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1998年夏、山形にて〜中学生③〜

一年の中で一番好きな季節は?と問われれば断然夏!汗が滴り落ちるような中で苦しい思いをしながら走るのが好きです(笑)なぜ夏が好きかと問われると明確な答えは出せないのですが、エネルギーを感じる季節だからかもしれませんね。生命力に溢れているようなそんな感覚。力をおすそ分けしてもらっているような気分になれます。

20年前の夏、僕は中学3年生でした。その年の夏も晴れた日が多かったように記憶しています。石川県から遠く離れた山形の空も晴れて澄んだ綺麗な青!薄っすら残る記憶を辿ってみても、曇り空を想像できないのはきっといい天気だった証拠でしょうね。

■全中の“苦い”思い出

全国中学校体育大会、通称「全中」。僕が中学3年生だった1998年は山形県天童市で陸上競技の全中が開催されました。真夏の暑い日が続く毎日。山形についてからもお天道様のパワーが衰えることもなく、レース当日もきっとこんな空になるだろうなと予感していました。よしやってやるという気持ちがあふれていましたが、もしかしたらそれは浮ついた気持ちだったのかもしれません。

全中に出るためには都道府県の指定大会で標準記録を突破する必要があります。中学3年の時は無事に1500mと3000mの2種目でその標準記録を突破し、全中の出場権を得ました。当時の3000mの標準記録が9分02秒。全国にこの記録を突破する中学生が100人程いて、中学生の種目としてはおそらく最多出場種目だったと思います。ランキングは20番前後で、予選を通過できるのは18人というなんとも微妙な当落線上にいました。落ち着かない気持ちが半分ありましたが、その一方で全中という舞台に立てるという喜びと達成感がすでにありました。

中学生といえど、全中にもなると立派な宿舎が用意されていて、都道府県単位で部屋が割り振られます。チーム石川は決して大人数ではないけれど、それでもキャラの濃いメンバーが揃い、修学旅行みたいな感じが出ていて単純に楽しかったです。チーム石川のメンバーもそうでしたが、誰もが各都道府県のトップ選手として活躍し、全中の舞台に集まっています。一様に自信にあふれ、独特の雰囲気で、楽しみながらもその雰囲気に圧倒されるような、少し地に足がつかない状況で何とか自分を保とうとしていたのかもしれません。

1500mはサブ種目だったため、2日目の3000m予選、そして3日目の決勝が自分にとって大事な勝負の時でした。長距離種目にとって3000mは花形種目、その年のNo.1中学生を決める一大レースになります。全国の舞台でしたがなぜか「根拠のない自信」もあって、自分も決して負けてない!と思いながらスタートラインに立ったことを覚えています。選手紹介の際は誰よりも深々とお辞儀をするという自分なりのルーティーンを通して集中を高めます。号砲とともに一斉にスタートしました。

中学生の大会なので、まだまだ子どもだなと感じる幼さも中学生らしい素直さも溢れるなぁと、今振り返って冷静に考えるとそう思います。スタート直後はガチガチに緊張しながら走る選手が何人もいましたし、みんな本当に元気、そんなにスタートから飛ばさなくてもいいのにね。今なら当時の中学生にそう諭してあげられると思います。今の経験値を持って中学生に戻れたらいいのにね(笑)

僕自身はそこまで慌ててペースを上げていたかというと、そうではなかったと思います。案外冷静にいい位置を確保して少しずつ前に進もうと考えていました(←当時の練習日誌より抜粋)
ジリジリと順位を上げていき、先頭集団は5人。その中に自分もいましたが余裕はほとんどなく、少しでもペースが上がればついていけるかわからないギリギリの状態でした。ラスト2周、1周…と残りの距離が少なくなるにつれて怖くなってきました。これ以上ペースが上がったらどうしよう、ついていけないかもしれない、ダメかもしれない…そんな「怖さ」でした。

勝負の大事な場面。勝つか負けるかの瀬戸際にいる時にこの「怖さ」は本当にジャマな感情になってしまいます。最後の1周でペースが上がった瞬間についていけなくなり、前の4人と微妙な差ができたままゴール。天候、プレッシャーのかかる条件の中で9分1秒という記録は決して悪くなかったと思います。ただ、よくもありませんでした。ゴール後は悔しい気持ちとともに、最低限の走りはできたという安心感もあり緊張の糸が切れてホッとしました。中学生にとっての大舞台は案外あっけなく終わってしまい、結局全体の20番で予選突破まで2人足りず。僕の全中はこの瞬間に終わってしまいました。結果に満足できるかどうかは結果よりも内容だと思います。少なくともその時の自分にとっては守りに入った結果の「最低限の走り」でした。しかも予選を突破できなのでギリギリアウト。ほんとカッコ悪りぃ。。。

■テツオ先生からの言葉

応援に来てくれたみんなは一様に、よく頑張った!感動した!と言ってくれます。少し上の空ながらその言葉は少しありがたかったのですが、テツオ先生だけは違いました。

「コータ、おつかれさま。よく頑張ったな。こんな舞台で走れるのは名誉なことだし、緊張もしたと思う。みんな暑さで崩れるなかきちんと走れたことは立派。」
「あと二人で予選通過。その結果をコータはどう思う?」
「オレはこの二人の存在に大きな壁を感じたよ。」
「勝つか負けるかは紙一重。そんな中で何かが足りなかったから、この結果になったし、それに気づけないとこの先コータは伸びていけないと思う。」
「今日コータが負けた18人は明日も走るよな。そんな時に明日のんびり決勝を観戦するだけじゃ、今日の差は埋まらないよ。だから、明日の決勝が始まる1時間前にサブトラックを使って1人で『3000m決勝』をやろう。」

いつも選手以上に緊張して喜怒哀楽を全開にして接してくれたテツオ先生でしたが、この時の真剣な表情は少し怖かったです。そして、こう言われた瞬間に心の中にあった自己満足としての頑張った感は全て崩れて本当に悔しくなり号泣。心から落ち込みました。結局、一人でやる『3000m決勝』は出来ず終い。足にできた大きな水ぶくれが破れたこともできなかった理由の一つでしたが、切れた緊張の糸をつなぎ直すことができませんでした。それもテツオ先生に完全に見抜かれていました。最後はテツオ先生から「やるのやめよっか」と提案を受けたくらいです。

いつも本当に面白い先生でした。いまでも尊敬しています。全国チャンピオンを3人育ててます。

翌日の決勝はみんなで見ました。北信越大会でわずかに負けた新潟県のカトウくんが準優勝。つい2週間前は数秒差で負けましたが、2800mまでは僕が引っ張っていたので、そんなに力の差は感じていませんでした。きっとテツオ先生はこの決勝の場でカトウくんのような活躍を想像してくれていたのかもしれません。タラレバのおはなしですけどね。

恩師と認識する偉大な先生はたくさんいます。それぞれが今の自分にとって本当に必要で、大事な人たちばかり。そんな中でもテツオ先生はかなり思い出深い言葉をたくさんくれました。いまでも大事にしている言葉があります。

驕らず
腐らず
諦めず

どんな状況でも決して自分を「過大」にも「過小」にも評価しないこと。案外難しいことだと思います。中3の全中は学ぶことの多いレースでした。そして、それがその先の競技人生、いや自分自身の生き方そのものにも大きな影響を与えてくれましたね。暑くて熱い夏が終わりました。季節はあっという間に実りの秋、そして勝負の秋に突入していきますが、そのお話は次回。

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