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高校生アスリートの熱戦に帯同して感じたスポーツの本質とトレーナーの役割 #トレーナーレポート

高校生の全国大会、通称「インターハイ」

都道府県予選を勝ち抜き、地区大会を経てようやく辿り着けるその”大舞台”には多くのドラマがあるなといつも思います。

もちろん学生スポーツは強者だけに門戸が開いているわけではなく、全てのアスリートに平等です。そもそも個人のストーリーに優劣をつけるものでもありませんよね。

ただ、トップ・オブ・トップを目指すアスリートが纏う空気感と緊張感はちょっと独特で、それが『インターハイ』たる所以なんだろうなと思ってます。

今年のインターハイ(陸上競技)の舞台は北海道でした。

トレーナー派遣が決まってから、たった3年間しかない時間の中で青春の多くを競技に捧げているアスリートたちの真剣勝負の場をしっかり支えなければいけないという使命感が本当に強かったです。

そんなインターハイでの出来事を備忘録として残しておこうと思います。



インターハイの思い出

高校生として(当事者として)インターハイを目指していたのはもう22年も前のこと。時の流れは恐ろしいほど早いですね、、、自分が重ねてきた年齢にもビックリします(苦笑)

残念ながら「選手」としては縁がなかったインターハイですが、「トレーナー」として参加させてもらう機会をいただけたのは、ちょうど10年前でした(大分インターハイ)。

高校生にして100m9秒台に肉薄していた桐生祥秀くんが洛南高校の3年生だった頃。そして、高校生オリンピアンとして騒がれていた土井杏奈さんも埼玉栄高校の3年生だったので、今振り返ると凄まじい年でしたね。しかも2020年に東京でオリンピックが開催されることが決まったのも、そのインターハイ期間中だったので、そりゃもう盛りだくさんすぎてネタが尽きないのなんの。。。

はじめてのインターハイということで、気持ちも高揚していたと思います。でもそういう時って色々あるもんなんですよね。痛い目にもあったし、本当に勉強になりました。

その時のことを記したnoteはこちら。

ほろ苦い思い出と尊敬する先輩トレーナーのおはなしですが、今読み返しても若いなぁと感じずにはいられません笑

当時は国家資格を取ったばかりの新米柔道整復師。そして30歳をすぎて日本陸連のトレーナーになったので、扱いにくいオールドルーキーだったことでしょう(苦笑)

年齢はある程度重ねていても、できることはまだまだワカゾーレベルだったので、知識も技術も不十分。高校生アスリートに本当の意味で寄り添えていたとは言い難かったと思います。それでも、”できないことをちゃんと自覚することの大切さ”をしっかり教えてもらったインターハイでした。

北海道インターハイでの自分の役目

時は流れて10年。この10年間で自分がどんなふうに成長して、周りにどんな影響を与えられるか?それを試されていたような気分でした。

そもそもインターハイ本番でトレーナーが”学ばせてもらう”ということ自体、本来的には不適切で本当はしっかりした準備のもと高校生をちゃんと安心してサポートできるような状態でいなくちゃいけないですよね。ただ、誰にでも新人時代があって、そういうトレーナーも受け入れてくれる仕組みが日本陸連にはありました。多くの先輩トレーナーに助けてもらったからこそできた活動だったと思っています。

だからこそ、今回のインターハイは、思い上がりではなく自分には”後身を指導する立場”も求められているだろうなと思ってました。

今回のトレーナーチームは総勢8名。こういった大舞台に派遣されたことが何度もあるベテラントレーナーから、10年前の自分同様に”初めての陸連トレーナー業務がインターハイ”というトレーナーまで種々雑多。バランスが取れた人選だったなと思います。

学んできたバックグラウンドはもちろん違うし、出来ることも、苦手なことも、大切にしていることも人それぞれ。いろんなトレーナーが集まるからこそ、良くも悪くも個性が強く出てうまく連携が取れない出来事もありました。でも、共通認識として持っていた自分たちの役目は

①高校生アスリートの安全を守ること
②緊急事態が起こった時にすぐ対処してダメージを最小限に抑えること

だったので、ここに関しては妥協なくできたと思います。

トレーナーも選手同様に戦っているし、本気だからこそぶつかるんですよね。過密スケジュールゆえに、宿舎に戻るのはいつも夜遅くなってましたが、翌日の救護計画を練ったり、活動の中で思ったことや感じたことを侃侃諤諤と深夜まで語りました。

指導的な立場として振る舞えたかどうかは僕が判断できるものではないのですが、今後現場で再会した時に「あの時の経験が生きてます」と言ってもらえたら最高ですよね。

Pay it forwardとはまさにこのこと。自分がやってもらったことを違う形で返せたらなと思ってます


一緒に活動した藤村トレーナー。一番たくさん話をした同志です。


高校生アスリートはすごい

インターハイの主役はもちろん高校生アスリートなので、そちらに話を戻したいと思います。

僕が担当した選手の話を一つ。彼との出会いはインターハイ2日目でした。

(選手)「あのー、ここって脚診てもらえるんですか?」

トレーナーステーションを訪れた彼は、おじさんには眩しいほどキラキラした目をしてました。大柄の体に似つかわしくない控え目な声。でも、困ってそうなのはすぐに分かりました。詳しく状況を聞くと、どうやら大会直前に怪我をしたようでした。

(宮川)「どれくらい痛むの?」
(選手)「えっと、足痛めてからもう2週間まともに走ってないんです」

まさかの返答(苦笑)でも、実はインターハイってこういう爆弾持ちの選手が結構いるんですよね。

高校3年生ということで、大学の進学を控えていて、希望する大学で陸上を続けるためにはこのインターハイで結果を残すことを求められてたようです。だいぶ切羽詰まった状態だったはずなのに、明るく色々な話をしてくれました。

僕ができることは決して多くありません。ただ、手を尽くして”痛くて走れない”ではなく、”思いっきり全力を尽くせた”と感じられるようにしてあげたいなと思ってました。僕ができうる処置は全て実施。30分程度の治療を終えて体を確認する彼の表情はパッと晴れてくれて、ひとこと

(選手)「あっ、すごい楽です!」

この時点で安心するにはまだ早いのですが、その日から彼は毎日トレーナーステーションに来てくれました。治療とテーピングをした上で、スパイクを履く→流しをする→スタブロを合わせるなどなど、本来怪我がなければレースの2週間前にガンガンやりたかったことことを北海道に来てからの3日間で急ピッチで仕上げてました。

トレーナーステーションから練習している様子が見えたのですが、治療を受けてる時とは別人のような目をしてました。高校生だと侮るなかれ・・・やっぱりアスリートですよ。走る姿を見た瞬間にザーッと鳥肌が立ちました。

顧問の先生とも色々と話をしましたが、集中力がとても高い子らしく、怪我して練習ができなかった期間があっても、最後はちゃんとまとめてくるという信頼関係があったようです。

予選は目の覚めるような快走で組トップ。続く準決勝は残念ながら勝ち上がることができませんでしたが、あの状態から本当によく頑張ったと思います。

レースを終えて、悔しさももちろんあったでしょう。それでも、レース後に僕のことを見つけるやいなや駆け寄ってきてくれて結果報告してくれました。

もっと結果が出せるようにしてあげたかったなという想いが半分、あんな状態でほんとよく頑張ったよという想いが残り半分。いろんな感情が込み上げてきてしまい、選手よりも先に僕の方がウルウルと涙ぐみ気の利いた言葉が出てきません(苦笑)シッカリシロヨww

彼のほうがびっくりしちゃったでしょうね(苦笑)

でも、「勝てなかったけどいいインターハイだったな」と思ってもらえたら、彼の人生の中では大切な思い出になるんじゃないかなと僕は思ってます。

勝負の世界でそんな甘いことは言ってられませんが、学生スポーツだからこその教育的な意味合いもやっぱりありますよね。そんな視点を持ってるってあたり、元教師の片鱗がまだ残っているようです。

トレーナーステーションから見える補助競技場


インターハイで思うこと

高校生にとってインターハイがゴールになる子もいれば通過点になる子もいます。でも、彼ら/彼女らにとってこのインターハイが人生の大切な1ページになってほしいなと僕は思ってます。

そもそも、ここまで勝ち進んだこと自体が”金メダル”。胸を張って戦い、堂々と地元に帰っていいんですよ。

いろいろなことが言われますが、やっぱり学生スポーツはサイコーです。

そんな想いを共にあじわせてくれた高校生には感謝しなきゃですね。

自分も頑張ろう!

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