見出し画像

行きつけの喫茶店


東京の会社員時代、高円寺に住んでいた。

その頃よく通った喫茶店がある。駅の南側、駅から徒歩12分程度の場所だ。
わたしのアパートから歩いて5分もかからないところ。カウンターに加えて、テーブルか3つか4つの小さい店だった。

カフェなんて洒落た言葉が流行るずっと前からその喫茶店はそこにあり、50代くらいのふくよかで笑顔が素敵なママが、コーヒーを入れてくれた。住宅街の中にあるその喫茶店の客は、ご近所さんの常連客がほとんどだった。
その大半がママと同年代か少し上の方ばかりで、当時20代だった私は常連の中でもかなり若手だった。

禁煙席を設けるカフェが増える中、その喫茶店のほとんどの常連が喫煙者で、子連れのお客様がドアを開けると、ママはいつも申し訳なさそうに「ごめんなさいね。ここは喫煙の喫茶店なの」と断った。当時1日4箱というヘビースモーカーの私にはとても居心地がいい空間だったけれど。

私は、カウンター席が空いていれば、必ずカウンターに座った。ママがコーヒーを淹れたり、サンドイッチを作るのを見るのが好きだった。ママと今日の出来事とか、たわいない話をするのも好きだったし、ママが他の常連さんの話に楽しそうに相槌を打つのを聞くのが好きだった。

客商売だから当然と言われるかもしれないけど、ママは決してお客様に反論したり、意見したりしなかった。
もちろん、相談されれば親身にアドバイスしてくれたけど、押し付けがましいところとか、偉そうなところは全然なくて、みんなお母さんに心配されているような気分になるのだ。今思えば、常連客はみな、ママに癒されたくてそこに通っていたのだと思う。私も含めてということだけど。

私がその店に通っていたのは4年間くらいだったろうか。1週間の半分以上は、足を運んでいたと思う。
でも、その後、高円寺からかなり遠くに引っ越してしまった私は、すっかりその店から足が遠のいた。なんせその距離5000キロ。通いつめるには、遠すぎる。

新しい場所での新しい生活はそれなりに忙しく刺激的で、私はそんな日々に没頭した。

しかし、自分が50歳の誕生日を迎えるころ、「ママは元気なのだろうか」とふと気になった。

私より少し若い娘さんがいるということだったから、きっとママの年齢は私の母と同じくらいか少し若いくらいなのだろうと思う。だとすると、もう店をやっていないかもしれない。でも、もしまだ店をやっているのだとしたら、またママに会いたい。

そんな思いから、先日、日本に帰国した折、時間を作って高円寺の駅で降りてみた。

4年間歩きなれた道のはずなのに、20年も経てば店の入れ替わりは激しい。見覚えのある店は数件しかなかった。
けれども、高円寺南口を出て、左に一回、右に一回曲がるだけのその店にはすぐに行き着けた。
店はちゃんとそこにあって、同じ名前の看板がぶら下がっている。ママがいるかもしれないと、ゆっくりとドアを開ける。

「いらっしゃいませ」とママが言う。
さすがに20年もご無沙汰では覚えてないのも当然だ。
「お久しぶりです」と言いかけたとき、ママは私の顔を凝視しして「あら〜、お帰りなさい」と嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして可愛らしい笑顔になる。

ああ、この笑顔に癒されたのだと、私は思う。

辛いこともあったと思うけれど、店でのママはいつも笑顔だった。
それは20年経ってもちっとも変わらなくて、それが嬉しくて、私は不覚にも涙ぐんでしまう。母親を25年前に亡くした私にとって、ママは自分の中ではお母さん的な存在だった。

20年前と同じようにカウンターに座って、ペーパードリップのコーヒーを飲む。常連さんもあまり変わらないようで、50歳になっても私はやっぱり若手だった。そして、禁煙席が当たり前になった今でも、完全喫煙喫茶だった。
コーヒーしか頼んでないのに、ママはモーニングをサービスしてくれた。そんなことしたら損しちゃうというのに、そういうあったかいところが好きなんだけどね。

そして、改めてママの笑顔のすごさを思う。
20年前のママと同じくらいの歳になったからこそわかることだ。仕事をしていれば楽しいことばかりじゃない。家族の問題、子供の問題、いろいろな悩みもあっただろうに。それでも、カウンターの向こうにいる間は、いつも笑顔だったママ。ママがいるだけでその店はとてもあたたかい雰囲気になる。

それって実はとってもすごいことなんだと、50歳だからこそ、しみじみと思うのだ。そんな人に私もなりたい、と思いつつ。

でも、今はもう少し、母親の前でちょっとだけわがまま娘に戻るように、ママの優しさに甘えていたい。このコーヒーを飲み終わるまで。店を出たら、またアネゴ肌の私で頑張るからさ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?