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高校野球は人生の縮図だよ

小学校から高校まで野球をやっていました。
高校卒業後は草野球、今でも続けています。
ヘタですが…(泣)
小学校中学校は弱小チーム、
そこではキャプテンで主力選手でした。
でも野球を始めて、
続けていけていたのも高校になったら
甲子園に出るという目標があったからでした。
中学3年生の時に高校はどこへ
行こうかと迷いました。
もちろん甲子園へ行くための選択。
そのころは沖縄水産高校の全盛期。
自分が沖縄水産に行ったらどうなるか…
そのことを考えたこともありました。
そのころの沖縄水産は沖縄中の野球エリート
が集う学校。
レベルが高すぎる…すぐ却下です。
 
その時に噂で、
「沖縄水産でコーチをしていた指導者が
 那覇商業高校に移動になる。
 いい指導者らしい。
 その指導者のもとにいい選手が集まるらしい…」
那覇商業高校…識名線(銀バス5番)1本で行ける。
自転車でも通える距離。
中学の先輩もいる。
ということで那覇商業高校に決定しました。
推薦入試で無事に合格し、
中学3年の2月から
那覇商業高校の練習に通いました。

最初の印象…「グランド狭っ!」。
 
その次に、同じ中学3年生で練習に来ている
僕と同じ推薦合格組を見て…
「とんでもない人たちだ」
彼らは野球のエリートです。
沖縄水産に行ってもおかしくない野球人。
僕らの時代に沖縄県の中学野球で初めて
沖縄県大会を春夏連覇した学校が
那覇中学校でした。
その超強豪校からレギュラー9名中なんと
7名が那覇商業高校に入学。
「あの噂は本当だったんだ。
オレ、選択間違っていなかった。
甲子園に行けるかも!!」
という想いになりました。
 
が、彼ら年齢が同じというだけの
大きな差がある野球人でした。
やはり野球エリート。
野球の技術は当然ですが、
体の大きさ、
野球に対する考え方、
全国大会で強豪と渡り合ってきた経験
(もう一つ勝ったら次の試合でイチローさんの
 中学校との対戦だったそうです)
野球に望む姿勢…
中学まで弱小チームで野球していた僕とは、
何をとっても大きな差でした。
こんな中で野球をやることを選択したんだ…
その選択の正しさと間違いを
同時に感じたような瞬間だったと記憶しています。
 
高校野球部時代の友達が今でも一番の友達です。
今でもずっと毎月第4土曜日は集まって飲んでいます
(コロナ期間中は中断していますが…(泣))。
 
でも、大きな出会いは
「神山昂(かみやまたかし)」監督でした。
監督との出会いが、
今の自分を作っていることは間違いありません。
 
今までの人生で一番厳しい人でした。
ただ、監督から学んだことは一生のものになりました。
高校時代、それを知る由もありませんでしたが。
監督が常に言っていてくれたのは
『高校野球は人生の縮図』ということ。
「高校野球は人生の縮図だよ。
 ここで体験する成功も失敗もこれからの
 人生で活かさないと何の意味もない。
 それを学ぶ2年半の高校野球なんだ」と。
高校時代野球を通じて多くのことを
得ることができました。
多くの体験ができました。
成功も失敗も。
失敗の方がとんでもなく多いのですが…(笑)
 
高校野球ではどういう成績だったかというと、 
最高成績が2年の秋季大会での準優勝。
決勝戦は直前の夏の甲子園で 
沖縄県初の決勝進出を果たした沖縄水産。
沖縄県民皆が認める高校野球強豪校。
その沖縄水産と決勝戦では延長17回という
熱戦で2-3で負けました。
そのくらい僕らも強かったんです(笑)。
最後の夏の大会も準決勝で同じ沖縄水産に負けて
高校野球は幕を閉じましたが、
のちに聞いた話では甲子園でも
「予選で那覇商業に勝てるとは思っていなかった」と
当時2年連続甲子園準優勝した沖縄水産メンバーが
言っていというのを聞きました。
 
ちなみにですが、僕は「補欠」です。
ベンチ入りもギリギリな補欠です(笑)。
いろんな、みじめな想いをしました。
人生の厳しさを教えてもらったのも高校野球です。
監督の言った「高校野球は人生の縮図」という
言葉はその後の僕にとって大きな財産になりました。
そこで多くの失敗を経験した僕は、
社会人になって大きな壁にぶち当たるたびに
「この場面で高校野球ではこう失敗したな。
 今回はこう望もう。好勝負かけよう!」
とそのたびに気持ちを強くしてその場面に
全力で望むことができました。
 
一度失敗しているので、
いろんな場面に対して冷静に見て、
判断して、望んでいけていたように思います。
(前にも書いたことありますが)
「代紋TAKE2」という漫画で
主人公の阿久津丈二がダメダメ人生の末、
みじめに死んだあと、
リセットした人生でその失敗を活かして
大成功していくという
ストーリーと同じような感じがあります。
 
高校野球時代の多くの失敗、みじめ思いは、
僕のその後の人生に大きな恩恵を
もたらせてくれました。
 
神山昂監督には本当に感謝しています。
これからも感謝し続けると思います。
 
監督の最後のミーティング、
奥武山球場(今のセルラースタジアム)
3塁側ベンチの裏での言葉がこうでした。
「この高校野球での経験をこれからの
 人生で活かしてほしい。
 野球のレギュラーは9名だけど、
 人生のレギュラーは9名ではない。
 だれにでもチャンスがある。
 人生のレギュラーになってほしい。
 自分の経験では高校野球で
 レギュラーだった人間よりも、
 補欠だった人間の方が人生のレギュラーに
 なっているように思う。
 最後まで逃げずに高校野球を全うした
 ここにいる3年生には全員、
 人生のレギュラーになってほしい。」
 
監督、宮城金陽はこれからも
人生のレギュラー目指して精進していきます!!
 
 
お付き合いいただきありがとうございます。
今日はちょっと真面目に監督のことを書きました!
今日も頑張っていきましょう。
火曜日だけど金陽でした。
(ブログ27日目)2022.8.16

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