自己紹介その3

何かの際すぐ思い出せるキリのいい2000年に、みやびはとうとうゲイダイ生になった。専攻は音楽学…つまり、音楽を学問として学ぼうという学科。音楽を学ぼう、と広く漠然とした学科のアイデンティティーを5月には否定し始め、6月には学科を移る決意をする。

ところで、高校時代の音楽の授業内容は吹奏楽だった。海外、とくにアメリカでは普通のことだが、今思えば母校は珍しい学校だった。男子校だったせいなのか、授業がそれだったからなのか、吹奏楽部には部員が数名しかいない。もちろん入部はせず。別にギター・マンドリン部というものが活発で、全国大会レベルの実力を持つ部活だったが、もちろんそちらにも入部しなかった。

それなのに。高校3年間、楽器なんて授業でちょっと吹いていたくらいだったのに。中学校の吹奏楽部で吹いていた楽器、「チューバ」を専攻しようと決意したのだった。校内の担当教員が、何の縁なのか中学校時代のコンクールで審査員をしていた、関西の重鎮プレイヤー。かくかくしかじか事情を話し、そこから恐怖の師弟関係がはじまった。何度も掴みかかられて怒られた。楽譜も譜面台も、レッスンの最後にはどこにいったかわからなくなる。師匠にぶち投げられた楽譜たちは、今でも練習のパートナーとして使用しているタフガイ。まさに身も心も鍛えられた半年間だった。

翌年2月、転学科試験を受験。素人ボーイを、諦めずに指導してくださった師匠のおかげで無事合格し、二回生(関東では二年生というのかな?)から演奏学科に移ることになった。その後2004年3月に無事卒業。研究生として1年残留し、さらにもう1年間を演奏学科の演奏補助員として勤めた。

ゲイダイというのは、なかなか就職に厳しい大学だ。就職課に相談すればプレイヤーとしての仕事を斡旋してくれる、なんて幸せなシステムは存在しない。基本、セルフプロデュース。先輩との飲み会でべらぼうに酒を飲むか、有名なコンクールに上位で入賞するか、教授とねんごろな関係になるかをすれば話は別だ。しかし普通の卒業生たちには冷たい。もちろん普通の卒業生だったみやびも、その業界事情を覚悟していた。

ところが卒業間近に、演奏学科の教員から、専門学校の講師にならないか、という誘いを受けた。実技ができ、学問的な音楽にも長けている人材を探してたそうで、まさにぴったりだというのだ。1回生の頃の勉強がここに来て生きるとは思わず、二つ返事で快諾。卒業後の進路が拓かれたのだった。

全3回にわたり、まるでサクセスストーリーのような自己紹介でしたが、まあなにもかも上手くいってたわけではありませんでした。卒業してからの音楽人生なんて、それはもうひどいもんです。人に騙されたりもしたし、もちろん大失敗もしました(ここすら書けないレベルのものも!)。しかし、この年まで音楽業界で仕事させてもらえてるのは、本当に人に恵まれていたからだと思います。自分の力だけではないのを自分が1番よくわかっているので、なかなか堂々と『オレ、音楽家やねん』って言えない側面もあります。けど、先生と呼んでくれる人や、元気になれたと声をかけてくれるお客さん達のためには全力で仕事していきたいと思っています。

次回予告!

「自己紹介〜模型との出会い編」

今日も最後まで読んで下さりありがとうございました!

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