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【FC25】書道と音楽の即興表現 ゲスト 白石雪妃 (書道家)

音楽の事を様々な角度から探求するトーク番組「フルートカフェ」へようこそ。生命の息吹を伝えるフルートの音色と共に、無意識の世界に広がる壮大な冒険へ一緒に参りましょう!

このシリーズはスタンドFMとYoutubeと両方で配信しています。

ゲスト:白石雪妃 

書家。伝統的な書の世界を伝えつつ、独特のスタイルで音楽や美術とのコラボレーションなど、書道を総合芸術として昇華させる世界観は高く評価されている。 パリやNY、SFで個展を開催、毎年フランスに招聘されるなど、海外でも積極的に活動し、生演奏との融合から生まれるライブ書道は世界中で多くのファンを魅了している。NYではFrank Kimbrough, Jay Anderson, Scott Robinsonと共演。 2014FIFAワールドカップサッカー日本代表新ユニフォームのコンセプト「円陣」揮毫、2022年Nintendo Switch「刀剣乱舞無双」揮毫。ミラノ万博日本館認定イベントにてインスタレーション展示。金沢21世紀美術館、ボルチモア美術館にてパフォーマンス、在米日本大使館JICCにて講義チリの大統領府文化センターにて日チリ外交125周年のパフォーマンスをおこなった。 (株)資生堂 クレ・ド・ポー・ボーテ「6人の女性たち」に選出され、また、日本オラクル(株)や(株)QUICK、(株)ドトールなどの壁書画を制作するなど、枠を超えた活動も展開する。

M: 雪妃さん 書道家として大活躍ですが、雪妃さんの特徴というか、スタイルって音楽家の人と一緒にパフォーマンスする事が多いですね。ありがたい事に私もその中の一人で長年一緒に制作させて頂いています。元々は書道家としてスタートしたと思うのですけど、音楽と一緒にやるようになったきっかけはありますか?

書と音のコラボレーションのきっかけ

S: 一番のきっかけになったのは、音楽家の松井秋彦さんの番組にゲストで出て、その時に、「即興についての考察」というタイトルで、その中で、ジャズと書道が共通性がどんな所にあるか、という対談があったんです。いくつか、共通項はあって、例えば、一過性のものであるとか、そういうお話をした上で、「じゃあ、実際にやってみよう」という機会が、一番最初にプロの方とコラボした体験でした。

M:一緒にやってみてどうでしたか?

S:その対談の元になったものが、Miles DavisのKind of Blue というアルバムにBill Evansが書いたライナーノーツの内容で、(書と音の共通項は) 一過性のものであったり、どちらも鍛錬しないと、脳や考えから身体の動きになるまでの交感を瞬時に行えないと。それにはすごく鍛錬が必要だと。書道は書き直せないし、力を見誤ると破れてしまうし、というような事だったんですけども、実際にやってみて、そういう事はもちろん感じたし、あとは、感覚的に「良い」(高揚する)と思うところ同じなのかなと、影響し合ったのはもちろん言うまでもなく。

音を書き留める事

M:エリック・ドルフィーの有名な言葉で、”空中に消えた音楽を つかまえることは、誰にもできない “というのがありますが、それってすごく面白いと思うのですが、書道は音を書き留めているような所がありますよね。一緒にやると面白いなと思うのは、双方向からのアプローチで、書を楽譜のように読む事も出来るし、目に見えない音を書き留める、という事も出来るし、そこが一緒にやっていて面白いな、と思います。

音が含まれる書・目で見れる音

S:そうですね。私の書は、同じ人が書いてる事を念頭に置いても、自分で制作する時は全くの無音なので、一緒に演奏する音楽家によって全然違って、その時に演奏した人の音が含まれている書になるんです。けれども、音は見えない。いや、見えるんですけど(笑) そこが面白いですよね。

総合芸術としての書道

M:そういう意味で本当に総合芸術なんでしょうね。

S: 自分で書く時って、自分の中で本当に集中して、思い描く事があって、筆を置くんですけれども、共演者と一緒にやる時って、そういうのはなくて、 即興でやる時は、ただ、”降りてくる”という感覚なんです。曲がある時はまた別のアプローチになるのですが、そこが全然違う。 タイムラグも生まれるというか、指揮者がいる訳ではないし、リズムを合わせるというスタイルでもないので、ちょっとしたタイムラグが生まれて、聴いて書いて、見てから音にして、というのを繰り返す中で、交わる所がある、というのが、面白いといつも感じます。

書と音のアンサンブル

M:異なる表現のコラボレーションって世の中にたくさんありますが、昔は良いな、と思うものが少なかったのですが、私の経験値が上がったのか、世の中が変わったのかわからないですが、最近良いな、と思うものが増えてきたように感じます。私が雪妃さんと一緒にやる時に感じる事は、ただ、お互いがなんとなく一緒にやっているというよりは、もう一歩深い所で一緒に創っている、という感覚があって、それは雪妃さん自身が音楽をされているという事もあるし、(それに対して私は書道をやっていないという問題はあるのですが、先日、初めて、雪妃さんの書道体験を経験したのですが、実際にやってみると、”こんなすごい事をやっていたのか!”という衝撃を受けたのですけど)、音楽的な目線で言うと、一緒にアンサンブルしているような感覚があります。

M:何か音楽がある時とない時の違いというか、心がけている事はありますか?

S:そうですね。音が勝手に自分の中に入ってきてしまう、という事があります。後は私たちの場合は、テーマがあってパフォーマンスをする事が多いので、事前に引き出しを増やしておくというのはあります。

直観と即興

M:なるほどです。テーマがあるという事なのですが、私たちの作品は即興がテーマでもあるのですよね。テーマがあるのに、即興がテーマというのも変な話ですが、先ほどおっしゃっていた「入ってくる」というのが私達のユニットで大切にしている「直観」につながるのかな、と思います。

S:これだけ一緒にやってきたからこその、直観が鍛えられた、というのもあるし、直観と言っても2種類、無意識の「直感」と私達がタイトルにしている直観があります。

M: そうそう。それで、何が違うかというと、直観の方は、今までの経験値を踏まえて瞬時に判断する、という事ですよね。

即興を言語化する事

M:即興に関しては、音楽の場合、色々な説というか、考え方があって、それについての本が出版されていたり、それこそ雪妃さんの最初の音楽との共演のきっかけだった「即興を考察する」というのもありますが、結構言語化されていて、色々な説があるんです。 書道の世界では即興はどのように捉えているのでしょうか?

S:捉えているのかな?即興を。

M:なるほど、音楽の世界のようにいくつかの明確な考えがある訳ではない?

S:即興をどう捉えるかという問題にもなるけども、即興を言語化するという事ってあるのかな…

M:今、ちょっと思ったのですが、書道って日本の文化ですよね。即興 (Improvisation)を言語化する発想ってどちらかというと海外発なんですよ。だから、そこの違いはあるかもしれないです。日本の伝統文化は察して伝える、みたいな、あまり厳密に言葉で定義していかないところがあるかもしれないですね。

S:確かに、書道においての即興を言語化するという事はあまりしていないかも知れません。

書道=即興?

M:もしかして、書道そのものが即興という事ができますか?

S:例えば、空間の捉え方だったりとか、作品を作る事において、書く言葉自体は、普通はあらかじめ、これを書こうと思って書くものですが、共演者からインスピレーションをもらって、自分の中にあるものの中から出すっていう即興は、書道においては、なかなかなかったところなのではと思います。

M: なるほど。

S:そこは人それぞれでもあります。だから、書道における即興の定義は、わからない。

M:面白いです。作品を作る場合は即興じゃない、という考え?

S:例えば、バーンって一筆置くとするじゃないですか。それがどのように散らばるかとか、どのような滲みを出すかとか、墨を擦った所でどのような色になるかとかは、やってみないとわからないというか、それが即興かどうかというと、別問題ですよね?

M:音楽的な即興の場合は、例えば「ド」の音を出すと決めて、出したら、「ド」の音なのは変わらないですよね。その「ド」の音がどんなニュアンスなのか、どの長さなのか、どんなタイミングで出すのか、それは状況によって違いますが、「ド」の音が出ている事は揺るぎようのない事ですよね。でも音楽においてはそのニュアンスも含めて即興といっているような気がします。

M:使っている型があった上で、それが瞬間的にどう変化するか、それに対して次の自発的なものがどうつながっていくか、という事が即興なのだとしたら….

S:そうしたら、書道における創作は即興になるのかも知れない。

M:創作!?

S:型があって、それを自分のものにしてから、自分のものとして出す時に、意図しないものになっていくかも知れないし、それが即興なのかな。

M:面白いですね。でも、それを敢えて即興とも捉えていないのですよね。

S:そうですね、それを自分の作品として仕上げる時は、”これ、即興で書きました”とは言わないです。

M:ですよね(笑) 面白い!

S:即興は、書道でいうとしたら、書くものがわかっているか、わかっていないか、という所かも知れません。書道でいうとしたら。でも、内容的には創作が即興になっている、という事なのかも知れません。

S:その積み重ねが直観という事なのかな、と思います。

音楽と書道の即興の共通項と違い

M:音楽の場合即興はどこまでを即興というか、色々諸説あります。だから、敢えてそれを言語化しない、という事がある意味健全だと思うのですが、何か他の表現者との接点を求めた時に、例えば、インプロビゼーションについて真剣に考えた時に、私が参加した事のあるワークショップは、今まで聴いた事があるような音を出したら、ゲームオーバーみたいな場があって。

S:音の並び、という事?

M :そうじゃなくて、音そのもの。例えば、フルートだったら、一音でも音名のつくものを発音したら、”なんか、この人つまらない”みたいな(笑) それは、敢えてそういう事を問う会というのはわかって参加しているのですが。

S:なるほど。

即興の楽しさを伝えたい

M:ですので、どこまでを即興というのか、は何をどうプレゼンテーションするのかで変わってくると思います。状況によってそれは判断していくのですが、私達のユニット”直書観音”の場合は、”即興の楽しさを伝えたい”という大きなテーマがありますね。

S:そうですね。

日本の音楽教育と即興

M:即興という視点で音楽を見ると、日本の音楽教育って今、あまりよろしくなくて、そもそも日本の伝統文化を教えていても、量が少なかったりとか、ドレミファソラシドが音楽の全てだよ、って教えているところがあって、でも、世界全体の中で見たら、ドレミファソラシドはほんの一部でしかない訳で。日本古来の音楽の発想ってすごく豊かなものが多いんです。それこそ先ほどの書道の感覚とも通じますが、感覚的にふわっとしているというか、実際に分析してみるとすごく大変な事をやっていても、敢えてそれを言語化していなかったりするんです。そこが面白かったりするのですが、そういう日本的な音楽の感覚って学校で教えていなかったりして、音楽が全て”ドレミファソラシド”の世界だと思っていた場合、即興ってすごく怖いものになってしまうのですよね。

S:そうですね。

古来の日本人の感覚と即興

M:それで、もしも怖いと思っている人がいたら、即興って怖くなくて、本来は私達が古来より持っている感覚と近い、自然なものなんだよってお伝えしたいのが、私達の直書観音の最初の出発点で。

S:そうですね。

即興表現に対する現代社会の変化

M:私達が活動している10年以内にも、即興に対する考えが世の中的にも変わってきたように感じます。

S:そう。すごい普通の事になってきたという実感はありますよね。私も10年前即興をはじめた頃、どうして、即興を楽しんだよ、というのを全面に出していたかというと、最初は好きじゃなかったというか、ちょっと苦手だったというのがあって、そこから楽しいなって思いはじめたから、そういうのをわかってくれたら良いなと思っていたんです。でも、最近はみんなが色々な場面で即興に触れる機会が多くなったのですかね。

M:そうですね。言語化しない、という事に関しても、どちらでも良いよね、みたいな。何やっているかわからないから、さようなら、というのがなくなってきた、っていうのは良いな、と思います。

S:感覚も肥えてきたし、聴き方もわかって楽しめるようになったみたいな。やる方の技術も上がっているし。

書道パフォーマンスの海外の反応

M:雪妃さん、海外でもたくさん公演されていますよね。海外のミュージシャンとも共演して。

S:はい。

M:基本的に第一言語が違う人達で、その場で書いたものも読めない状態でも、何か一緒につくっている感覚ってありますか?

S:そうだね、読めないのは、多分、日本語でも同じ(笑)

M;確かに笑! 意外に読めてないんですよ。

S:よく海外で言われるのが、日本語が読めないから… と言われけど、いやいや同じだからってね…

書の読み方

M:日本で読めない問題ってどう捉えたら良いのでしょう?図形として見るという事?

S:全然自由で良いです(笑)

M:さすがに説明してもらったら、何が書いてあるかわかりますが(笑)

S:意図的に図形のように書く時もあるし、そうじゃなくて、それこそ導かれるように書くとかね、そういうのもあるし、あと重ねるという事もしているので、そういうのはさすがに読めなかったりするんですけど、そういうのは、絵としてみたりとか、後、空間とか、線自体、線の一部だけを見ていいなっていう人もいるし、そこは自由で良いかなと思っているのですけど、音も自分の記憶に残っている部分とそうでない部分ってあるんじゃないですか?

M;あります、あります。

S:自分でも、何をしたか、何を吹いたかって再現できないじゃない?

M:確かに。

S:それと同じように、物があるからといって、こうこうこうやって書いた、という事は全ては説明できない。

M:なるほどです。それで、言語が違う国の人が見ても、だいたい受け取る感覚は同じという事?

S:だいたい同じなんじゃないかなと思います。

S:一緒にやっていく中で、すごく感じる部分があったとか、それは国は関係なくて、初めてやったか、関係性を積み重ねていったか、という差はあるのですけど、お互い好きでやっているわけですから、やっぱり歩み寄ろうとしているし、だから楽しめるし、感じる事ができるんじゃないかと思います。

M:面白いですね。

実際にやって見る事

M:私達が直書観音をはじめた時に、即興の楽しさを伝えたい、というのがあったので、実際にやってみるのが一番早いんじゃないの?という事で、ワークショップの場を設けているのですが、それで皆、筆を動かしているのを見ると、一人ひとり全然違うのものが生まれてくるのですよね。

S:そうですね。

書き出すと止まらない楽しさ!

M:即興で書道のワークショップに参加する時に、私なんかだと”怖い”って思ってしまうのですが、音楽に置き換えて考えると、音楽ってやっている人はやりたいからやっている人が多いので、割と最初の段階から、言いたい事がある人が多いように感じます。だから、とりあえず、音を出して、その先の事は音が出てから考えよう、という事はできるのですが、書道のワークショップに参加する人に何かアドバイスってありますか?

S:全然怖がらなくても大丈夫だし、やり始めるとみんな夢中になっちゃうっていう。

M:そうなんですよ!最初の一筆は緊張するのですけど、その後はもう止まらない!

S:そうそう、だから私は何も言うまでもないんです。やってみるまでは、色々不安が広がってしまうかも知れないんですけど、やり始めると、あれ?不安だっていってたよね?みたいな(笑)

M:確かに、私も先日トライした時、止まらなくなりました(笑)

S:なので、もしもそういう気持ちがあったら、それは全然大丈夫ですし、一人だけじゃないからね、一人で書いている所でみんな見てますよって事ではないので、全然気軽に、一緒に楽しめればと思います。

M:確かに書き始めたら止まらないです…

S: もっとはやくやってみたらよかったね…私としては、フルートはやっていないけど、自分も楽器を演奏するので、Miyaさんの凄さは最初からわかっていたけれど…

M:実際に自分で書道をやってみたら、雪妃さんの凄さが身に染みてわかったのですが、恥ずかしい話、凄すぎる人って、その凄さが当たり前で。

S:何にしてもそうですよね。みんな簡単そうにやっているように見えるから。何のジャンルでも。

M:だから実際にやってみて、うわー、すごいなって。空間の取り方とか、意味がすごく良くわかったし、自分の生活空間だったり、日々の所作に対する考えも、新しい見方が増えて、すごく楽しくなったので、是非、私達のワークショップで、参加して体感していただければと思います。

S:そうですね。見ることも、自分で体験する事もできるから、おすすめです。最初、みていただいて、参加して、また最後に私達の即興で場が完成するという構成になっています。

旧花街にある和文化サロン 穏の座での講演

M:7月30日の直書観音のイベントは、穏の座という所で開催します。ここは直書観音初なのですが、和文化サロンという事で、四谷三丁目にあって、ここって 旧花街なんですね。ちょうど私達が出会った喫茶茶会記(今は蓼科に移転)があった近くで、四谷三丁目って文化的で、総合芸術が得意なお店が多いのは、元花街の芸能のエネルギーが街に染み込んでいるんじゃないかなと思います。そこに7月30日に出演するので、初めての場所なのですが。

S:畳で落ち着く感じですごく素敵な空間だと思うので、空間を音と書で彩るというのを体験していただけたらな、と思います。

直書観音 Vol.17 うるおいの座 【延期公演】



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