深いところなので、冬になると外で練習できない時期があるのですが、そんな時には体育館の中をぐるぐるひたすら回っていました。60分ジョグと40分ビルドアップの繰り返し。よく飽きなかったなぁと感心します。毎日単調な練習の繰り返しでしたが、ペースが上がる最終段階では競走必至。その日のイチバンを決めるために最後の1周直前になると牽制するように辺りを見回し、ペースアップしやすい位置を探してヨーイドン。ドキドキする練習で勝ったり負けたりするからよかったんでしょうね。いい練習してたと思います。

今のようにSNSがない時代。練習状況を記入する掲示板が重要なモチベーションツールでした。陸上競技場で練習するオトナが走るメニュー内容を眺めるのが好きでした。

2年生の冬には都道府県対抗クロカンリレー大会、都道府県対抗駅伝に選んでもらって出走しました。いずれも大会のムードに圧倒されてイマイチ力を出し切れたとは言えない結果でしたが、この経験は非常に大きかったです。全国の舞台は石川県の陸上競技の常識とはまた全然違って、非常に厳しかったです。田舎の大会は本当に小規模でちょっと勝つと簡単に上に行けます。ところが、東京や大阪など勝ち抜かなければいけないステージが多く、出場人数も多い環境の中では勝つことが本当に難しく、多くの中に埋れてしまうなと教員時代は強く感じていました。井の中の蛙大海を知らずですね。。。


■いきなり県中新!?

冬を越えて春になりトラックシーズンがスタート。最終学年となった僕は長距離チームのキャプテンになりました。キャプテンというと、周りのことを考えすぎて潰れてしまうケースもよく聞きますが、テツオ先生というパワフルな顧問が生徒以上に喜怒哀楽表現が激しかったので、僕が何かを気にする必要は全然なくいい意味で気楽に走れました。

シーズン初戦となる郡大会(石川県大会の予選)が4月に行われるのですが、中学校のすぐ近くに陸上競技場があったため、同じ学年の友人達が応援に来てくれました。陸上の大会だけ、平日開催だったのですが、授業を潰して先生が応援によこしてくれたようです。小さな競技場に総勢150人ほどの応援団。贅沢ですね(笑)ただ、変にプレシャーになることもなくのびのび走れたのは、かけっこあがりの陸上競技だったからかもしれません。

時計もつけずペース配分も全く決めないレース。とにかくゴールした時に全力を出し切ったと言えるようなレースにしよう!というシンプルな作戦でした。もともと何も考えずに走るのが好きだったので、時計は一切に見ずに自分の感覚に頼って走ったのですが、今はそんな恐ろしいことはできないので、こういった能力はきっと人生経験によって退化していくんでしょうね。とにかく少しでも速くゴールへ!

記念すべき石川県初3000m8分台!ライバルの存在は本当に大きかったです。当時の友人の結婚式翌日に2人で30km朝練に行くような仲です(笑)

終わってゴールタイムを見ると、石川県の中学生として初めて3000mで9分を切る県中学新記録(当時)。一瞬ポカンとして状況が理解できませんでい下が、周り盛り上がりに事の重大さに気づきました。まさかこんなタイムで走れるとは。。。そんな想いとともに、自分自身が一番状況を理解できなくて涙が出てきたのを覚えています。全国的にみれば当時でも決してすごく速いというタイムではなかったと思います。今なら埋れちゃうタイムですしね。それでも一地域の中で誰も到達したことのない段階に進むということは大きな価値があるなという事実は間違いないと思っています。大きな自信、そして大きな一歩でした。

■受験生の夏は「合宿の夏」

中学3年生といえば、人生で初めての「受験」を経験するお年頃です。もちろん僕も例外ではなく、受験生としての夏を過ごしていなくてはいけないのですが、その年は北海道合宿を皮切りに、北信越大会、長野合宿、山形全中、そして石川合宿とほとんど家にいない毎日を過ごしていました。人生において大切なことの多くは中学生のときに学んだと思っていますが、この1ヶ月半は本当に濃くて貴重な時間でした。

県のなかではそこそこ名前が知れ渡っていた時期だったので、大会にいけば声を掛けられるし、有名人としての自覚は多少なりともありました。いま思い出してもお恥ずかしい。。。そんな望むと望まざるとチヤホヤされてしまう中学生だった自分が、合宿中のミーティングで何気なくボーッと話を聞いていた時の出来事です。

「お前は誰だ!肘をついて話を聞く奴がいるか!ばかもの」

と怒鳴られました。恥ずかしいやら悔しいやらで心臓がドキドキしましたが、その時怒ってくれたのが、当時石川県で女子のチームを率いていた地元実業団の監督さんでした。あとで、「お前が宮川か。。。」と気づかれてまたお説教。厳しい事で有名な監督。でも、普段は面白くて気さくで自分がピンチの時は誰よりも味方になってくれた熱い人でした。ミーティングの時に肘をついて聞いていたつもりはないのですが、気の緩みなのか、はたまた偉ぶっていたのかわかりません。中学生の自分にとってはガツンと響きショックでした。

「どんなに足が速くなってもいい加減な人は誰も応援してくれないぞ。」
「お前は人の気持ちがわからんだろ、周回遅れになって走る人間の気持ちを考えたことがあるか?」

ことあるごとに厳しい言葉をかけてくれましたが、今ならホントよく分かります。きっと中学生当時の自分を今の自分が見ていたら同じように叱っていたでしょうね。いろんな意味で厳しい合宿でした。そしてこの忙しい中でも勉強する時間はちゃんと確保される合宿だったので、おかげさまで勉強の方も遅れを取らずに済みましたとさ。忙しい中3でしたね・・・



うーん、、、長くなったので、続くぅ

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