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怪獣小説大賞講評&結果発表

 お待たせいたしました。12月15日より開催していた第一回怪獣小説大賞、講評と結果発表です。

 因みに本日は来年2023年に50周年を迎える『ゴジラ対メガロ』の公開日です。
 怪獣映画の何でもアリ感を出すあの怪作の公開日に講評発表できたのは、なんだか嬉しいですね。
 来年はジェットジャガーyearだ!!(ゴジラを知らない人はジェットジャガーで検索してみてください)

 早速ですが、まずは大賞作品の発表から!

【大賞】

みんな壊してくれる/志村麦

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みんな壊してくれる/志村麦

受賞者の言葉

怪獣とはなんだ。
 怪獣を英訳しますとmonsterと変換されます。しかし、このモンスターという言葉には、言葉の通じぬ心なき化け物、という感じが致します。我々の知る怪獣たちとは齟齬がある。
 ならば、善悪で怪獣を語るのか。それもどこか違う。彼らは人間社会を超越した逆光の彼方、霧の向こうから現れるものである。すくなくともぼくはそう知っている。見た、目撃してきた。
 多くのひとが怪獣を語る。怪獣は怪獣の文法の中にしか、その姿をわずかに掴ませず、我々の証言は断片でしかありません。しかし、我々はその姿に感情を揺さぶられます。恐怖でも、憧れでも。
 怪獣とは、ぼくら人間の感情の、願望のエントロピーの暴発に違いない。溜まり溜まったエネルギーの受け皿なのではないか。そんな意見も、また断片で。
 怪獣とはなんだ。その答えの一端が第一回の怪獣小説大賞なのでしょう。皆さまの怪獣。ぼくらの怪獣。あらゆる姿、意味で現れる。必ず、ぼくらの感情を伴って。
 そこには怪獣がいた。
 怪獣とはなんだ。この場では明かされません。 
 きっと、皆様の小説で明かされるのでしょう。 
 霧の彼方から現れる、逆光のシルエットだ。

 大賞作品には自作で恐縮ですが、表紙絵を作成させていただきました。
 続いて金銀銅賞の発表です。

【金賞】

/尾八原ジュージ

サデュザーグ/藤田桜


【銀賞】

ドラゴンライダー・サイドバイサイド/木船田ヒロマル

ミニマムヒーローとミニマル怪獣/渡貫とゐち

地殻獣の吐息が満ちるその時まで/登美川ステファニイ



【銅賞】

機械仕掛けの傍観者/宮古遠

夕陽に立つ双竜〜ドラゴン学者と女ドラゴンスレイヤー〜/ゆずた裕里

かいじゅうのゆめ/一志鴎

ふくれあがる/偽教授



 今回は拙作含めて29作品の怪獣小説が集まったわけですが、どれも傑作良作揃いで、大賞の選考には悩みました。
 結果として、金賞2作、銀賞3作、銅賞4作品と、大賞も合わせると10作品に賞を与えることに。

 怪獣小説というニッチな内容を要求したにも関わらず、各作者それぞれ独創的な作品を発表していただき、感謝です。

各賞選考理由

 まずは金賞の『繭』(尾田原ジュージ)と『サデュザーグ』(藤田桜)の二作品についてですが、こちらは作品内の怪獣の造形に優れており、怪獣を魅了的に描いていたからです。
 『繭』の怪獣は名前こそ命名されていませんが、その存在感は圧倒的。また、小説ならではの怪獣の見せ方をしてくれたと言うのが大きい。
 『サデュザーグ』は、その声を聞くと意識を失ってしまう怪獣サデュザーグが現れますが、作中語られる怪獣にしては儚いサデュザーグの描写やその正体が、主催者の心を掴みました。

 銀賞の三作は、どれも作品としての面白さは保証しますが、怪獣の描き方に満足できなかった作品。
 特に『ドラゴンライダー・サイドバイサイド』(木船田ヒロマル)は小説作品として見た時に一番好きですね。笑いあり涙ありのエンタメ小説として完成度が高く、怪獣小説大賞参加作品の中でもまずおススメしたい作品の一つ。
 講評の方に詳しく書きましたが、戦隊ヒーローのアンチテーゼとして『ミニマムヒーローとミニマル怪獣』(渡貫とゐち)は優れており、このままシリーズ化しても人気を得られるだろうと思います。
 重厚なポストアポカリプスの匂いの素敵な『地殻獣の吐息が満ちるその時まで』(登美川ステファニイ)は、地殻獣という設定も良く、SF短編作品としての面白さに溢れているのですが、怪獣そのものの魅力は金賞作品と比べた時に如何せん地味でした。

 銅賞四作品については、面白かったし好きな人も多いだろうけれど、怪獣小説作品としてもう一歩ほしかった! という作品。有体に言えば、個人の趣味で金銀賞程には主催者の好みではなかった、ということですが、どの作品も独自の魅力があり、是非とも未読の方にオススメしたい四作です。

 大賞作品の『みんな壊してくれる』(志村麦)は、具体的なネームドの怪獣が現れるわけではありません。怪獣はある意味で舞台装置としてしか登場しませんが、主人公の魅入られる怪獣の狂気、そして怪獣に求めようとしている救済への祈りが、過不足なく書かれており、正直心にグサリと刺さった。
 また、ラスト以外は怪獣を描かないことが逆に、私の考える怪獣像を最も表してくれた作品だと思い、この度は大賞として選考いたしました。

 受賞とならなかった残りの18作品も全て、それぞれに光る部分があり、楽しませていただきました。主催者贔屓もあるかもしれませんが、文字数の最小限が4,000字だったこともあり、全体的にレベルの高い企画だったように思います。そのうちの何作かは、長編としての構想を企画向けに編み直してくれたのであろう作品もあって、こういう作品が沢山読めるのは、自主企画の強みですね。

全作品講評

 では、これより以下全作品の講評です。

1.ふくれあがる(偽教授)

 冒頭からカフカの『変身』の引用がされる本作。
 主人公も朝起きるとグレゴール・ザムザよろしく「変身」を始めており、体が膨れ上がっている。そしてその膨れ上がりは日に日に倍増し……というお話。
 サブタイトルもそれぞれ2のべき乗になっていて、7乗、8乗、21乗、26乗と増えていく。
 肉の塊が膨れ上がり、そして遂には街を破壊するまでの大きさに変貌していく様と、それを止めてほしい主人公の苦悩がありあり描かれていますが、主人公が最後まで理性を保っている状態で、僕を、世界を助けてくれ、と言えるのは果たして幸運だったのか不運だったのか。
 最後にそのものの“光の巨人”が現れます。
「シェアッ!」って言っちゃってるじゃんよ。
 言うまでもなくこれは円谷さんところのあの光の巨人であって、この人間が膨れ上がるというアイディアも、作者的にはキャッチコピーに廃棄物13号のことに触れているのでそこからなのかな、など、元ネタを提示してくれた上で、主人公が宇宙から地球を見下ろす美しい最後がある、と思うと、作者の中にある“怪獣感”を詰め込んだのであろう、ということが感じられます。
 ところで最後に主人公が光の巨人と対峙し、そこでプロレスを演じる様子ですが、ここは解釈の分かれるところだと思っています。自作の話を出して恐縮ですが、私も本作とは違いますが、主人公の体が膨れ上がり、巨人と戦う怪獣小説を書いたことがあるのですが、そこでも主人公は巨人と戦いたいと思う展開を書きました。
 あの尊崇すべき巨人と対峙したい、というのはああした巨大な英雄への、一種の信仰のようなものではないか、という持論があります。これが怪獣化したからの感情であるのか、それとも主人公がもともと内包したものであるのかは議論が分かれるところかな、と。
 必ずしもそれを限定する必要はないわけですが、唐突に「面白い。相手になってやる。」という独白を入れるのであれば、解釈がある程度固定されるように描いても良かったのではないか、とも思います。
 怪獣の一案として大好きですね。人間が膨れ上がっただけで、火を吐いたりするわけじゃないけれど、爆撃にも耐え得る圧倒的な強度を誇り、光の巨人に倒されることでようやく最期を見ることができた……。
 始まりから終わりまで、間違いなく怪獣と呼ぶべき存在です。
 企画参加作一番槍として4,000字程度にまとまった作品を投稿してくださったのが主催としては、良いスタートダッシュを他の参加者にも与えてくれたんじゃないかな、と嬉しいところでした。


2.(尾田原ジュージ)

 怪獣の繭を巡る群像劇。
 モスラだ、モスラ。
 夫と娘が怪獣の繭に包まれ、まだ法律上は死亡にはならない“行方不明”扱いの二人を想う朝子。
 怪獣研究を専攻し大学院に進み、同期の雅美に「怪獣が好きなんて気持ち悪い」と言われながらも怪獣に惹かれる肇。
 朝子の息子で、繭を眺めるのが好きで、繭を紡ぐ糸の向こう側に父と姉の姿を探す孝太。
 怪獣に家族を奪われ、怪獣は斃されなくてはならないのだと、肇とは違った動機で怪獣研究の道を歩む雅美。
 いつか目覚めるかもわからない怪獣の繭を巡る、四者四様の心のうちが語られる、静かなお話です。
 怪獣というのはどうしても、スクリーンの中の存在だからこそ映える、という要素はあるように思います。ですが、その怪獣についての小説を書くとなった時、小説だからこそ構築できる作品だったと思います。
 動ではなく、静。
 それを怪獣小説で、しかもこんな短い中にまとめた作者の手腕に脱帽です。
 群像劇ではあるけれど、描かれている集団が二組に絞られて、しかも怪獣へのスタンスが交差するように描かれているのが、読みやすさの理由の一つだと思います。
 朝子(集団1)(怪獣嫌)→肇(集団2)(怪獣好)→孝太(集団1)(怪獣好)→雅美(集団1)(怪獣嫌)
 みたいな感じ。当然、それぞれの登場人物の心のうちは複雑ですし、そう簡単にまとめられるものではないですが、怪獣に対する不安のような、どうしようもないような感情が、描写上はうまいことサンドイッチしているので、読者の方も振り回されずに済んでいるんですよね。
 強いて言うなら、もう一集団くらい怪獣に対してのスタンスが違う人々を入れても良かったのではないか、とも思ったのですが、今がかなり良いバランスなので、難しいですね。本作に描かれていたのは、怪獣研究者もいますが、あくまで市井の人々の想いが中心なので、そうではない集団を混ぜるとか。でも、やはりこれ以上登場人物を増やしてしまうとごちゃついてしまう可能性が高いかも。そのくらい絶妙なバランスの読み味でした。
 怪獣とは、災害のメタファーでもあります。
 災害に対する感情は人それぞれです。当然、災害で犠牲を被った人々は悲しみにくれるし、人災に対して怒りと憎しみを向ける人もいるし、自然災害に対しては大自然の偉大さを感じる人もいる。
 そうした災害の一つである怪獣の繭に対しての、各々のスタンスがよくまとめられているので、読んだ時に深く、共感を覚えるものになっていました。
 金賞受賞作品その1です。ご参加ありがとうございました!


3.異次元の怪獣、月の怪獣(猫隼)

 メールのやり取りやツイッターの投稿、文書ファイルなどの、資料のみで構成された作品。
 SF作品でもそれなりに見る形式です。これがハマると結構面白いんだ。
 情報が限定されている故、そして資料を読む取ることによって描かれた事象の真実を追う過程が、独特の緊張感を生む。
 突如として起きた粒子加速機の事故、そしてそこに見え隠れする「あり得ない生物」の影。そして起きる異次元の怪獣が引き起こす災害……。
 よく練られた世界観であり、資料の読み物としての完成度も高い。
 けれど、どうしても満足度が最高とは言い切れないのは、この小説が、「あり得ない生き物」だけでなく、本来存在する(それも大作)であろう長編小説の影をも感じさせてしまうからでしょう。
 月の怪獣であるミミィと異次元の怪獣との戦い、そしてその果てにある文明の崩壊。月の怪獣ミミィについての描写が唐突であり、かつ短いので、そうした一大スペクタクルの、副読本のように感じてしまう。実際、作者の頭の中にはその大きな戦いの構想があったはずと思うんですよ。おそらくそれは4万字では収まり切れないぐらいのものなのかもしれませんが、だとしても、もう少し読者にその世界観を提示しても罰は当たらないでしょう。ミミィの存在を知っているコウヤについての人となりがわかる資料だとか、コウヤが昔語っていた「あり得ない生物」のお話を聞いた家族だったり友達だったりの証言であったりとか、またはもっと直接的に、一部残っていたコウヤの昔の論文の切り抜きであったりだとか、一つ一つの資料の完成度が高い分、そういう追加で入れられる資料をもっと入れても良かったように思います。少なくとも私は読みたかった!
 繰り返しになりますが、だからこそこれで終わりにしてしまうのがもったいない! 怪獣小説の傑作『MM9』を書いた山本弘氏が書いた本の中で似たようなことを言っていたのですが、このアイデアだったらもっと話を膨らませただろうに! というもどかしさを感じてしまうのが、この作品の欠点です。
 異次元からの怪獣というアプローチは私も大好きな物であり、そしてその始まりがLHCの事故というのも物語としてわくわくさせてくれる。
 そしてその異次元の怪獣が恐れる、地球誕生以前から存在しているらしい月の怪獣ミミィというのも、わくわくする科学とファンタジーをうまく結びつき合わせる、外連味溢れる発想でした。


4.ミニマムヒーローとミニマル怪獣(渡貫とゐち)

 戦隊ヒーロー物。それもアメコミのヒーローや魔法少女やらと違い、意外とそんなに描かれていないのではないかと思う、戦隊ヒーローに対するアンチテーゼ作品でもある。
 そういう意味でも新鮮な読み心地でした。小さなヒーローと小さな怪獣を主軸に置きつつ、世代交代を繰り返すうちになのか権威と権力が形骸化したパージミックスも敵に据えながらお話が進んでいく。更にミニマムヒーローらるみにいが、自身の価値を知り、自身の信じる者のために戦う成長物語でもあり、骨組みがしっかりしているのも良い。
 ただ、みにいが怪獣と手を組むまでの序盤は、世界観提示をしないといけない必要もあってか、話の方向性がブレているようにも感じました。
 4万字程の短編小説ですが、第一話がパージ・ミックスの視点から始まってしまっているのも締まりが悪い原因のように思います。これが10万字超えの長編小説であり、パージ・ミックス目線の物語ももう一つの主軸と言っていいくらいに描写できるのであれば、この一話でも良いのですが、今回は一作品として見るとそうではないのでこの冒頭、丸々カットしちゃっても構わないよね?となる。パージ・ミックスが大怪獣を倒したことであることとか、パージ・ミックスという戦隊ヒーローが半分怪獣であることなんかは、物語を回していく中で提示していけば良い。
 説明が説明の為の説明になっていると、読者は疲れてしまう。あくまでキャラクターとストーリーが主軸にあって、その先を知りたいと思える段階で説明を挟み込むと、物語の推進力がグッと上がるわけです。特に怪獣小説(アクション主体の小説と置き換えても良い)は、怪獣という存在があまりにトンチキ故、文学色よりもエンタメ色が強くなってしまうが故、文章で読ませようというにはあまりに強い筆力が必要になってしまうことが多い。
 シリーズ化も狙える作品ですし、本作に関しては頭でっかちの文構成は控えて、みにいの視点を基本主軸として組み直すだけでも、かなり読み易さが変わってくるように思います。
 しかしパージ・ミックス! 良いですね。私は常々、大怪獣と生身で戦うヒーローがもっと居ていいと思っているんですよ。
 ヤマタノオロチに立ち向かうヤマトタケルのような。ゴジラFWで怪獣とバトルを繰り広げるミュータントのような。
 映像で描くとなると、人間と怪獣のスケールが違い過ぎてなかなかに演出の難しい戦いであることは分かるのですが、小説だとそんな制約もないですからね。パージ・ミックスの設定は、怪獣とヒーローの戦いを無理なく見せる為にも興味深く、更に冒頭でも言ったように、戦隊ヒーローのアンチテーゼとしても効いているので、ブラッシュアップするとかなり独創性のある、それでいて大勢をわくわくさせられる物語になるでしょう。
 面白かった!!


5.レッツゴー! ぼくらのチチェレンジャー(中田もな)

 渡貫とゐち様の作品に続き、戦隊ヒーロー物2連続!
 嬉しい流れですね。ヒーローと怪獣の対立も、怪獣という存在を語るのに欠かせないものですから。
 そして虫モチーフの怪獣、人気だな……。僕も好きですが。
 すみれのチチェレンジャーに助けられながら彼らを応援する様は、朝の特撮ヒーローを応援する子供そのもので、始めは微笑ましさも感じましたが、チチェレンジャーの正体を考えるとそれもその筈で。
 まだ講評のみ読んでいて、作品を読んでいない人の為に明言は避けますが、単純な子供の成長物語を感じさせるだけでなく、ゲームブック的仕掛けを施したことで、チチェレンジャーという嘘と本当の入り混じる存在に対して、読者それぞれが想いを馳せることができるように描いたのは、良い試みであったように思います。
 作者の中田もなさんの作品で、他にもこうした分岐の仕掛けを施した作品を読んだことがあったので、本作もWeb小説の在り方として色々と模索している中でできあがった作品の一つなのでしょう。
 私はWeb小説には、紙媒体の本とは違った作品がもっとあって良いと思っている人間なので、作者の試みは今後も応援していきたいところです。
 本作は子供目線のお話ゆえに、幾つか描写がぼやっとしているところがあっても子供の目線だから、と納得できてしまう節もあったのですが、それでももう少し、情景描写などに力を割いても良かったかもしれません。チチェレンジャーという幻想を、完全にとはいかなくてもよりリアルに見せることは、この小説の意味を補強するでしょうから。
 さて、本企画に投稿された怪獣小説として読んだ時の評価。
 本作ではチチェレンジャーの対峙する存在として、虫であったりゴリラであったりと色々な怪獣が現れはしますが、それは端役にすぎません。
 しかし、本作において本当の怪獣とは“幻想”という概念そのものなのではないか、と読みました。
 一般的な怪獣という存在もまた、ある意味、幻想そのものです。空想科学の中でしか存在せず、実際に存在する為には理屈を幾ら重ねても足りない。しかしそうした幻想は、良くも悪くも我々の現実を侵食してくる。私がこうして、怪獣小説大賞なんてものを開催しているのもそうですね。怪獣映画に魅せられ、その影響で現実の時間を多く割いているわけですから。
 日常を侵食する非日常。これも怪獣の一側面であり、本作に描かれた、幻想が現実(日常)を壊してしまう可能性こそ、一種の怪獣と言って良い……などと言うと、怪獣という言葉を拡大解釈しすぎでしょうか、どうでしょうか。
 そうした解釈の広がりも含め、実験的でとても興味深い作品でした。


6.アヴァランチピード 凍てつく山の白雪ムカデ(武州人也)

 閉ざされた雪山で、巨大なムカデに襲われるモンスターパニック小説。
 怪獣映画好きの方の中には「モンスターパニックと怪獣とは違うのだ!」という主張をされる方もいますが、私自身は大いに重なり合う部分の多いジャンルだと思いますし、明確に分けられるものというよりも、かなりの連続性を持ったジャンルなのではないかと考えています。
 作者の武州人也さんはモンスターパニックを描いた作品を多く投稿している方ですが、何故だかどれもが、CGよりも古い時代の特撮映画の風景を思い描くような描写に思えるのが好きなんですよね。
 ただ、これは講評なのでただ好きと語彙力をなくすだけでなく、何故そう感じて読めるのかについても分析したい。
 おそらく怪物が現れる間の取り方が、うまくモンスターパニックを再現しているからですね。巨大ムカデが現れる前に聞こえる怪物の足音、そして振り向いた時に突如として目に入ってくる巨大生物、そこから逃げたと思った後に描かれる被害者の悲鳴。そして見つかる怪物の真実……。様式美なんですよ、全てが。素晴らしい。歌舞伎みたいなもんです。
 そうした描写が徹底しているからモンスターパニックを観たことのある読者は「あ、これ観たことあるわ」となる。脳が勝手にこれまでに観たモンスターパニック映画を再生して、作品の描写を当てはめている。こんなことが出来るのは、作者がレベルの高いパニック映画フリークであり、そのリズムが身体に刻み込まれているからだとお見受けします。脱帽です。
 この作品でもう一つ褒める点があるとするなら、巨大ムカデが現れるまでに描かれる、ブラック研修ですね。私もここまでひどいものじゃないけど受けたことがあるんですが、理不尽に理不尽を重ねてその上で研修を受けたものが会社に必要であることを確認させるという、もうやり口としてはマインドコントロールの手法そのものじゃねえかというものですけれど、それが巨大ムカデが現れるまでの前段階としてうまく効いている。怪獣/モンスターが出てくるまでのドラマをいかに魅せるか、これもまた怪獣モノ、モンスターパニックの永遠の課題ですから。
 モンスターパニックを再現している、とは言いましたが、多くの人死にを出しつつも最後に待ち受ける結末の切なさは、独特の読後感を残してくれるものであり、敢えて言えば冗長になりがちな、巨大ムカデが登場してからの各登場人物の見せ場のシーンまで含めて、作品全体をもっとブラッシュアップすることは可能なのではないかと思います。
 お気に入りです。素晴らしい作品をありがとうございました。


7.怪獣ヶ丘(d5d2b8d7b9de)

 並行世界なりそこを守るヒーローなり、SF的な用語に溢れているのですが、全体としては幻想小説の趣になっている不思議な作品。
 文章として読みにくい部分が多く、物語を追うだけでも大変なのがマイナス点ですが、世界観の広がりと、多彩な登場人物など、凄いものを書こうという野心は伺えるので、そこのところは好きですね。
 これは他の方のレビューにはあまり書かなかったのですが、本作の作者様はまず、文章を書き、物語の編む際に、他人に読んでもらう、という視点が必要かもしれません。
 溢れる設定、溢れる魅力ある世界観を伝えるのも言葉なので、小説というのは言葉の魅力を言葉で伝える為に、分かりやすい言葉を時には選択する必要がある、みたいな多重構造があると思うのですが、はからずもそれは本作における並行世界のように、幾重にも重なる世界を描写する助けとなる筈。
 まずは主人公であるヒカリに対して、どこか読者の共感できる境遇や弱さを与えてあげましょう、などと創作講座みたいなアドバイスから始めることになってしまうのですが、一息に2万字を書き上げる筆力も単純に目を見張るものがあります。
 物語の方向性は変える必要がないので、次はそういうことを意識して書いてみましょう。


8.機動猟兵Gスレイヤー(銀星石)


 生物兵器であった怪獣が野生化した世界を舞台とした、スーパーロボットあり、超能力あり、人間ドラマありのSF作品。
 作品に怪獣を出す為の前準備として、怪獣戦争というものがあったのだ、というスタートからの押切りから、怪獣が物理法則に反しながらもこの世界に存在するのは超能力が使えるからなのだ、という設定の思いきりのよさが良い。
 世界観の説明として、不時着した旅客機の乗客に偶然いたマニアが応えてくれるのも、勢い任せで嫌いではないのですが、物語において必要と言い切れない説明役がいるというのは場合によっては冗長になります。
 ハナっからコメディ要素を取り入れようとしているわけでないのならば、この作品の場合は避けた方が良かったのではないか、と。
 逆にどうしてもこの描写を活かしたいのであれば、全体的に文章が少し硬い。
 これだと、勢いで押し切りたい描写と、SF的にリアリティラインを探っている状態が混在した状態で読者は物語に触れることになってしまうので、ここは意図的に作者がどっちに針を振るべきかを最初からもっとわかりやすい形で提示できると、もっと読みやすい形になったのではないかと思います。
 救出任務が終わった後の猟太郎とマリアンとの会話シーンでは、バイオスーパーロボットの仕組みについて地の文で説明しているわけですし、そしてそのやり取りも基本的にはシリアスなので、その形で統一してくれていた方が個人的には読みやすいですね。短編だと、作品の雰囲気を統一することは重要だと思いますので。
 作品の設定は、短編として流用しやすい物であるのは好印象です。作品世界の広がりを、こちらが色々と想像することができた。繰り返しになりますが、怪獣戦争後の地球という設定がやはり良い。この設定だと、いくらでも魅力的な怪獣を出すことができますからね。最初から舞台が異世界ファンタジーなら、いくらでもモンスターなり魔王なりをいきなり出しても違和感がないのと同じです。
 ただ、それにしても最終決戦の相手であるGについての説明はもう少し要るでしょう。勇人が言っていた、猟太郎の父、猟平が倒した10年前の大怪獣がGであること、そのGを倒したから主人公の乗る機体はGスレイヤーと呼ばれるのだ、というのは書かれているので読み取れますが、それ以上のことが正直わからない。
 Gが何故再来したのか。Gが猟太郎達、パイロットにとってどういう存在なのか、そういったあれこれをこの文章量で書いて来たのですから、もう少しでも描いて良かったはず。それでこそGとの戦いにのぞむ猟太郎に対して、読者の熱も上がってくるのではないでしょうか。
 と、色々と気になる面はあれど、Gという直接的な名前にしろ、怪獣の設定にしろ、滾る物が詰まった王道SF作品なのは確か。
 楽しませてもらいました!


9.みんな壊してくれる(志村麦)

 怪獣に憧れた主人公、怪獣になろうとした男の悲哀または狂気を描く作品です。
 本企画に参加してくださった作者の中でも、ぐいぐいと読ませる筆力が凄い。
 最初はエッセイを模した小説作品なのかと思ったのですが、最後には怪獣という空想が現実と溶け込んでいく、不思議な味わいの作品に仕上がっています。
 怪獣の魅力の一つは、間違いなくその破壊性です。
 スクリーンの中でとはいえ、文明・社会を壊してくれる怪獣という存在は、誰しもが持つ破壊衝動の代行者でもあり、そこに惹かれる怪獣マニアは少なくありません。主人公もまた、そうした怪獣の破壊性に魅入られてしまった男であり、その憧れの捌け口を探し続けていたに過ぎません。
 現実世界において、スクリーンの中にしか存在し得ない怪獣という存在を追い求め続け、素人ながらにスタジオを作り、特撮のジオラマを作り、自身の憧れを形にしようともがく。しかし、それによって逆に、自分の憧れたものは人間が作ったものでしかないことに、どうしようもなく気づいてしまう。これは創作という世界に片足を入れたことのある人なら、多くが共感できる狂気の入口ではないでしょうか。
 ラストの一文まで足すものも削るものも特に思いつかないくらいに、作品として完成度が高い。無駄がない。
 怪獣が暴れまわるわけではない、怪獣に憧れただけの男のお話ではありますが、その男の有様に強く惹かれてしまう魅力がありました。
 今回の大賞受賞作品です。ご参加ありがとうございました!


10.かいじゅうのゆめ(一志鴎)

 かいじゅうたちの住む島を舞台とした、怪獣を題材とした童話作品。
 沼に住んでいるかいじゅう、チーザーは泳ぐのは得意だけど、歩くことが苦手。けれど空に憧れを抱いているところがあるかいじゅう。
 バローやピンギンといった、チーザー以外のかいじゅう達の描写も可愛らしい。
 シリーズとして成り立たせることもできそうですね。
『執筆者が怪獣を描いたと思えるものであれば、ファンタジー、SF、時代小説、エッセイ、童話、何でもありです。』とレギュレーションに書きましたが、怪獣を題材とした童話は是非とも読みたかったものだったので、本作が投稿されたのを見て私はとても喜びました。ありがとうございます。
 作品全体を包み込む、優しい雰囲気が魅力です。チーザーは最後に翼という新たな長所こそ手に入れますが、歩くのが得意になるわけでもなく、逆にちょっとだけ泳ぐのが苦手になっていたりして、下手に教訓的なものを入れようとはしていない部分も好みです。
 とにかく読んでいてわくわくして、最後には読者がチーザー達かいじゅうを好きになることができれば良い。そんな作者の想いを感じとれるようでした。
 チーザーが見る夢は、成長の際の不安を象徴しているようにも思えます。
 人間でもなく、実在の動物でもなく、怪獣を題材にした時に、こうした何か少しで良いから成長について読者が思うところのある部分を入れることができるのは、怪獣という空想生物を主役として描いたからこそ響く、という人もいるのではないでしょうか。
 とても暖かく、読んでいて楽しいお話でした。


11.ゴジラゴジラゴジラがやって来た(あきかん)

 相互理解の困難な他者を怪獣と表現することがありますが、この物語においての山根美恵子とは、正にそういう意味での怪獣です。
 本作では色々な怪獣作品の怪獣を、怪獣好きの主人公が、理解できない他人、山根美恵子に直喩で当てはめていきます。過去を振り返りつつ、作品内で色々な作品に触れていく手法は、ノスタルジーを誘うものでもあるので望むところなのですが、最新作のゴジラSPのことにも触れているので、マジで主人公、単純に現代に要る、十代だけど怪獣に惹かれている変人オタクなんですよね。
 ところでジェットジャガーをジャックジャガーと言い間違えているのでそこだけ指摘。
 主人公と、家庭環境か彼女自身にか、それともどちらもかは分かりませんが、そんなヒロインとの、ジュブナイルな青春物語として読めるわけですが、主人公は結局最初から最後まで山根美恵子本人を見ていなかったのかもしれません。そんな思春期にありがちな部分も読み取ることができますが、小説として見た時に少々情報提示のバランスが悪い。
 当然、主人公には山根美恵子のことを全ては知り得ず、そして最後まで知ることなくラストを迎えた、という話なのですから、山根美恵子が何者なのか、については描かれる必要はありません。というかこの作品に関しては、そこを書いてはいけないのだと思う。
 しかし、主人公が山根美恵子に対して何をしたのか、どう付き合っていったのか、という物語の主軸に関しては、もう少し提示しても良かったでのはないか。それとも、執拗に主人公が地の文で怪獣映画について語り続けたのは、そんなことすらボヤボヤであったということを表現したかったからなのか。どちらでも良いのですが、せめて作者の意図をもう少し汲める描写でいてほしい。でないと、怪獣映画について語る場面が、単なる文字数稼ぎにも見えかねない。
 その辺りを意識して、作品を描くことができればエモさももっと爆発するのではないか。
 とは言え、怪獣大好きな主人公が、怪獣のような山根美恵子に惹かれ、そして別れるまでのお話として、軸ははっきりしているし、文章も決して読みにくいわけではないため、面白く読みました。


12.地殻獣の吐息が満ちるその時まで(登美川ステファニイ)

 地球の内部で繁殖した鉱物様生物「地殻獣」。この作品は、彼らと人間との長い戦いの記録の一部です。
 冒頭から誰かへ向けられた手紙で始まっていたり、地殻獣という設定であったり、主人公が未来でありながらも一眼レフカメラを手にする戦場記録班であったりと、それぞれの設定が空想特撮SF的な浪漫に溢れた作品なのが滅茶苦茶良い。
 最終的には哀愁漂う、ポストアポカリプス的な雰囲気を醸し出して物語は終わりますが、短編小説として余韻を残す、良いラストだったのではないでしょうか。
 地殻獣との戦いは基本的に劣勢なので、アクションとしてのカタルシスみたいなものはありませんが、それを補って余りある重厚に練られた設定と文体が魅力。
 ここまでやるならもっと設定を提示していって頭でっかちになっていても良かったと思うくらい。他作品のレビューと真逆のこと言ってますがそれはそれです。作品に合った作風というのはやはりそれぞれ異なる。
 設定が最高なので、地殻獣のビジュアル的な描写であったり、戦いの中で主人公が感じる負い目であったり、何でも良いのですが、これこそが物語の軸だ、と言えるような何か一本筋が、もっと前面に押し出されていても良かったかも。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』というハリウッド映画化した小説が私は大好きなのですが、あれも結局のところ、主人公とヒロインの二本柱がガッツリ物語を引っ張っていく中で重厚なSF設定が描かれた作品であり、設定だけでは読者を引っ張る物語にはなり難い。やるならもっと突き抜けろ、ってところですかね。
 ただそれが難しい。重厚な設定を突き詰めて突き抜けていく為には、専門分野としての理解も不可欠だと思うのですが、ほとんどの創作者も読者もそこまでのものを持っていないし、求めていないので、どうしてもアドバイスとしてはエンタメ方向としてまとめるにはどうするか、という話を考えた方が作品としての完成度は増すんですね。そもそもそんな作品、一人で創れんのよ。SF大作映画にどれだけの専門家の考証が入っていると思っているんだ、みたいな話で。
 ですが独自の美学をお持ちの作者であるとお持ちしていますので、私の言う戯言なんぞ全部無視して、それを兎に角磨いていってほしい想いもありますね。
 めちゃんこに面白いSF小説をありがとうございました!


13.サデュザーグ(藤田桜)

 学校や部活での青春、それらを幻想的な雰囲気で綴る。一見そんな作品に見えますが、お話の要所要所でサデュザーグと呼ばれる怪獣の影がチラホラ見えてくる……。
 怪獣とは日常を侵食する非日常の象徴として描かれることが少なくありません。それもまた、災害などの、人間にはどうしようもない怪獣の一側面であり、本作でもサデュザーグは大勢の人間を意識不明の状態にして、世の中を混乱させているのですが、大筋が青春小説として進んでいる為、サデュザーグは(途中まで)そうした日常の中に仄見える存在でしかありません。
 こうした、何万という犠牲者を出しつつも、もはや日常に溶け込んでいるサデュザーグという怪獣の在り方は、Withコロナの世界に描かれる怪獣としてかなり適したものなのではないか、という気もしています。新型コロナウイルスの猛威は、非日常だった筈ですが、今やその対策は日常に溶け込んでおり、目下のところ現実で我々が対峙していかなければならない、怪獣が象徴する非日常とはコロナ禍と言ってもいいでしょう。
 というのは私の勝手な怪獣論ですが、そんな勝手な怪獣論に当てはめられるような気もして、かなり興味深く読ませていただきました。
 ただ、私の好みとしては、本作はあまりにポエジー的過ぎるのではないか、というのが本音です。一話一話を短く区切っていたり、基本的には台詞を軸にして物語が編まれているのがその原因でしょうか。
 怪獣という嘘を、詩的な情感で包みこむ、というのは嫌いではないですが、少なくとも本作においてはそれが、完璧に上手く行っているとは言い難いように思います。
 うまく合致すれば滅茶苦茶に面白くなる気がするんですが、小説でやる為にはかなりの筆力を必要とされる作品構造。故に、決して悪い作品ではないのですが、文章の悪い意味での読みにくさ、拙さ、のようなものが浮いて出てしまっています。
 おそらく、Webの短期連載漫画とか、短編映像作品とかに適した脚本です。小説としての旨みがあまりないので、プロット止まり・ネーム止まりの印象すらある。
 とは言え、物語としてはとても興味深く読み、そして本作のサデュザーグという怪獣も大好きになりました。技法としてもやろうとしている方向性は悪くないと思いますので、作者の今後の活躍を期待していきたいところ。
 と言うわけで金賞受賞作品です。ご参加ありがとうございました!


14.あの日の怪獣のように(姫路 りしゅう)

 彼女に振られ、事故に会い、一週間意識を失っていた主人公、秋人が病室で目覚めると、世間では怪獣が現れたニュースでもちきりだった……。
 秋人が怪獣が出現した瞬間には気絶していたのと、本人ののほほんとした性格も合わさって、怪獣が出てきたとして、それが自分に関わりのないものであればこんなもん、みたいな日常感がはっきりと感じられるのが良いです。秋人と冬香と、秋人を轢いた男の三人が最初に病室に揃った時の雰囲気が好きですね。怪獣という異常事態や事故による下半身不随という非日常がありながらも、それでも日常の風景の延長線上の雰囲気が良く出ていました。そしてそれはその後の展開の面白さをぐっと上げることにも直結していて、物語を盛り上げる為の“静”が上手い。
 現れた怪獣も近代兵器に敵わず、討伐の様子が中継されながらその息の根を止めます。その後怪獣が復活するようなこともなく、本当に呆気ない最後。しかし、その怪獣の様子に感化された人間同士のやり取りが、この物語の肝です。
 別にその怪獣に、人間をどうこする力があったわけではないというのも注目ポイント。あくまで、怪獣の存在と、その討伐は主人公達にとっては対岸の火事で、フィクションと変わらないくらいのものであり、そして明日になれば忘れてしまう程度の出来事でしかない。
 けれど、そういう出来事に感化されることの連続で人生というのは成り立っているのも事実。それをその出来事のせいにしてしまうのか、それともちょっとした成長の糧とするかは、受け手次第。怪獣がいようがいまいが、世界は勝手にまわっていくのです。
 怪獣は色々な存在の暗喩となり得ますが、この物語においては怪獣は怪獣映画の中の怪獣の暗喩なんですね。そう考えると入れ子構造的だな。
 文章も読み易く、引っかかるところもなし。怪獣騒動と事故を切っ掛けに秋人と冬香もちょっとだけ前進する、綺麗な物語でした。


15.月の座(杜松の実)

 古風で麗しい文体で描かれる昔話かそれとも浪漫小説か、と思いきや語りての“僕”の自我が文中に現れてから、それまで情景描写を一心不乱に読んでいたであろう読み手の意識をひっくり返す。小説という空想を読んでいたかと思うと急に“僕”という存在の目線が読者であるこちらに向いてきて、否応なしに物語に取り込んで来ようとするわけで、インタラクティブ性のあるADVゲームの手触りにだいぶ近い。ただしこれは読み手がかなり積極的に参加しなければいけないゲームです。
 “僕”も最後まで結局己がどういう存在であるのかははぐらかすので、真実が何であるのかを完全に知ることはできないわけですが、月に怪獣が座していることは冒頭からそれとなく示唆されており、そして怪獣が起きてしまえばもう終わりなのだ、というのを“僕”がはっきり提示しているので、本作においてそれ以上の情報を求めるのは野暮というものでしょう。怪獣は現れば、全てを終わらせる。そんな怪獣とはっきり対峙できる存在は常人なんかではあり得ず、それ自体ももはや怪獣みたいなものなんじゃないでしょうか、など。
 説明的な描写が必要とは思いませんし、小説は必ずしも全てが理解できる必要がないとも思いますが、6,000字程度ではとてもではないが、この作品に内包させようとしている作者の意志が収まり切れていないように感じました。
 開かれた仮想空間を、仮想空間として読者に受け入れてもらうのに必要な土台がぐらついているというか。尋常小学校という単語が出てきたり、SFとも時代物とも読める、そんな文章の非決定性が魅力と言われればそうではあります。私自身はSF好きなのもあって、“僕”を人類を進化に導こうとしている人工知能だか何かとも読みましたが、単純に神仏に近い存在であるかもしれず、そうでないのかもしれず。
 小説という表現の可能性の広さを改めて垣間見せてもらえたように思います。


16.2004年(灰田宗太朗)

 怪獣の観測をする。ただそれだけのお話です。
 私は本作を、彼の大怪獣へのラブレターだと受け取りました。
 タイトルでもあり、そして作中で怪獣が活動を停止した2004年というのは、こちらの世界で『ゴジラファイナルウォーズ』が公開された年です。
 あの作品を最後にゴジラシリーズは一旦のお終いを迎え、そして来る2016年。日本の映画スクリーンに『シン・ゴジラ』という形で彼の大怪獣は堂々と本邦に帰って来ました。
 怪獣観測をしながら主人公や柏木が回想するのは、つまり怪獣映画を観た私達の心情の暗喩ですし、そこにグッと来る。
 良くも悪くも本当にそれだけの作品なのだと思います。
 私達の世界とは違う、きっと『ゴジラ』は公開していないのであろうこの作品世界と、私達の世界とのリンクを想い、遂には感慨に耽ることのできる、怪獣映画そのものに対する不可思議なオマージュ作品。
 それはとても芸術的ですが、ともすれば独りよがりにも過ぎず、感心こそしましたが、そこからもう一歩出た“何か”も欲しかった。
 しかし、『ゴジラ』に対して思う気持ちを搔き立てられた、滅茶苦茶にエモい作品なのも確かでした。良かったです。


17.其は我が故郷ならざる故郷なり(平坂初音)

 主人公火車太陽は夢を見る。自身が怪獣騎士であったという夢。それは夢なんかではなく前世の記憶であり、その夢は現実となる。
 ガンダムに円卓の騎士に、色々なものを詰め込んだ玩具箱のような作品、と思います。
 前世での怪獣騎士としての戦いや、現世でも起こる地球の終末と言った背景がありながらも、大筋としては現代の高校生、火車太陽としての物語で、ところどころにヒロイン秋野千雨の目線も挟み込みながら、らせん状に、複雑に物語は編まれていく。
 敢えて雰囲気的な類似作品を挙げるなら、『バイオーグ・トリニティ』的な作品です。あの作品も世界の危機がそこに迫っていながら、人間関係は恐ろしい程に閉じていて、青春と世界がイコール。
 言ってしまえばそれは所謂セカイ系と呼ばれるそれなのですが、本作もまず間違いなくそうした流れを汲んでいます。文章が「俺を読め!」とでも言っているんじゃないかと錯覚する程に読ませる力に満ちているので、目が滑るようなこともなかったですが、こちらも4万字では収まり切らない世界観だったのではないかと思います。多分30万字スケールくらいでようやく、読者は作者の創造している世界を把握し、理解することができる。
 私も他人のこと言えないんですが。
 小説でこういう断片断片を書こうとしたときの弱点はハッキリしていて、キャラクターの魅力が充分に伝わらないことです。
 これが漫画であれば、断片ごとを次々に見せていく同じような構成であっても、漫画の絵という別の情報が面白さを補完してくれるので、キャラクターの魅力そのもので物語を回すことが可能なんですが、小説だとじゃあその漫画の絵に相当するものって何だってなると、主人公や周辺人物の心情描写であったり、文章そのもののレトリックであったりするわけです。だからこういう構成の作品は4万字じゃ少な過ぎる。だって無理なので。設定と物語の提示だけで作品が終結してしまう。
 ただこれをひな形に、そうした大長編の構想を組むことだって可能でしょうし、私はこうした作品こそ応援したいと思います。
 円卓の騎士と怪獣を結びつける、怪獣騎士という設定もグッと来ました。


18.大怪獣はプロポーズの味がして(佐倉島こみかん)

 大怪獣の食料資源化に成功した日本が舞台の怪獣小説。
 やったぜ、グルメ小説だ!
 一作くらいは読みたかったんですよ。怪獣を食べる作品。怪獣は人に倒されないからこその怪獣、という人もいるんですが、その辺臨機応変で良いと思います。邪神だって食うぜ、ここの国民。
 怪獣食が普及することによって、日本が怪獣の肉を求めて、怪獣退治国家として成長しているという設定が良いですね。夢がある。もし本当に可食部位の多い怪獣が現実に現れたのなら、食料不足を一気に改善する救世主になりそう。救世主食うんだけど。捕鯨ならぬ捕怪というワードも中々に愉快。
 怪獣食が普通になった日本の、ちょっとほのぼのとしたお話になっているのが心くすぐられます。
 個人的には、怪獣を食べる、という現実路線のテーマ故に、作中に登場する怪獣が15mから30mという、ちょいとばかし小ぶりに収まったのだけが少し残念ですね。いや、15mも普通の生き物と比べたらデカいんですけども。デカい生き物=怪獣というわけですが、怪獣が何を以てして“怪”獣なんだ、というツッコミもしようと思えばできなくもない。そこまで言うとただのイチャモンなので笑い話に留めます。
 国家捕怪師の祖父ちゃんのお話が良いですね。お祖母ちゃんとの心温まるプロポーズのお話と、怪獣の美味しい食べ方との交えながら、怪獣が食用になった世界がよりリアルに感じられました。

19.怪獣賛歌(現無しくり)

 現実に怪獣を夢想した、二人の男女のお話。
 いない怪獣に憧れて、最後には全てを怪獣が搔っ攫っていくこの構造は、志村麦氏の『みんな壊してくれる』と似たものですが、本作の場合は語り部が二人で、しかも二人ともが怪獣に夢をみてしまっている、という更に如何ともしがたい物語となっている。なんじゃそりゃ。欲張り過ぎなのじゃ。
 作品としての文字数スケールもベストだったと思いますし、二人の視点が交互に進むのも中々にスリリングな物がありましたが、二人ともが二人とも自分の見たい物を見ている人間なので、話全体が信用できない。それとも、そんな二人が出会えたということが作中の言葉を借りるなら、正に天文学的な奇跡だと言えるのかもしれません。
 そしてやはり本作でも、二人は怪獣の出現によって救われたのでしょう。本作において、怪獣は明らかにフィクションの象徴ですし、正にタイトル通りの怪獣賛歌、フィクション賛歌と言えます。
 2話の『フィクションが、頭の上、私のすぐ傍を通り過ぎていく。』って文章が好きですね。狂気に彩られながらも、大吾より先に現実に覚める切子のどこか現実から足を浮かせ切れてない精神を象徴しているようで。
 他にも3話の『しかし現実、戦争映画だってまだあるのだからなくならないのは不思議でないのだ。まだ誰もが、怪獣を望んでいる。現実以上の、夢を望んでいる。』も好きですね。説得力がある。
 一個一個の文章に惹かれるものが多く、これまでの講評の中にも何回か書きましたが、これこそが正しく筆力の強さですよ。物語の軸などなくとも、一文一文に力が籠っていれば、構成なんて些末な問題なのです。
 うわー、狡ぃー!!
 怪獣映画には破壊の美学があるんです。どれだけ美麗な語句を並べ立てようが、怪獣はフィクションの中で街々を破壊し人々を殺戮する存在。
 それを好きであるということは、ある種、他人の不幸を楽しんでいることとも同義です。本作の二人のように、本当に怪獣が現れて、燃え盛る街にうっとりしているのと、怪獣映画を観てスクリーンの中の怪獣に酔い痴れることに、本質的な違いなど何もありはしない。
 そんな現実すら突き付けてくるような、小気味の良い作風が素晴らしい。
 欲を言えば、造形家の大吾でもスケッチをする切子でもどっちでも良いので、怪獣のビジュアル描写がほしかったなあ。

20.騎士に非ず (森本 有樹)

 手紙の形で綴られる、架空の戦争を描く短編小説。
 地味に今回の企画参加作品、手紙形式多いですね。『クローバーフィールド』的な、怪獣そのものではなく、怪獣に翻弄される人々を描く、ハンディーカメラの味わいなんかを小説で表そうとすると、自ずと手紙という形式に落ち着くのかもしれない。
 とは言え本作に、怪獣らしい怪獣は全く出てきません。本作はあくまで重厚な戦記小説、書簡小説であり、怪獣という言葉は専ら比喩として使われているに過ぎない。つまり、現実的な戦争・世界において怪獣とは民族であり国家であり文明であると。
 ホッブズのリヴァイアサンですか、そうですか。確かにあれも怪獣の類、と膝を打ちました。このアプローチは今までありそうでなかったので(思いついてもやらなかった、という人も多いとは思いますが)。
 当然、問題ありませんとも。得体の知れない“怪しい獣”こそが怪獣なのですから。
 石油生成菌の培養成功のニュースとその裏にある真実が良いですね。戦争というものの業、科学文明というものの業を嘲笑うかのような話になっている。
 描かれる戦争は二次大戦的でありながら、架空の戦争、あるいは近未来の戦争を描いたものですが、その旨みが出ているシーンが他には特になかった為、別段架空戦記である必要はなかったかもしれませんね。普通に歴史小説としても良かったかも。でもそうすると取材なんかに手を取られるので、もっとSF戦記に話を寄せても良かったかも。どちらを選ぶにせよ、ジャンルはもっと寄せて寄せて絞った方が読み易くなるのは確かです。
 確かな筆致をお持ちの作者なので、更にブラッシュアップした作品にお目にかかりたい……ッ!
 というのは我儘ですかね。因みに個人的には石油生成菌のくだりが好きなので、この世界がFFⅦ的な科学技術の発達した異世界だったとしても後者の方向性に舵を切ってくれる方が好みです。
 しかも読み終わってから気づきましたが百合だったんですね、この小説。性癖の詰め込み具合が凄い。偉い。


21.カイとエックス(押田桧凪)

 怪獣に育てられた少女エックスのお話。
 なのですが、本作は「対災害用監視指導型ロボット・Kaiju」を巡る、何人かの視点で綴られる群像劇でもあります。
 国が災害を模したロボットを製造し、それによって災害の恐ろしさを知らしめるというとんでもないプロジェクトですが、これは中々に面白い発想です。
 主人公以外にも怪獣災害の電話対応をする初瀬の視点であったり、エックスの視点であったり、はたまたKaijuプロジェクトについて語る天の視点だったりが挟み込まれますが、これは作品としてあまり上手く機能していないように思います。
 それどころか、視点人物ごとに持っている情報が全く違うので、それを整理しないままに物語が進むと、読者の方が混乱してしまう。「その話さっきしなかったっけ?」とか「この人はどこまで知ってるの?」が無限に気になっていく。それは物語への没入感を削ぐのみなので、できることなら排除した方がいい。作品も1万字と短いので、エックスと対峙する主人公の視点を軸に話を作って、必要な時にだけ物語の裏側を地の文で伝える、くらいの形であった方が小説としてはまとまりがあるのではないでしょうか。
 地球の磁場の逆転であったり、魅力的なSF設定を盛り込んではいるのですが、結局Kaijuプロジェクトも、どれが表向きの情報で、それが裏側で、どれが傍流なのか、なのかが一々確認しづらくて、それもまた読む時のストレスになっていました。
 どうしても複数人の視点で話を成立させたいのであれば、文章量不足と言う他ありません。この分量で物語の視点を散らすと、結局どのキャラクターにも愛着が湧かないまま物語が終わってしまうことになる。多分、一番魅せたいキャラクターはエックスだと思いますので、視点を固定しつつ、如何にエックスを魅力的に描写するのか、に尽力すると作品としてのまとまりがグンと上がるのではないかと。
 ストーリーの基本軸は悪くなかったので、如何に文章を編めば物語が伝わりやすいのか、についてもっと自覚的に描くことができれば、登場人物たちと共に真実を追う、魅力的なSF活劇となっていたと思います。


22.巨大化した歯磨き粉(鮭さん)

 いやあ、シュール。ただひたすらにシュール。僕これ好きですね。パレットに絵具そのままぶちまけたみたいな世界観に惹かれます。
 シュールさと物語の面白さをどう両立するか、というのは大分難しくて、本作において、魅力を失わないままに読み易くするには、もっと描写を細かくしていこう、というくらいしか方法はないように思います。
 朝の歯磨きからして滅茶苦茶なわけですが、その滅茶苦茶さを保ったままに遅刻しそうで電車に飛び乗る時のホームの描写を執拗にするとか。タクシーの中年ドライバーとの会話をもっと哲学的にしてみるとか。
 最後のライポン社が倒産したのくだりを、もっと大真面目に、社会派ニュースみたいな語り口で書いてみても面白いかもしれません。
 とはいえ、こういう作品は手癖で書くからこその面白さ、みたいなのもあるわけで、あまり理性的に過ぎては逆に良さを削いでしまうかも。
 夢のような世界観なら、その夢にみんなを沈ませなくては面白くないわけで、そこの思いきり、踏み込みにはまだ甘さが見える作品です。
 もっと心の兜を脱げよ!
 歯ブラシが怪獣化したなら、主人公が触るもの触るもの全部怪獣化しちゃうとかでも良いじゃないですか。それでいて犠牲者もどんどん増える。そうなるともう別の作品になっちゃうか。
 作者にはもっともっとはっちゃけた作品を期待します。
 大好きでした。ありがとう。


23.がらがらがらがらどんどんどん(逆塔ボマー)

 『3びきのやぎのがらからどん』の二次創作小説。
 何言ってるんだテメェ。Twitterで2月上旬くらいにあの絵本が話題になっていたんですよ。その流れで生まれた作品とお見受けします。
 堂々としたパロディ作品として読み応えがあるのが単純に凄いです。言葉に詰まる。ただ、それでは講評にならないので、一言二言。
 『3びきのやぎのがらからどん』ありきで編まれた作品なので、スタートはトロルが何者かに倒された、で初めていい。これがまず力業として見事。パロディ作品はこうじゃなきゃいけない。
 いえ、真面目にこういうのは、オマージュ/パロディ元のない一次創作でも使えるテクニックですよ。伝わりそうなものは鼻っから書かなくて良い。必要なのはキャラクターをどう動かすかであって、ディテールはすっ飛ばせすっ飛ばせ、という。
 更には、とりあえず物語の外枠がニュアンスとして伝われば、その分他のことに文章を割けるし、キャラクターの魅力にもフォーカスが合い易い、という。
 まんまと斧使いの戦士にも雷鳴にも魅力を覚える作品に仕上がっているので、上記のスタートラインは大正解という他ありません。
 「お前が『雷鳴』か?」の天丼が好きですね。山羊の言葉はわからない戦士ですが、それを繰り返していく中で最後には種を超えて雷鳴と心通わせることに否応なしの説得力を与えていました。
 痛快な娯楽活劇として秀逸。


24.ドラゴンライダー・サイドバイサイド(木船田ヒロマル)

 文句なしに面白かった作品。
 これまでも複数視点の構成で物語を作ろうとした作品は企画参加作の中にもいくつかありましたが、本作も本当はドラゴンの尾藤マキオと、彼の正体を知らぬまま自殺を止められた同世代の女の子榮倉ミドリの二人の視点で描かれるお話。
 最初は同じ出来事を二人の視点で語り直しているわけですが、片やドラゴンだけど男子高校生、片や女子高校生だけど目の前のドラゴンの正体を知らない、とチグハグさを保ったままに話が進むため、そこに笑いが生まれる。笑いが生まれれば、キャラクターへの愛着も湧く。複数視点であることが、物語の面白さに直結し、上手くいっている好例です。
 視点を欲張って絞らなかったり、設定を語ることが物語の推進力にはなっていないようなことがない為にはどうしたらいいのかのお手本にしてほしい。
 良いですね。男子高校生らしく年相応に異性を意識してしまうマキオも、ちょっとズレてて物語が進むごとに成長していくミドリのコンビが滅茶苦茶に愛らしく可愛い。
 この二人の活躍をもっと見ていたい。本作を読了した時には、そんな風にさえ思いました。
 強いて言うならもう完全にこれはドラゴンと人間(男子と女子)の異種族交流を題材にした小説なので、怪獣小説の色は薄いな、というところ。
 本企画の参加作品の中でも、一二を争う程にエンタメに徹していて、面白かったのも確かなのですが、大賞には推せないかな……という作品でした。
 2万字ですが、二人の視点が交差しながら、物語を推進していくので、多くの読者がすらすらと読めてしまうと思います。オススメです。


25.夕陽に立つ双竜〜ドラゴン学者と女ドラゴンスレイヤー〜(ゆずた裕里)

 2作続けてドラゴン小説が続きますが、こちらもエンタメ作品としてうまくまとまった作品。
 後これも手紙から始まる作品ですね。やっぱり手紙と怪獣、相性が良い。
 ドラゴン学者ロイ・スティーブンスと、ドラゴンスレイヤーのヴァネッサのロマンスでもある。それでいて物語として破綻しておらず、一本筋を保ったまま物語は進むので、作者の筆力の高さがうかがえます。
 ヴァネッサがドラゴンを追う目的も復讐だけでなく、贖罪という裏の理由があったりだとか、登場人物に多層性を持たせて印象付ける技巧だとかが抜群に上手い。
 ドラゴンの設定も細かく、独自の世界観でありながらも読ませるだけの物語の土台の強さがありました。
 ドラゴンの設定に比べて、小道具周りが少し考証不足か、みたいな印象はありましたね。クロスボウなり、ダイナマイトなり、色々なドラゴンに対抗する武器が出てきますが、それぞれの武器がこの世界ではどのくらいの普及率で、どのくらいの威力であるのかが、いまいち掴みづらく、そこだけ集中力を削ぐ原因になっていましたね。勿論、説明される必要はないのすが、ドラゴン愛に比べてこちらの方はあまり考えられていないのではないか、という風に読めてしまった。
 強いて言うなら、王道的に過ぎるという面はあるのですが、そこに関してはもう作者の発想のセンスみたいなところもあるので批判しにくいところですね。
 同主人公でシリーズ化もしているようですが、本作一本でも何ら問題はなく、ドラゴンを主題とした冒険小説として楽しめるものだから、他の作品も気になってくる、良い塩梅でしたね。
 痛快な王道冒険ファンタジー作品をありがとうございました。


26.赤く大きな鳥(海月里ほとり)

 日本の街を覆う大きな鳥。それについて語る主人公と、それを静かに聞く聞き手……。読んでいるうちに、あちらとこちらの境目がわからなくなる。そんな幻想的な雰囲気に満ち満ちた作品です。
 本作の登場怪獣は言うまでもなく、街の空を覆う赤く大きな鳥なわけですが、この鳥はただ街を見下ろしているだけであり、そもそもそこに本当に存在しているのかすら疑わしい。
 現実と幻想の狭間のような存在として描かれているように思うのですが、舞台となる田瓶市も群馬と山梨の県境に位置する都市で、こういう境目みたいなものを連想させる為に当てられた場所なのかなあなんて深読みしていますがどうなのでしょう。
 詩的な幻想作品であり、これ以上に付け足すような物語もないのですが、最後女の人が男を覆い、捕食するまでの描写がふわふわしすぎていてわかり難いので、そこはもう少し文字数を割いて描写しても良いところだったのではないかと思います。
 幻想と現実の狭間を描くものであるなら、物語における現実の強度もどこかで強化する必要があって、この作品は完全に幻想側に負けてしまっているから、最後くらいまた田瓶市などと実在の地名を使用したみたいに、現実の強度を上げて、その上で男を食わせれば良かったかな、と。
 現実と幻想が入り混じる入れ子構造、今敏監督の『パーフェクトブルー』や『千年女優』なんかが至高だと勝手に思ってるんですが、あれもまた描かれる現実の強度が強いために、こちらが作品を観ただけで酩酊するような想いに駆られるわけですよ。
 元ネタもSCP-444-JPであるというのであれば、あれもまた実際には存在しない認識の鳥であり、その辺りをもっともっと擦れたんでないかなあ、と。  
 そんな不思議な読後感が魅力的な作品でした。


27.僕の見た霧の中には夢の跡(おくとりょう)

 怪獣伝説の残る港町のお話。
 どこかの喉かな田舎の港町を連想していたら、ガッツリ未来SFでした。なるほど、やられた。
 魅力的な舞台設定なので、ところどころ旧時代の遺物的な物を示唆できる描写があるともっと舞台が映えたかな。
 おじいちゃんの正体、というか本業が明かされるのが、本作の雰囲気をガラリと変える部分だと思うのですが、今のままだとそこだけあまりに浮いているので、もう少し前半の喉かな雰囲気と、後半のSFの雰囲気を折衷したパートがあれば読み易かったのではないかと思います。いきなり「カイジューは知的生命体」とか書かれても、これまでの雰囲気と文の雰囲気が違うからビビる。ガラリと雰囲気を変えるのなら相応の準備と相応の筆致が必要ですね、という話。
 私も拙作をそうしましたが、地球もまた怪獣である、という話が何作か読めたのは良かったです。元々怪獣映画、平成ガメラなんかが顕著ですが、オカルトと結びついて発展し、影響し合って来た歴史があるので、ガイア理論とかとの食い合いが良いんですよね。
 本作の作者の作品は何作か読ませていただいていますが、どの作品もやりたいことが明確に読み取れるので、それを実現できるだけの描写とシナリオ構成ができるようになると、一気に化けると期待しています。
 本作を書くことが、作者様が自身で書きたいものを模索する補強となったのであれば、これほどうれしいことはありません。
 企画ご参加いただき、ありがとうございました。


28.機械仕掛けの傍観者(宮古遠)

 巨大な何者かがこちらを覗いているぞ作品。
 時期的に『エターナルズ』の公開と被ったので、傍観者については、セレスティアルズ的なビジュアルを想像しましたね。
 海月里ほとりさんの『赤く大きな鳥』と同系統ですが、こちらは傍観者は積極的に人間をどうこうするつもりなどまるでなく、本当にただ傍観しているだけ。
 しかし主人公は、その傍観者を見て、自身の変革を目指す、というお話。
 昔から日本にはお天道様が見ている、なんて言葉がありますが、人知の及ばない何者かが我々を監視ないし傍観している、と認識すること自体が、人の心の在り方に影響するように、誰しもに観測可能な機械仕掛けの傍観者が空に現れたのならば、そこから多くを学ぼうとし、傍観者を切っ掛けに変革を目指す者もいよう、という。
 我々は誰にどう救われて、どう影響を受けるのか、人にとっての救いとはそもそも何なのか、みたいな一種哲学的な問いもある作品だとは思うのですが、情報開示を絞っているので解釈の幅がありますね。特に後半、主人公が傍観者と似た彼方を目指すようになってからは読者を引き離していくの極み。とはいえそこが完全にわかるようになってしまっては作品のテーマから外れてしまいますので、バランスが難しいですね。主人公がそこへ向かうまでの第三者の目線なんかが挟まると、こっちも心の準備をして後半にのぞめるかもしれません。
 ただ、それは描写不足というよりは作者が意図したものと読み取っていますので、あまり変なことを付け足すのは蛇足かな。今のままで、良い具合の余韻を残しています。
 古き良き海外短編SFの趣です。これを逆に英語に訳したらどう読まれるだろう、なんてことを考えたりしていました。
 企画の最後の最後に、短編小説はこんなのもありである、というのをででーんと見せつける作品で締まったのは、企画参加作全体の雰囲気をキュッと締め付けてくれました。

0.Vodzigaの日は遠く過ぎ去り(宮塚恵一)

 拙作。
 主催者作品なので講評は当然割愛。
 小さな怪獣から大きな怪獣まで。怪獣の居る世界から怪獣の居なくなった後の世界まで。地球が大きな怪獣であるとか、怪獣は上位次元存在の端末なのだとか。欲張って色々書きました。


総評

 というわけで主催者作品を除く28作の前作講評をやってきたわけですが、3か月に渡る自主企画の開催、とても楽しくやらせていただきました。
 集まった作品どれもが力作で、何度も何度も読ませていただきながら大賞を選考いたしました。こんなにも同じWeb小説作品を何度も読み返すこともそうそうないので、読み手としても色々と発見のある経験でしたね。
 今回、怪獣に対して色々なアプローチが集まりました。私自身は、怪獣とは畏怖・恐怖の象徴である、という見方が好きです。災害への恐れ、戦争への恐れ、もっと漠然とした未来だとか他人への恐れ。それが怪獣として形を成し、創作物として世に羽ばたき、そして誰かの何かを破壊する。
 それが怪獣の面白さであり、魅力であると考えているので賞に選考した作品にもそのあたりの主催者の思惑が反映されていますが、別に怪獣はそれだけでなくていい。
 『ゴジラ』が銀幕の中に現れてから、はたまた原子怪獣がスクリーン内を暴れまわってから現代まで、色々な怪獣がいるし、色々な怪獣がうまれました。
 怖くおっかない怪獣もいれば、優しい怪獣も、弱くて小さい怪獣も、人間みたいな怪獣も、色々です。
 そんな参加者それぞれの心の内にある怪獣をいくつも堪能できたのは、主催者として幸福な時間でした。

 もっとピックアップの機会を作りたかったとか、企画の宣伝はもっと手広くできたんじゃないかとか、主催としての反省点も多くありますが、それは今後の課題です。
 はい、今後です。第二回怪獣小説大賞、時期は未定ですが、こんな面白いこと、一回で終わらせたら嘘ってもんです。
 怪獣小説を書くという大筋はそのままですが、今度は少しテーマを絞ったものを募集していきたいな、と思っています。

 本当にこの度は、多くの怪獣小説の投稿、ありがとうございました!
 読者として、レビュアーとして企画を盛り上げてくださった皆様にも感謝を。

 それではまた次回。第二回怪獣小説大賞でお会いしましょう!!

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