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文化系の悲哀 ー高校文芸誌の30年(1)

 沖縄県高等学校文芸誌コンクールが2月に開かれた。2019年度で第29回を迎えた。主催は沖縄県高等学校文化連盟文芸・図書専門部。応募7校7誌から最優秀賞に選ばれたのは、那覇高校文芸部の「HASH」第21号だった。那覇高の最優秀賞は2年連続だ。優秀賞は昭和薬科大学付属高校、那覇国際高校、首里高校。優良賞は向陽高校、奨励賞は糸満高校、開邦高校だった。これまでさまざまな高校の文芸誌が最優秀賞に選ばれてきたが、そのうち最も多く最優秀賞を勝ち取ってきたのが、今回も頂点に立った那覇高校文芸部だ。優秀賞の昭和薬科大付属、首里高校なども同コンクールの常連校だ。今年度(開催は来年2月ごろ)、コンクールが第30回を迎えるのを前に、これまでの沖縄県高校文芸誌コンクールの軌跡を振り返りたい。

 第1回沖縄県高等学校文芸誌コンクールは、1992年(1991年度)に行われている。主催は県高校文化連盟文芸専門部。現在の主催は、文芸部員たちに図書委員も加えた県高校文化連盟文芸・図書専門部だが、この前身にあたると思われる。

 1992年2月15日に開かれた審査で、最優秀賞には県立コザ高校文芸部の文芸誌「緑丘」が選ばれている。92年2月16日の「琉球新報」に出ている記事によると、結果は以下の通りだ。


■最優秀賞 コザ高校文芸部「緑丘」
■優秀賞  首里高校文芸クラブ「翠」
      糸満高校文芸部「りてらちゃる」
■優良賞  名護高校「花」
      具志川高校「THE CREATION」
      沖縄工業高校定時制「ひこばえ」
■奨励賞  泊高校通信制「小橋」
      那覇工業高校「しぐれ」


 以上の8校8誌だったようだ。記事には、審査項目として次の3点が挙げられている。

 掲載された作品の完成度や高校生らしい感性が感じられるかといった「内容」と、「印刷・製本」などの技術、さらに日常の部活動状況の三点。

 現在とほぼ同様の基準で審査が行われていたことが想像できる。さらにコザ高校の「緑丘」が評価された点は以下のように書かれている。

 「創作や評論から、詩歌、エッセーまで幅広いジャンルで構成され、望ましい文芸誌の形を備えている。また各ジャンルに質の高い作品がある」と評価された。

 評論もあったというのは、現在からすると驚きだ。
 さらに10日後の2月26日付「琉球新報」にはコンクールの「審査講評」が掲載されている。執筆は琉球大学教授(当時)の仲程昌徳氏。見出しは「各雑誌とも内容充実/予算手当し文化活動育成を」とある。仲程氏は冒頭、沖縄から芥川賞などの各種文学賞受賞者が輩出されていることを挙げ、高校文芸誌について「沖縄の文学的風土や、将来の文学を占う一つの指標ともなっていくものである」と重要性を指摘している。
 各誌の特徴を以下のように挙げている。

 『小橋』の随想、『花』の創作、『ひこばえ』の俳句・創作、『THE CREATION』の詩、『りてらちゃる』の評論、『しぐれ』の感想文、『翠』の小説等、創造性・新鮮味・豊かな感性に富んでいる作品が見られたが、総合すると『緑丘』に分があったということである。

 さらに仲程氏は公立、私立あわせて76校ある県内の高校から、応募が8誌であったことについて以下のように書いている。

 文化部の活動が、それだけ停滞しているということであろうか。多分それもあるであろうが、それ以上に文化部に対する予算の問題が、そこにはあるのではなかろうか。雑誌の刊行は十分な予算がなければ難しい。教師の努力や生徒たちの表現意欲だけで雑誌ができるわけではない。
 (略)
 表現意欲にあふれる生徒たちの、その能力を伸ばす教育がおろそかにされては、文化・伝統の継承・発展は望めないはずである。国語表現の教育の重視が叫ばれているにもかかわらず、それを発育するものが、それほど大切に考えられていないことは、皮肉としかいいようがない。

 だいぶ痛烈だが、現在にも通じる問題だ。特に92年の時点では、現在よりも印刷・製本にかかる費用負担は大きかったと考えられる。
現在なら、たとえば80ページの300部ほどの印刷・製本であれば4~5万円程度でできるだろう。部数を抑えて2万円台で作った雑誌もあると聞く。県内の印刷所に見積もりを依頼するだけでなく、ネットを通じて県外を含めて安価で仕上げてくれる業者を探すこともできる。しかし90年代はそういった状況にはなかった。

 体育会系の部活動はさまざまな大会があり、順位が分かりやすく決まり、競技人口も多く、上位進出すれば部活動としての認知も高まる。比べて文化系は大会も少なく、競技人口も少ない。出場したとしても結果は順位で明示されないこともあり、分かりづらい。そもそも文芸、文化を序列化することに無理がある。しかしそういった分かりにくさが、活動によって生徒たちの何が育成されたのかという成果も分かりづらくしてしまい、学校現場に理解のない人が多ければ、活動自体が無駄と解釈されてしまうこともあるかもしれない。

 これらに通じる課題は、わたしが審査に参加した2019年(2018年度)の第28回コンクールで開かれた交流会でも、生徒たちから提起されていた。「印刷費が足りず、一部の作品を削らざるを得なかった」「部員が少なく、部誌作りのノウハウ継承に不安がある」「部室がないため継続的な活動や新入部員勧誘に支障を来している」などだ。

 2018年8月の俳句甲子園で興南高校の桃原康平さんが個人の最優秀賞を受賞した。県勢初の快挙だった。高校で文芸に打ち込んだ人が卒業後、琉球大学びぶりお文学賞や沖縄県文化振興会の「おきなわ文学賞」などに入選した例もある。顧問の教師らも献身的に支えており、高校文芸部から将来の文壇を背負う書き手が現れるかもしれない。

 近年の写真甲子園などで県勢のめざましい活躍により、約30年前よりは注目度も大きくなってきた文化系クラブ。文芸活動も多くの人の目にとまり、支援の輪が広がれば幸いだ。

 ちなみに第1回の優秀賞に入っている首里、糸満は現在にいたるまでコンクールの常連校だ。首里の文芸誌タイトルは当時の「翠(すい)」から「WASAVI」「雪月花」「胡蝶の夢」と変わったが、糸満の「りてらちゃる」は現在も同じだ。糸満はそれから20年ほど経過してから後輩たちが破竹の勢いを見せるが、それは後述する。またこの第1回コンクールについては新聞記事から結果のみを知ることができたが、文芸誌じたいは手元になく、読むことができていない。県立図書館や那覇市立図書館でもお目にかかったことはないが、今後なんらかの機会に読むことがかなえば、あらためて紹介したい。

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