自分が凡人だということに気がついた夜の話

ここ最近、主にTwitterで「フリーランス」と「インフルエンサー」についてのことを言及する投稿を見かけた。その投稿を見て数日経った今、自分の中でどこかモヤモヤしていた感情、今まであまり見ないようにしていた感情が見えてきたから、ここに書くことにする。

僕はずっと、結構前から、自分のことを「天才だ」と思っていたようだ。いや、天才というとちょっと語弊があって、「普通じゃない」「他の人と違う」人間だ、という自覚があったいう方が正しいかもしれない。

そして、どうやら、自分は、世間的に見たら、まぁまぁそこそこ「普通の人」だったらしいことに、最近になって気がついた。いや、「普通の人」というのもちょっと違う、「そこまでオリジナリティのある奴ではない」「天才というほどすごい奴ではない」程度のものだと思う。まぁタイトルの通り「凡人」でいいと思う。

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2015年7月、僕はたしかに浮足立っていた。4年3ヶ月勤務した会社を辞めたのだ。2015年は、世間ではまだまだ「若者の離職」について厳しい風潮だったと思うし、いわゆる「3年は~」という話が今よりも各人の心の中にあったと思う。そんなタイミングで、会社を辞めてフリーランスになるという選択をした自分に対し、僕は少し、酔っていた。「客観的にみて、この選択はかっこいいんじゃないか」と思っていた。

映像撮影歴はその時点で1年半ほどで、どう考えても独立は無謀であった。事実、会社を辞めた最初の1ヶ月の稼ぎは15,000円で、慌ててアルバイトを探した。ただ、貯金もあったこの時点での僕は、「半年で仕事を軌道にのせる!」と意気込んでいた。そしてその自信もあった。なぜなら、僕は自分のことを「天才」だと思っていたからだ。

そのアルバイトすら2ヶ月しか続かず、僕の貯金は凄まじいスピードで減っていった。しかし、貯金がなくなることは想定の範囲内。この貯金があったから会社を辞めれたし、過去の自分に感謝しながら貯金を食いつぶしていった。幸い、貯金がなくなる少し前くらいから、仕事は少しずつ増え始めた。なんとか会社を辞めて1年後くらいには、まぁまぁ金額だけみたらそこまで悪くない額を稼げる月も出てきた。

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僕は会社を辞めてから、仕事を増やすために、オンラインでもオフラインでも色々なことをしてきたと思う。オンラインでは特に、ボカロPを目指していた2013年から続けていたアメブロとツイッターに、会社を辞めてから特に力を入れていた。「ネットの発信を頑張れば、影響力がついて仕事につながるはず!」と意気込んでいた。そう、僕は「天才」だから、ネットの発信に長けている。今までだってやってきたのだ。

会社を辞めてから、ツイッターには半年間、張り付いていた。特にこの頃はManageFlitterという片思い発見ツールが使いやすかったため、僕はバンドマンや音楽関係者を片っ端からフォローして、リフォローのない人達のフォローを外す、それを1日の上限まで繰り返す…という作業を、半年間毎日やっていた。そうして、僕のツイッターアカウントのフォロワーは、一時期23,000人まで増えた。さすが僕だ。やればできるのだ。

アメブロの更新もずっと続けていた。音楽をやっている人とつながりたかった僕は、自分の考えうる限りの、音楽活動をしている人にささりそうな文章を、それこそ毎日書いていた。音楽活動を一生続けるためのヒント、音楽で食っていくか音楽を辞めるかの二択から逃れるための考え方など、精一杯書いた。ある時、アイドルとバンドマンを比較した記事がバズり、更にクラシック奏者とバンドマンを比較した記事も連日バズり、僕はアメブロ総合ランキング80位くらい、アメブロ上のPV数60000越えを果たした。やっぱり僕は、自分のことが天才だと思えてならなかった。

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会社を辞めて1年以上が経ち、その頃の僕は自信に満ちあふれていた。まぁもらえるお金以外のことは会社員時代から考えてもよくなっていったものばかりであったし、あとはお金を稼ぐことだけを考えればいいと思っていた。貯金がなくなって借金が少し増えてきても、「こんなレバレッジは痛くも痒くもない、ここで立ち止まる方がよっぽど痛手だ」と思っていた。

独立2年目、「こんな仕事を頼みたいんだけどできますか?」という質問には、全て「できます!」と答えていたと思う。実際にやったことがないことでも、ハッタリをきかせて仕事をもらい、あとで調べて本気出せばできると思っていた。だって自分は天才なんだから。できないわけがない。だが、実際にはできなかった仕事も沢山あった。クライアントから色々なことを言われたり、迷惑をかけたりしたが、僕は「ああ、相性が悪い人とあたってしまった」と思うようになった。

僕はやっぱり自信があった。過去も全て肯定して、無駄なことは一つもなかったと信じていた。そうでもしないと、正常な感覚をもてなかったのかもしれない。どれだけ嫌なことがあっても、それはきっとこれからの人生のための伏線だと思っていた。

独立3年目、2017年の真ん中頃からだっただろうか、僕は「ちょっとペースを落とそう」と、あまり色々なことに熱を注がなくなっていた。考えてみれば、ボカロPを目指していた2013年から4年間も走り続けている。この調子で進めば、きっと体調を崩すだろう。フリーランスとして仕事を増やすのも大事だが、ここらで一回人間としての生活をもっと大切にしよう、そう思った。

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2018年の真ん中頃、僕はとてもわかり易い形でメンタルを崩した。もう、色々なことが我慢できなくなっていった。何か一つの理由があるわけではなかった。以前もどこかに書いたが、何も後ろ盾がない状態で何年も走ってきたために、フタをしていた不安の粒が大きな塊になって重くのしかかっていた。

医者にも行き、色々な人の支えもあって、なんとかその状態から脱したが、このままじゃいけないことは明白だった。今までの過去を否定することはしないが、いつまでも今の状態のままでは、無理があるのだ。その事実に気がつくまで、会社を辞めて3年間もかかっていた。

独立4年目、色々なことを改めて見直している。仕事の進め方、生活習慣、住む場所、お金のこと、色々なことを見直している。ようやく、客観的に自分の状況を眺めることが、少しずつできるようになっていった。そして、そこで初めて、僕は自分のことが「天才」でもなんでもなく、「凡人」であることに、気がついたというか、そう思わざるをえなかった。

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思い返してみれば、自分はあまりにも何も持っていなかった。仕事というくくりだけで見ても、技術もそうだし、機材もそうだし、ワークフロー、バックアップ体制など、「映像の仕事」をする他の人々と比べた時に、別に突出しているものもなく、ただの「そんなに稼いでいない人」でしかなかった。それは、ここ最近、他の映像をやっている人々を見ているとよくわかる。僕は全然すごくない。

僕にはかつて23,000人のフォロワーがいたが、それはリフォローを狙った「増やした」フォロワーであり、僕の投稿に価値があると思っている「純粋な」フォロワーはあまりいない。ただの数字上のフォロワーという数字を増やしたことで、僕は有名人になったと勘違いしていた。

ブログも一緒だ。音楽業界で成功事例を出したわけでもない、大学生の時にバンドをやっていただけの自分が、会社員時代に音楽業界の片隅を見ただけでいい気になっていた。言いたいことは言っていたが、中身があるかと言われれば、見る人が見ればすぐに分かることだった。

それでも、僕は自分のことを「天才」だと思いこむことで、会社を辞めて3年間は生きてくることができたし、そのおかげで仕事をくれる人も沢山いた。この3年間で映像で稼いだ金額は1000万円を超える。それは事実だし、自分の実績だし、そこには胸を張っていられる。ただ、映像という業界で稼げているかと言われれば全然だし、そもそも会社員時代の稼ぎにもまるでおいついていない。そんな奴が「天才」なわけがない。凡人がそれなりに頑張った結果が出ただけだった。

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幸いなことに、この事実に気がついた時、僕は前に進もうと思うことができた。自分が何者であるか、何ができるか、どんな技術がどんな人々の役に立つのか、それを今一度考えることができた。

3年半前に会社を辞めるという大冒険をした29歳男子が、もうすぐ33歳になるタイミングで、自分探しをしているのだ。29歳の時、僕には「根拠のない自信」があった。だから自分のことを天才だと思っていたし、思い込んできたからこそ経験できたことも多かった。

今の僕が持っているもの。それは、この3年半の間にやってきた、フリーランスとしての実績・実力・作例・機材たち。「根拠のない自信」しかない「自称天才」ではなく、確かな事実に基づいてた凡人の持ち物。だけど、それは昔と比べたら、儚そうに見えて、実はずっと頼れるものたちなんだと思う。

以上が、自分が凡人だということに気がついた夜、2019年2月14日深夜のお話である。


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