見出し画像

noteはじめました。

はじめまして、miyairi ( @miya5ho )といいます。
2019年の8月20日から地球を西回りであちこち寄り道しながらキューバを目指す旅をしていました。キューバをゴールに選んだことに特に理由はありません。旧市街にクラシックカーが走る街並みが見てみたかった、くらいのもんです。
帰国から一年が経ち未だにコロナが落ち着く兆しもない中、人と会って旅の土産話をする機会もなかなかないので、記憶が薄れる前に旅の経験を何かに書き残しておこうかと思いnoteを始めることにしました。
文章を書く、というのは小学校の卒業文集以来となりますので、うまくまとめられるか自信はないのですが試行錯誤しながら頑張ります。

ざっくり、どんな旅だったのか

旅に出た理由やその他細かいことはまた別の記事で書くので、ここでは全体の流れを軽く。

画像4

まずは香港から始まります。以前に友達との旅行で一度来たことがあったので、少し土地勘もあるし安心かなと思い1カ国目に選びました。

当時はちょうどデモの混乱が大きくなり始め、香港空港がデモ隊に占拠されていた時期です。街の所々でたまにデモ隊と警官隊の衝突が起きたりすることはありましたが、どこでデモが行われるかは事前通告があったので、そこに近づかなければ特に危険はありませんでした。むしろ本当にデモなんて起きてるの?と思うくらいみんな普段通りの日常を過ごしていました。デモ隊も一般市民の生活をなるべく妨害しないように配慮していたようです。
そんな中で3週間ほど滞在して、まさに歴史の渦中で生きているんだな〜なんて呑気に思いながら香港を満喫し、次は中国大陸を少しみてみようかと寝台列車で上海に向かいました。

画像4

中国にはノービザでは15日しか滞在できないので、結構急ぎ足にはなってしまいました。上海、武陵源、鳳凰古城の3カ所をみることができました。上海では、有名なお茶詐欺にもちゃんと騙されてみましたので、あとで書きます。お楽しみに。
武陵源は映画アバターの世界のモデルとなった場所です。高所恐怖症の僕にはなかなかツラかったですが綺麗でした。こんな場所です↓

画像5
画像6

中国は見たいところが本当にたくさんあったのですが、まだ旅人レベルの低かった当時の僕はビザを取るのが面倒で、いいやまた別の機会に来れば、という感じで15日以内に回れるところをサクッとみて終わりにしました。その「また別の機会」が今度いつくるやら。

次は狂犬病の予防接種のためにタイに向かいます。この旅ではなるべく陸路で移動したかったのですが、滞在可能期限の関係でやむなく飛行機を使いました。予防接種ですが、副反応にしっかりやられて数日寝込みました。

その後はミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジア、と東南アジアを巡りました。ミャンマー→ラオスも両国間の政治的な問題で残念ながら陸路入国はできませんでした。
東南アジアではどこにいっても現地人と間違われました。現地語で話しかけられて「すみません。日本人です。」というとよく驚かれました。面白かったです。

そしてネパール。
ネパールではほぼ100%の確率でネパール人だと思われていました。
後述するトレッキングの最中は、欧米から来た人もみんな僕のことをガイドのシェルパ族と間違えていて「シェルパなのに客に荷物持たせて君は手ぶらなの?」とか言われたり、あるヨーロッパマダムと話していた時、一緒に登った友人が「彼も日本人なんだよ。」というと「え、ごめん!ガイドだと思ってたよ。」と何かがツボに入ったようでしばらく笑いが止まらないなんてこともありました。
アジアの国ならどこでも現地人に溶け込める、この持って生まれた才能を何かで活かせないかと本気で思いました。
各国でスラム街や旅行客が立ち寄らないような場所でよく徘徊してたのに何のトラブルもなかったのは、周囲から外国人旅行者とみなされられていなかったからなのかもしれません。
そんな話は置いといて。

画像2

ネパールには12月中旬に入り、自分より2年ほど早く旅に出ていた旧友とカトマンズの宿で合流。年末年始の2週間弱でエベレストベースキャンプトレッキングに行ってきました。出発前からまぁいろいろと問題はありましたが、ヒマラヤで年越しをするという普通はなかなかできそうもない良い経験ができました。ひとりだったら絶対に選ばない選択肢だったので、誘ってくれた友人に感謝しています。

写真はベースキャンプ到着時に撮ったもの。このときの天候は吹雪で視界が悪く、気温はマイナス25℃、酸素濃度は平地の約半分。辛かったです。
オレンジ色が僕で、上着の腰のあたりから顔を覗かせている灰色のものは寝袋です。耐温9℃の寝袋では体に巻きつけたところで気休めにもなりませんでした。

7日かけてやっと到着したのに、その喜びに浸る余裕もなく数分で記念撮影会を終え、逃げるように宿に帰りました。逃げるように帰っても宿まで数時間はかかるわけでして、寒さに弱い僕は死ぬかと思いました。

振り返えれば、東南アジアで食べた何かが原因で発症したと思われる嘔吐下痢と発熱に苦しみながら登り始め、帰りはベトナムで痛めた歯が原因で顔がパンパンに腫れ、気絶するほどの痛みに耐えながらなんとか下山。カトマンズで歯医者に行ってみたら先生が青ざめるくらいの状態で、ビザを延長して緊急歯科治療を受けることに。泣きっ面に蜂とはこういうことをいうんですかね。いい思い出です。
でも、機会があればもう一回くらい登ってもいいかな、と思えるくらい楽しかったです。嘔吐下痢と歯痛がなければもっと楽しかったはずですからね。

画像4


そしてインド。
インドに行くと人生観変わる、とよく言われますが、そこまでの過程で異文化への耐性がついていたのと、国民性や環境が自分にあっていたのもあり、カルチャーショックもそれほどなく人生観が変わるよなことはなかったです。もし1カ国目がインドだったら感動も大きかったでしょうし、何かが変わったかもしれません。インドでは北インドを縦横無尽に移動しながら3ヶ月過ごしました。

旅の結末としては、残念ながらインドが最後の国になってしまいます。新型コロナの影響により、世界各国がロックダウンになり出発からわずか8ヶ月で無念の帰国。キューバへたどり着くどころかアジアから出ることすらできませんでした。

旅の終わりを迎えたのはガンジス川のほとりの街、バラナシです。コロナの影響で出国できなくなる前にそろそろ中央アジアにでも向かおうかなと思っていた矢先、モディ首相による突然のロックダウン宣言。州境と国境は封鎖、公共交通機関は停止、外出禁止令も出されて身動きが取れなくなってしまいました。
その後1ヶ月間は宿で引きこもり生活を送り、2019年4月9日、たくさんの方々の助けを借りてのインド大脱出劇を経て無事帰国となります。

この旅で訪れることができたのはわずか8か国。その間の出来事や思ったことなどは、常にメモを取っていました。その膨大なメモをもとに、エピソードごとにちょこちょこ書いていこうかなと思っています。

バラバラになった部品を少しずつ集め、読み進めるごとにこの旅の全体像が見えてくる、そんな感じになればなと。
時系列は気にせず書きますので、記事間をあっちいったりこっちいったりぐるぐる迷子になりながら旅してる気持ちになって読んでください。


それでは、また。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?