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巡り合わせの運 ー高校文芸誌の30年(2)

 沖縄県高校文化連盟文芸専門部が主催する第2回沖縄県高校文芸誌コンクールは1993年2月15日、那覇市のホテル西武オリオンで開かれている。最優秀賞には、県立首里高校の「翠 THE SUI」2号が選ばれた。応募は7校だった。2月16日の琉球新報によると、結果は以下の通り。

■最優秀賞 首里高校「翠」2号

■優秀賞 具志川高校「The Creation Vol.3」No.9

■優良賞 名護高校「花・鳥・風・月」

     開邦高校「無名有実」5号

     昭和薬科大学附属高校「アホウドリ」5号

■奨励賞 沖縄工業高校定時「ひこばえ」4号

     泊高校定時「雑草」創刊号

 記事によると、審査では「作品の内容や部活動の状況からレイアウトや校正といった技術的な面までが吟味された」とある。首里高校については以下のように言及されている。

 首里高校の「翠」は作品の質など全体的に高く評価され、「文芸誌としてかなりの水準」と、審査員全員から支持された。

 2月19日の紙面には、前年と同じく琉球大学教授の仲程昌徳氏による「総評」が掲載されている。前段に同コンクールの応募規定が「1992年2月1日から93年1月31日までに発行された文芸クラブ誌」とされていたことが明記されている。そして前年に最優秀賞を受けたコザ高校の「緑丘」をはじめ、糸満高校「りてらちゃる」、泊高校通信制「小橋」など4誌の応募がなかったこと、新たに「雑草」「無名有実」「アホウドリ」が加わったことが示されている。そのうえで以下のような指摘が続く。

 高等学校文芸雑誌の発刊が、顧問教師の情熱に多く寄っていて、雑誌刊行のための予算が、あらかじめ組まれていないことを語っているかに見える。生徒たちの活字離れや、文章力低下を嘆く声は多い。もしそのことを真剣に考えているのなら、手始めに、高等学校生徒の文芸活動を盛んにしてみることであり、活動費としての予算を計上してみることであろう。応募されてきた文芸誌の作品を見ている限りでは、文章力もなかなかのものであり、本もよく読んでいるのである。

 審査の中身については、雑誌の構成、表紙やレイアウト、作品配列などにはじまり、作品の完成度や創造性といった書き手の力量、部活動としての多様性や意欲などを総合的に評価したことが書かれている。それぞれの部誌については以下のように評された。

 『翠』は「ノーマン・ロックエル絵草紙」という「絵にお話をつける」新鮮な企画が、審査員を驚かせた。『アホウドリ』の「OKINAWA」「TIME」、『花・鳥・風・月』の「海」に焦点を絞って文章を書くというのも企画賞もの。創作で『無名有実』、詩で『The Creation』、体験談で『ひこばえ』、文芸部活動で『雑草』が、それぞれ話題になった。

 それぞれの部誌に掲載されている作品の内実については、次のように指摘がある。

 洗練されているが、そのことによって一種の所属不明のものになってしまい、個人の顔を失ってしまっているということが指摘された。独自性をどこに求めればいいか。それは高校文芸誌だけの問題ではないが、実験の場として、それらは最適の場であることも確かである。

 第2回コンクールの表彰式は2月26日、那覇工業高校で開かれた。3月1日の新聞で報じられたところによると、主催の県高校文化連盟文芸専門部の上間一範部長(名護商業高校校長)は各校の代表者に賞状と盾を贈ったうえで、以下のように激励した。

 「多数の応募を期待していたので、参加が7校しかなかったことは少し寂しい。しかし出品された文芸誌はいずれも、高校生としてはレベルがずいぶん高く、読み応えがあった。青春時代に文学に親しむことで、皆さんのこれからの人生が潤いのあるものになっていくはず。文芸活動の火種を絶やすことなく、後輩につないでほしい」

 講評は審査員を代表して、開邦高校の大城貞俊教諭が述べている。

 首里高校の大林彩子さんの詩や沖縄工業高校定時制の玉城喜広くんの俳句など具体的な例を挙げて、非常にレベルの高い作品があったことを紹介。半面、詩などの韻文では「ロマンだけで現実味がない。人生とは何か、生きるとは何か、も素材としうるのではないか」と、小説などの散文には「軽い文体でもそれなりに自分たちの内面を鮮明に表現した作品を」と今後の課題を与えた。

 各校の代表者が登壇し、今後の活動について語ったそうだ。首里高校、泊高校の生徒の「質を落とさず、来年はもっといい本が作れるよう頑張る」「一生懸命に言いたいことをぶつけてまとめてあります。皆さんもぜひ読んでください」などの言葉が紹介されている。

 生徒の言葉もそうだが、審査員の言葉にも熱いものを感じる。仲程、大城の両氏も詩や小説の実作者として、そして研究者として実績のある2人だ。その2人が真剣勝負で高校生とぶつかっているのが伝わる。10代後半の一時期、仲間とともに文芸活動に打ち込んだ生徒たちの中から、その後の沖縄の文壇を引っ張っていく存在があらわれることを確信しているかのような、言葉の力がある。

 審査員をつとめた2人のほかにも、高校文芸部に関わり、生徒たちを支えた実作者はいる。首里高校で教鞭を執り、首里高校文芸部の顧問をつとめた宮里尚安氏は小説の実作者だと記憶しているし、本島中部の県立高校などで俳句を指導した教諭には俳人の野ざらし延男氏がいる。情熱のある指導者の下で多くの生徒が文芸コンクールで全国の舞台を経験した。こういった土壌があるのは幸運なことだが、一方で仲程氏が指摘するように顧問が異動してしまうと部誌の発行や部活動じたいが滞ってしまうこともあったと推察される(指導者の赴任先は一転して活動が盛んになるわけだが)。そこで見いだされた才能は幸運であるといえるが、巡り会えなかった場合は不運の一言で済ませていいのだろうか、という機会の平等性の問題だ。これは現在も、高校文芸の現場に積み残された課題だと思う。

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