見出し画像

社会という砂漠に出てから〜2018年の話〜

唐突だが、
今思い返すと2018年は怒涛の1年だった。
環境が二転三転して目まぐるしかった。

人生で初めて転職して、
3年半務めた新卒で入社した印刷会社を2017年末に年変わる直前にキッチリ辞め、完全に未経験で何もわからない状態で広告代理店に入社。
広告のデザイン兼営業補佐的な仕事を2018年の1月から始めた。


元々、
大学で就活していた時に探していて希望する仕事だった。

2018年1月。
3年半勤めた会社の本社に退職手続きした日
帰りに立ち寄った晴海埠頭にてビールを飲む
クビになったサラリーマンにしか見えない、



しかし、
9ヶ月後の10月に退職。
1年も持たずに辞めてしまった。


現実を知ったね。
何もわからなさ過ぎたし、何も出来なさ過ぎたね。

まず、
会社にかかってくる電話の対応がわからなかったし、メールの返し方、書き方もわからなかった。フォトショ、イラレについてもわからない事が多すぎた。
(何事も自主的に勉強する事は大事だね。)

単純に勉強不足と言われれば確かにそうなのだが、
仕事を始めてみて、どうしても努力しようというモチベーションにならなかった。
というより、仕事をしてるという感じがイマイチ持てなかった。

多分自分の性格上、一日中パソコンに向かって仕事をする事が出来なかった。
ずっと座っていて、狭いオフィスの空間にいるのがストレスだった。
(昼休憩の時は雨が降っていない時かぎり外に出ていた)
前職が印刷工場勤務でずっと一日中立ち仕事で、そこからのギャップもあったかも知れないけど、そういう問題でもない気がする。

やってみたい仕事だったけど、
実際、やってみたらいろいろ違った。
会社が自分と合わなかったのもある。
(親切に指導してもらったし、いい会社だったとは思う。)

結果的にストレスが溜まり溜まって、
10月ごろ限界にきてしまい、退職してフリーターになった。

辞めた頃、
自分のダメさに情けなくなり、
メンタルもかなり病んだりしたが、ただ病んでいてもしょうがないので、
辞めた翌週くらいから派遣のアルバイトに登録し、品川の運送会社の倉庫で荷物の仕分けの夜勤のバイトを始めた。
夜10時くらいに品川駅に行き、
そこから倉庫までのバスに乗り工場で夜11時から朝6時くらいまで働いた。

荷物は重いし、休憩時間以外はずっと立ちっぱなしだし、肉体労働で疲れるが、
汗をかきながら仕事をするのは悪くなかった。
(楽しくはないが!)
働いてるというか大袈裟に言えば生きてるという感じがした。

働くメンバーは日によって毎日違った。
中年のおじさん、おばさん、フリーター、大学生、入れ墨めっちゃ入ってる人、中国人、黒人、怪しい人など。いろんな人が夜中倉庫に集まって働いていた。
それも個人的に面白かった!

長く働いてる人もいれば、今日初日の人、
2ヶ月ぶりの人、
毎日来る人、一度だけ来てもう来ない人、2日おきに来る人など
働き方も人それぞれだった。

目で見て常に変化があって動きがある仕事の方が好きなんだと思う事に気がついた。

広告代理店を辞めて約1ヶ月経ち、
品川の倉庫の夜勤で働いてる時に、

渋谷の音楽スタジオでのアルバイトでの採用が決まった。

時期は2018年11月。
怒涛の2018年が終わろうとしていた。

2018年11月の渋谷センター街
ここの音楽スタジオで働き始めた



その後
2019年は他にもコンサートスタッフのバイトも追加し、
バイトを3つ掛け持ちするガチなバイト野郎になっていく。

その話はまたそのうち2019年編で書こうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?