紅茶との友情は、味にあらわれる
カトマンズで紅茶を買うならココ、と決めている店がある。
ニューロードのサリルチョークから少し中に入ったところにある半地下の店だ。
雑に緑色に塗られた缶々がカウンターにずらりと並んでいる。
この缶の蓋を開けて、ゆっくりと紅茶の香り比べしながら茶葉を選ぶのが好きだ。
気に入った紅茶を指差して欲しいグラム数を伝えると、量り売りしてくれる。
紅茶の産地であるネパールでは、紅茶を量り売りしてくれる店はあちこちにある。パッキングされたお土産用紅茶よりは、そういう店で、自分で茶葉の色と香りを確かめて買うほうが、おいしい紅茶にありつけるというものだ。
そんな紅茶の量り売りの店の中でも、その店を贔屓にするにはわけがある。
店主の入れる紅茶が、とてもおいしいのだ。
紅茶量り売りの店であり、喫茶店ではないので、紅茶をその場で飲むためにオーダーすることはできない。
しかし、量り売りのリーフティーを買う場合、味見のために試飲させてくれるのだ。
たっぷりと砂糖を入れてミルクでグツグツ煮出すのが紅茶の一般的な飲まれ方であるネパールにおいては、茶葉のうまみがミルクと砂糖にかき消されてしまうことが多い。
だから、茶葉の味自体を味わうネパール人がいることが新鮮だったし、しかもそれがハッとするほどおいしいのが驚きだった。
この人は、しっかりこだわりを持っておいしい茶葉を仕入れているのだなと思い、彼のオススメのオーガニックティーを購入したのが一番最初の出会いだった。
しかし、彼のことを本当にすごいと思ったのはそのあとである。
それを家で飲んでみて、あれっと思った。
なんだか、味が違う。
いや確かに茶葉の香りはお店で飲んだときのものなのだけど、本当にかすかに微妙に何かが違うのだ。
水が違う、お湯の温度が違う、蒸らし方違う。
理由はいろいろ考えられる。
でも、それは、もっと根本的なもののような気がした。
昔からの長い付き合いの友人との間にある、ある種の親しみのようなものといおうか。
彼と紅茶の間に、そんな確かな繋がりがあるからじゃないか。
なぜかその時そんな考えが頭をよぎった。
紅茶に限ったことではないが、淹れる人の想いや人柄といったものは、自ずと淹れたものに表れる。
彼の紅茶には、人当たりの柔らかい彼のキャラクターや、長年にわたって築き上げられた紅茶との深い友情が滲み出ているように思われた。
同じ素材を使って、同じレシピで、同じように作っても、作る人が違えば味わいが変わってくるのはそういう理由なのかもしれない。
そういう自分の味を出せる人ってすごいなあと思うと同時に、人の手で淹れることの温かさみたいなものが世界からなくならないといいなあと願う私なのである。
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