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【エッセイ】「おいで。」について

 画像は本題となにも関係のない、最近仕込んだいちごシロップ(完成前)です。

【必要なもの】
・季節が終わるギリギリの、露地物やジャム用のすっぱいいちご
・氷砂糖かグラニュー糖、だいたいいちごと同量(お好みで)
・レモン汁

【作り方】
いちごをよーく洗って、煮沸した瓶へお砂糖と交互に入れる。これだけ。
野菜室とか涼しいところへ置いておくと、1週間くらいでできます。
長期保存をしたい場合は、一度鍋にあけて温める。

 氷やアイスにかけたり、牛乳で割っても美味しいけど、私は冷たい水で割るのが好きです。
 赤毛のアンで出てきて、とびきり美味しそうに描かれる、あの「いちご水」(実際に飲んでいたのは葡萄酒だけど)がどうやらこれらしいと知ってから、毎年のように作ってしまう。
 美味しいよ。ぜひ一度作ってみてね。

 はい、本題へ入りましょう。
 なにって、私がただただ、「おいで」って言葉がすごく好きだということを語りたいのです。

 「おいで」ってすごいんですよ。
 まず、柔らかくて、ほどよい重みのある音なのがよいです。やんわりずしりと胸に入ってくる。
 そして、よく「おいで」って呼ぶ時によくやる、あの手を広げる所作の通り、相手の受け入れ態勢がすでに万全な様子。

 その人のテリトリーへ入ることの許可でもあるけど、「おいで」って言葉には、「きていいよ」「きてほしい」みたいな言葉より引力がある。
 ちょっとだけある有無を言わさないような強引さも、柔らかく手を掴まれて引っ張られるみたいでくすぐったい。
 受け入れながら引き寄せる、優しい命令形。

 飲み会の誘いでも「来て」より「おいで」って言われたら、いつも以上にほいほいついていっちゃうし、
 好きな人に「おいで」なんて言われたらもう、わんって一声小さく鳴いて、尻尾振って、その胸に飛び込んでいっちゃう所存。

 おいでって言う人は気持ち的にも、だいたい物理的にも、私の前方にいる。
 まぁ、後ろからおいでって呼びかけられることもあるけど、その人の方へ向き直ったら、その人が前になるでしょう?
 そんな離れたところから、なにかしら、私のことを思って、私のことを呼んでくれるなんて、私にとっては想像を絶する優しさなんです。

 かくいう私、学生の頃、母親の友人に「○○って梓ちゃんの通う学校があるところでしょう? 私、最近そこへよく行くから、その度に梓ちゃんいないかなって思ってるのよ」と言われ、ただそれだけのことなのに、青天の霹靂のような衝撃を受けたことがあって。
 誰かが、私のいないところで、私のことを考えていてくれるなんて、想像もつかなかった。
 もしかしたらただの気軽な社交辞令だったのかもしれないけれど、あのとき私は確かに、生まれて初めて「人に思われる」ということを認識したんです。

 今までの人生上、私のいないところで私について考えてくれた人たち、本当にどうもありがとう。でもきっと私はそれをほとんど認識していないのが残念でなりません。たっぷり感謝の気持ちを伝えたいので、よければこっそり教えてね。

 って、ここまで熱く人に思われることと「おいで」について語ってたら、ふと、自分は「おいで」って使うかなと考え……
 他人に「おいで」って一度も使った記憶がなくて愕然としました。
 猫呼ぶときしか使ったことない。
 そういうとこだぞ!私!

 今まで、自己評価が低くて「自分が誘っても……」と消極的で、友だちも人と出かける用事も少なかったし、そんなに馴れ馴れしく声かけられなかったからなぁ。
 それに、そもそもあんまり他人を自分の懐に入れたいとも思わなかったから、仕方ないけれど。

 でも最近は、好きな人たちにはちゃんと態度で示そうと思っていますよ!
 やっぱり思ってるだけじゃ、伝わらないもんね。

 だからこれからは、好きな人たちへ「おいで」って、いっぱいいっぱい言えたらいいな。
 それで、もしその人たちが嬉しそうに駆け寄ってきてくれたなら、それはどんなに嬉しいことだろう!

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