「前に進んでいる感覚」はどこから生じるのか

「前に進んでいる感覚」と聞いて、ピンとくる人がどれだけいるだろうか。

僕はあと1週間ほどで33歳になるのだが、32歳の1年間で、「前に進んでいる感覚」がなかなか得られなかった。言うなれば「停滞」とか「進歩がない」状態。この状態というのは、なかなかつらいものもある。もちろん、全く無かったかと言われればそんなことはなくて、アルバイトを雇ったことで時間に余裕ができたり、ポートレートの作例は増えたり、ペットを飼い始めたり、自炊をするようになったりもしている。

この「前に進んでいる感覚」がないというのはなんとも寂しいもので、この1年間を振り返ったり、今から1年前がどうだったかを思い返すと、「あれ、俺は1年前と同じようなことをしているのではないか?」という状態に陥る。

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人は生きている限り、幸せを更新していかなければならないと思う。過去のどの時点よりも楽しい今日、そして今日よりもはるかに楽しい未来。それこそが、生きることに希望を持つ術だと思っている。幸せを更新していくこと、言い換えれば「幸せの絶頂」を目指し続けることといえると思う。これこそが、「前に進んでいる感覚」だと僕は思っている。

もし1年前が幸せの絶頂であり、今もその幸せの絶頂が続いているのなら何も問題がない。でも、どう考えても、今より幸せな状態というのは想像がつくのだ。幸せは更新できるから、より幸せになりたい。けど、1年前となんら現状が変わっていない。幸せが更新できていない。

1年あれば、人は色々と変化する。高校生が大学に入ったり、独身だった人が結婚したり。でも、今の自分が、1年前と同じ場所で、1年前と同じような仕事を、1年前と同じような価格でやっていたら、それは前に進んでいると言えるのだろうか。ただただ、時間が経ってしまった、季節が一周してしまった、年齢が一つ上がってしまっただけで、何も去年と変わっていないのではないだろうか。

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フリーランスとしての僕は、2017年と2018年で、売上高がほとんど一緒だった。また、仕事の内容もほとんど一緒で、人間関係も多少の入れ替わりくらいだったと思う。この1年間で、僕は前に進んだのだろうか。

前に進むために必要なのは「変化」だと思う。今が幸せの絶頂でないなら、今の状態から何かを変化させなければいけない、それは明白で、今と同じことをしていたら今と同じ未来が待っている。

注意しなければいけないのは、「変わらなきゃ!」と決意することには、特に何も意味はない。変化とは行動によって起こされるものであって、思想によって起こされるものではない。変化は自然に起こるものではなく、自分から起こすものなのだ。

「前に進んでいる感覚」を持つためには、行動しかない。変化を起こすための行動。考え方を帰るのではなく、生き方を変える。今まで当然やってきたことを辞めて、今までやったことのなかったことをする他ない。

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noteの更新を再開したけど、とんだ駄文ができてしまった。

まぁいいや。

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